日も照ってて昼過ぎまでは暑かったのに、
だんだん日が陰ってくると風も吹いてきて天気は下り坂。
電器屋さんはもう修理しかしてないということで、
エアコンは急きょ買いに行くことに。
そうじ機は修理してくれたみたいだけど。
あーあ。頼りにしてたのになあ。しかたのないことだけど。
なんかいろいろあってまた凹んだ。
同じような失敗をするのはダメ。
怒られないのは運がいいだけなんだから。
大ごとにならないでよかったってことだけが救い。
ほんとに運がよかっただけだけど。
ゆうべは「かみひとえ」がおもしろかった。
三つのお題を組み込んだ漫才。
各コンビがそれぞれの個性を生かしたうえで、
きっちりとお題もはめ込んでいくのはやっぱりプロなんだなあ。
お題全部を入れ込んだミルクボーイはたしかにすごくて、
そこからハードルが上がるのかなあとも思ったのだけど、
そうは感じないのもまたおもしろいなあと思った。
「らくごのご」の三題噺だとすごく苦しんでた印象しかないのだけど、
漫才だとそこまでの感じはしなかったのはなにが違うんだろう?
一人じゃないってこともあるのかな。
今週の「100分de名著」
「答えのない問い」っていうのは考えてもムダなのでは?
と思いはじめたら、まったく入り込めなくなった。
「完全性を求める」ことも「真理を追究する」ことも意味があるとは…
なんかキリスト教的なものを感じるのは気のせいなのかな。
たぶん、そう思うようになったのは、
この番組でなんども仏教を取り上げられてた回を見たせい。
「空」とか「円」とか「環」とか。
来週見るとまた印象変わるのかな。
映画を見たわけじゃないから誤解があるのかもしれないけど、
「SAYURI」という映画にはなにか引っかかるものはある。
文化盗用とまではいわないけれど、
アメリカ人が日本人を脇役に使ってアジア系の俳優を主役に、
日本をアジアのどこかとまぜこぜにして映像化した映画。
たぶん、そういう事情を知らない人が見れば、
この映画こそが日本なのだと思って見る人もいるのかもしれない。
アジア系の人が日本人を演じれば世界の人はたぶん日本人だと思うのだろうし。
ホワイトウォッシングっていうのがけっこう話題になっているけれど、
こういうのは話題にならないのはなんでだろう。
「ラストサムライ」も似たようなもんで、
たぶんいろいろな事情からもう作れないだろうと思われる西部劇を、
舞台を変えることで、もう一回やってみようって作ったものなんだろうけど、
なんかこっちは許せてあっちは引っかかるのはなんでだろう。
トム・クルーズが日本人を演じてるわけではないからかな。