masumiノート

何を書こうかな?
何でも書こう!

マツタケ

2010年10月23日 | ニュースから一言二言
丹波マツタケ大豊作の兆し クマ出没し採取命がけ(神戸新聞) - goo ニュース

秋の味覚として知られる丹波マツタケが、大豊作になる可能性が高まっている。適度な雨と猛暑からの気温の低下で、生育条件が一気に整ったらしい。だが今シーズンはシカによる食害に加え、クマの出没が相次ぐ。遭遇を避けようと、住民らは爆竹を鳴らしたり、鈴やラジオ、おのを身に付けたりして、山に向かっている。

 

 兵庫県丹波市春日町の男性はここ数日、昨シーズンの3倍近い数のマツタケを収穫した。「木の周り3メートルくらいに70~80本。シメジのように何本もくっついている株もあった。山に入って30年、こんな豊作は初めて」と驚く。

 1963年に約161トンあった収穫は、里山の荒廃などで2008年には約1・1トンに激減。例年は9月下旬から出荷されるが、今季は猛暑の影響で10月初旬にも姿を見せず、記録的な不作を心配する声もあった。

 キノコに詳しい兵庫県立人と自然の博物館の秋山弘之主任研究員は「9月下旬から10月初めの降雨と気温の低下で、地面の温度が下がり、菌糸の成長に最適な条件が整った」と分析する。

 丹波市に隣接する京都府福知山市の卸売市場では18~19日、昨年のピーク時の2倍、1日約20キロが取引された。丹波市内の料亭にも連日、大量に入荷している。

 ただ、関係者が頭を痛めるのが、シカによる食害とクマの出没。今年はドングリが凶作で、丹波のクマの目撃件数は37件に達し、昨年1年間(11件)の3倍を超える。

 「今シーズンのマツタケ採りは命がけ」と丹波市市島町の男性。マツタケが採れる場所は親子でも教え合わないとされる“秘中の秘”だが、採取歴40年で初めて妻を伴って山に入った。別の男性は「少々怖くても、シカに食べさせるわけにはいかない」と、クマよけにラジオや鈴を鳴らしながら山通いを続ける。

 毎年約200キロを出荷するJA丹波ささやま多紀営農経済支店によると当初の出遅れが響き、取り扱いはまだ100キロ前後。丹波産は不作だった昨年より1割ほど安い程度といい、高根の花に変わりはなさそうだ。


・・・・・・・・・・

これを読んだこうちゃんが言ったひとこと。

「熊が出たら嫁さんを熊にやっといて、自分はマツタケを持って逃げるんやな」

ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ
それ、私らの間のコトやったら・・・

命イタダキマス ( --)o-( *゜ロ゜)- プス…!!


教育現場

2010年10月23日 | ひとり言

先生 生徒 保護者 
教育現場は藪の中だ。
どの立場に立つかでモノの見方が違ってくる。

一口に学級崩壊を語ろうと思っても、様々な事例があり、
そのひとつひとつの具体的な背景、原因、経緯が分からない事にはピントがずれてしまって話にならない。

「残念な先生」と言うのも、何がどう残念なのか?
しかしそれも、子供の学年や当事者の主観によって評価は全く違うものになる可能性もある。

教師は聖職では無くなった。
(本当は最初から聖職なんてものは無いと思っているけれど)

私は基本的に「保護者は口を出さずに先生(学校)に任せるべきだ」と考えている。
しかし、今現在教育現場とは関わっていない人間でもある。
だから、今現在子供を学校に通わせている立場の保護者の話は事実として聞きます。

「任せておけない程、教師(学校)の質が低下しているから保護者が出て行かざるをえないのだ」と言われれば、その現場を知らない人間は「そうですか」と言うしかない。


けれども、確かに子供が幼いうちは親が保護してやらなくてはいけないのでしょうが、
中学高校生にもなれば、それこそ子供はスレて、教師の質を自分の目で見て“職業教師”かどうかも見分ける事が出来るのでしょう。
確かに、任せて置くには危うい所もまだあるかも知れない。
だけど、そこを堪えて、子供を信じて任せてしまえば良いと思う。

親が出るのは、最後の最後でいい。
傍から見ていて「早すぎる」ように思う。

「良識ある保護者の意見で成長」も、本当に価値のある言葉ばかりなら「モンスター」などと問題になることも無いハズ。

教師の成長を願うのなら、現場(学校)に任せた方が良いと思うのです。
現場(学校)には経験豊富な又人生経験もある先輩教師が居るでしょう?

それとも時代が変わって、学校に居るのは役立たずのでくの坊だけになってしまっているのでしょうか?

「良識あるアドバイス」だと思って意見していても(実際そうであっても)、現場にとってのソレは「萎縮させる」材料になってはいませんか?
「お母様方のアドバイスは大変参考になります」というコトバは、“事を荒立てたくないという”責任逃れの語句になってはいませんか?

 

学級崩壊やモンスターペアレントといった問題の原因や過程は、それこそ様々な要因があり一口に「○○が悪い」とは言えないでしょう。

それでも、その弊害は確かに現れている。

先生とお友達で育った子は、社会に出てからも敬語が使えず得意先の顰蹙を買い、
叱られずに育った子は、上司の叱責に耐えられず鬱になったり数ヶ月で退職したり。


他の子と差を付けないように花丸も付けないし、順位を付けないようにかけっこもしないなんていう馬鹿げた事をどうして世の保護者は受け入れているのでしょう・・・

「差」があることは当たり前じゃないのですか?
「みんな違ってみんないい」には無条件に頷くのに?

勉強を頑張って、その結果花丸を貰えたら嬉しいじゃないですか。
かけっこでベベタになったら悔しいし恥ずかしい。

そんな当たり前の喜怒哀楽を奪ってどうするんですか?

運動会では、ベベタでも拍手喝采をもらえるじゃないですか?
みんなに応援してもらって、
感動や感激がある。

差を付けない。順位を付けない。なんていうきれいゴトでそういう本当に大切なことを子供達から奪わないでもらいたい。

(そうか、だから最近は表情に乏しい子が多いのか。。。)

 

昔、私が子どもの時から見ても残念な先生の方が多かったですよ。
良い先生と思える先生の方が少なかった。
でも世の中では騒ぎになってなかった。

教壇の上の鉛筆削り、あの鉄の塊を「うるさい!」と言って突然投げる先生が居たり・・・
今なら大問題じゃ無いですか?
(もちろん昔もそんな鉄の塊がもし本当に当たっていれば大変ですけど)

でもそれを親に話しても「投げられるような事をした方が悪い」でした。
 
今は、自分の子供の非は棚の上にあげて、先生の行為の危険性ばかりを槍玉にあげる保護者が多いのでは無いですか?
いや、きっと多い訳では無く、殆どの親御さんは良識があると思います。
恐らく少数が大騒ぎするのでしょう。

権利ばかりを主張する、声の大きな一部の我が儘な人たちに振り回されているのかも知れませんね。

・・・

つづく、かも・・・