NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#336 織田哲郎「ヴォイス」(CBSソニー XDKH 93023)

2022-10-16 05:06:00 | Weblog

2006年11月19日(日)



#336 織田哲郎「ヴォイス」(CBSソニー XDKH 93023)

amazon.co.jpによるディスク・データ

1958年3月11日生まれというから、筆者と同世代にあたるシンガー・ソングライター、織田哲郎のソロデビュー・アルバム。83年6月リリース。

筆者は仕事の関係で、織田に一度だけ会ったことがある。このアルバムをリリースしたばかりのころだ。

同じ25才なのに、彼はひどく落ち着いた雰囲気があり、大人びていて、とても筆者とタメ年には見えなかった。それもそのはず、彼はそのとき初めてメジャーデビューしたわけでなく、79年に「WHY」というユニットですでに世に出ており、すでに4年のメジャーキャリアがあったのだ。落ち着き払っていたのも、当然といえば当然か。

作詞、作曲はいうにおよばず、全曲のアレンジまで手がけている。こんな新人、フツーはおらんよな。

というわけで、このアルバムは、ソロ一作目にしてかなりのクォリティを持っている。

ほぼ同時期にデビューした大江千里のアルバムの、まだどこか拙い、アマチュアっぽい感じと比べれば、一目瞭然であるな。

で、ひさしぶり(たぶん10年ぶりくらい)に聴いてみての感想は、「すげー、何で売れなかったの、これ(笑)」というものだ。

メロディ・ラインは非常にキャッチーで覚えやすいし、歌も若干線が細いけど下手じゃないし、バックもビーイング系の巧者でかためているんで、ソツがない。

彼ならではの強烈な個性とか、唯一無二のオリジナリティみたいなものは感じられないんだけど、常に平均点以上のスコアをクリアしている、そんな印象だ。

彼には何人かのロック・ヒーローがいて、それへのトリビュートという感じでサウンドを生み出している。それは、あるときはB・スプリングスティ-ンだったり、あるときはジョン・レノンだったり、ビリー・ジョエルだったりする。これらの人たちに共通しているのは、フィル・スペクター・サウンドへの指向だから、「スペクター指向」とひとつにまとめてもいいかもしれない。

万事に器用で「これぞオダテツ!」という決め技、「これっきゃない!」みたいな一つ覚え芸は特にないのだが、それが逆に災いしてしまったのか、しばらく彼は冷や飯を食うことになる。

で、一躍彼の名前を世間に知らしめたのは、皮肉なことだが、他人への楽曲提供、すなわちコンポーザーとしての活動であった。

ごぞんじ、TUBEのサード・シングルにして大ヒットとなった「シーズン・イン・ザ・サン」(1986)を皮切りに、ZARD、DEEN、相川七瀬などの楽曲で大いに名を上げ、その余録というか、彼自身もいくつかのヒット曲を出すようになる。もちろん、あくまでも「中程度」のヒットで、TUBEらには遠く及ばなかったが。

結局、彼はミュージシャンとしては高い実力をもちながら、スター性、つまり「華」がなかったということなんだろうな。

彼の弟子格、ZARDの坂井泉水と比較してみれば、それはよくわかる。坂井の歌って、けっして巧くはないんだけど、あの声の魅力、そしてルックスに、スターの資質があるってことなんよ。織田にはそういう華は、残念ながらない。

裏方役はけっして本人が望んでやっていることではないんだろうけど、やっぱり彼は良質のポップスを製造し続ける「職人」なんだと思う。

プロ活動もはや27年を越えた。サザンオールスターズもすごいけど、オダテツも別の意味ですごい人だと思っている。

いまも変わらず、ソロデビューのころと同じように自然体で飄々とやっているのが、彼らしくていい。ヒットしなくてもいいから、たまには、自身の新作を出してほしいものです。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#335 エルモア・ジェイムズ「THE COLLECTION」(DEJA VU DVCD 2035)

2022-10-15 05:13:00 | Weblog
2006年11月12日(日)



#335 エルモア・ジェイムズ「THE COLLECTION」(DEJA VU DVCD 2035)

エルモア・ジェイムズのベスト盤。イタリア「DEJA VU」レーベルより88年にリリースされている。

筆者にとって「激情のブルースマン」といえば、オーティス・ラッシュとこのエルモア・ジェイムズの二人だな。ともに、歌もギターも、熱い熱い!

でも、そのニュアンスは、二人微妙に違っていて、オーティス・ラッシュはどこかオプティミスティックというか、悲しい内容の歌をうたっていても、どこか救いがあるのに対し、エルモア・ジェイムズには、悲劇の影が常につきまとっており、彼のうたうラブソングも、いまは幸せであってもいずれ破局を迎えるような、そういう雰囲気を漂わせている気がする。これは、病気からのリハビリ中とはいえいまも健在のオーティスと、早くに亡くなっているエルモアの違いといえなくもない。

そう、エルモアは、嵐のように来て、嵐のように去る、文字通り激情の人生を送った男なのだ。

51年に初録音をして、63年になくなるまでの極めて短い間に、実に精力的な活動をかさねている。他のブルースマンの何倍ものスピードで生き、そして45才であの世に直行してしまった。

ジャズにおけるチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、ロックにおけるジミ・ヘンドリックスのような生涯だったといえそうだ。

そのへんの詳しい話は、最近出版された大著「伝エルモア・ジェイムズ ~ギターに削られた命」(ブルース・インターアクションズ)にまかせることにして、本題、このコンピ盤についてである。

選曲としては、エルモアの代表曲の大半を収録してある。とはいえ、名曲名演の多いエルモアのこと、20曲ではおさまり切るわけがない。

欲をいうと、筆者の好きな「THE SUN IS SHINING」「I NEED YOU BABY」「IT HURTS ME TOO」「SOMETHING INSIDE OF ME」「GOT TO MOVE」「SHAKE YOUR MONEY MAKER」あたりも入れて欲しかった。

つーことは、やっぱり、一枚では無理。最低二枚組は必要ということかな。

三連符が印象的な、もっぱら「ブルーム調」とよばれるM1、その改作M2、そしてその流れにあるM4、M5、M11、M12、M16、ミディアム・テンポのM3、M10、M17、M18、M19、アップ・テンポのシャッフルM6、M8、M13、スローの名曲M9、ラテン調のM15などなど、 エルモアの音楽のいくつかの流れを捉えることが出来る。

スライド・バーでなく指を使って弾く曲では、ふだんとひと味違ったジャズっぽい、たとえばT・ボーンにも通じるところのあるエルモアを聴くことが出来て、興味深い。彼のキャリアのスタートは30年代末~40年代。ジャズ、ジャンプな音楽にもしっかりなじんで来たっちゅーことやね。

そういった土壌の上に、エルモアならではのオリジナルなサウンドが次第に築きあげられ、50年代に一気に開花した、そういうことだな。

たとえばラストM20などは、典型的なエルモア・スタイルといえよう。アグレッシヴな歌と闊達なスライド・ギターが織りなす、刺激的なアーバン・ブルース。

クラプトン、ベック、ジェレミー・スペンサー、ストーンズ‥。彼のサウンドに、どれだけ多くのミュージシャンが魅せられて来たことだろう。

曲よし、歌よし、ギターよし。まさに不世出の才能を堪能していただきたい。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#334 ライトニン・ホプキンス「it's a sin to be rich」(VERVE 314 517 514-2)

2022-10-14 05:00:00 | Weblog

2006年11月5日(日)



#334 ライトニン・ホプキンス「it's a sin to be rich」(VERVE 314 517 514-2)

ライトニン・ホプキンス、72年5月録音、92年リリースのアルバム。ロサンゼルスにて収録。エド・ミシェルによるプロデュース。

20年間もこんなテープがお蔵入りしていたとは、驚きな一枚。ライトニンとしては非常に珍しい、大人数によるスタジオ・セッションを収録している。

主な参加メンバーは、ギターのジェシ・エド・デイヴィス、ドラムスのジム・ゴードン、ギター&キーボードのメル・ブラウン、そしてなんと、ライトニンと並ぶダウンホーム・ブルースの雄、ジョン・リー・フッカーまでもが登場!

ジョン・リーとのスタジオでの会話も収録されているなど、非常にリラックスした雰囲気の中、セッションが展開されている。

曲は、アップテンポのナンバーが2曲ほど入っているものの、スローの似た雰囲気のものが多く、ワンパターンのそしりは免れないだろう。が、実にいいムードなんだな、これが。

実際にはアルコールとか入っていないんだろうが、ほどよく「ほどけた」感じの歌と演奏になっている。

ジョン・リーのオリジナル「ロバータ」に始まり、ライトニンのオリジナルの「キャンディ・キッチン」に終わるまでの11曲は、トラディショナルの改作ものが中心。なかには、ラップというか、ライトニンのしゃべくりも2トラック、含まれている。

ライトニンの魅力は、なんといってもあのシブいダミ声。喋りでも、十分聴かせます。

タイトル・チューンでは、「It's a sin to be rich, it's a low-down shame to be poor」と歌っている。この歌詞には、なるほどと同感。

富を得るということは、他人から金を掠め取るということにほかならないし、だからといって貧乏が美徳というものでもない。「貧すれば貪す」といわれるように、品性がいやしくなりがちだ。

それらの中間がいいのだという、ライトニンの生活哲学のようなものには、筆者も同調できる。

DVD「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」を観ても感じたことだが。仕事があって、メシが食えて、一日の終わりには酒が飲めるような生活、これで必要十分。そういう気がする。

ブルースというのは、生活に根ざした「褻(け)」の音楽。ビッグ・ヒットで成金を生むような音楽、つまり産業化された音楽になるべきではないのだ。

本盤録音当時、ライトニンはちょうど60才。ブルースマンとしては、一番脂の乗った年齢だったといえそうだ。ちなみに、ジョン・リーは55才。

本セッションでは、ジョン・リーをはじめとする気のおけない音楽仲間たちに囲まれ、オレ節を思う存分歌いまくっている。まさに、理想のブルース・ライフではないか。

筆者も、こういう悠々たる人生を全うするチャンジーになれたら、本望であるな。

ライトニン死後、10年を経て遂に日の目を見た貴重な一枚。

個人的にはラストの「キャンディ・キッチン」が好みかな。おなじみの、ドロ~ッとしたヘビーなライトニン・サウンドが堪能出来るナンバー。

ライトニンとジョン・リーの歌での共演、サイコーです。このグルーヴィなジジイたちに、乾杯!

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#333 ジョニー・ギター・ワトスン「FUNK BEYOND THE CALL OF DUTY」(Collectables COL-5493)

2022-10-13 05:00:00 | Weblog

2006年10月28日(土)



#333 ジョニー・ギター・ワトスン「FUNK BEYOND THE CALL OF DUTY」(Collectables COL-5493)

ジョニー・ギター・ワトスン、77年のアルバム。彼自身によるプロデュース。

筆者が大学生だった時分にリリースされたこのアルバム、まず、ジャケがいいね。ハイレグ美女を従え、エクスプローラを携えて敬礼! このビジュアルが、なんともナイス。思わず、ジャケ買いしてしまう感じ。

中身も負けじとカッコええ。タイトル通り、ひたすらファンクな一枚。タイトル・チューン「FUNK BEYOND THE CALL OF DUTY」については、以前ジョニー・Gのベスト・アルバム評でも触れたが、歌というよりか唸り、うめきに近いボーカルが実にイカしとるね。「アウ」とか「ウ~」とか「ウェ~ル」とか、そういうあいの手の効果が絶妙。

語りとか、ラップとかを含めて、彼のボイス・ワークはどうしてこんなにヒップなんでしょ。やっぱり、筋金入りの不良、今流行りのちょいワルなんて裸足で逃げ出すモノホンの不良、ってことなんでしょうな。

スリーピースとボルサリーノ帽でビシッと決め、エクスプローラでペケペケとギターを弾く。溜息の出るようなカッコよさ。

あのヘナヘナした感じの歌唱でさえ、このうえなくクールに感じられる。そんなシンガー、ジョニー・G以外にいやぁしない。

アップテンポのファンク「IT'S ABOUT THE DOLLAR BILL」、しっとりしたラブ・バラード「GIVE ME MY LOVE」、ジョニー・Gお家芸、ダーティ・ワード・ラップ全開の「IT'S A DAMN SHAME」。どれもエロい&エグい歌詞と洗練されたファンク・サウンドが光っとります。

特に「IT'S A DAMN SHAME」は、ジョージ・ベンスンばりの、スキャットと同時のギター・ソロとか、カッコよすぎ。

続くアップテンポ・ナンバー「I'M FONNA GET YOU BABY」もグー。ジャズ・フレイバーあふれるギター・ソロに唸らされる。

曲作り、アレンジはいうまでもなく、ドラムスとホーンを除くすべての楽器を演奏しているのも、すげえのひと言。

「BARN DOOR」はフュージョンっぽいアレンジのファンク。ジョニー・Gはチョッパー・ベースも難なくこなし、お見事としかいいようがない。

ラストの「LOVE THAT WILL NOT DIE」は、ホーン・アレンジがちょいとラテンなノリのファンク。ここでも多重録音による、凝ったボイス・ワークがたっぷり楽しめる。

流して聴くもよし。じっくりと浸るもよし。ハイ・クォリティな音作りだから、何度聴いてもあきるということがない。

ブルースなんてほんの隠し味で、あとはひたすらファンク、ファンク、ファンク。ジャズやフュージョンでさえ、ジョニー・Gにかかっちゃ、彼のサウンドの調味料に過ぎない。

すべてにおいてジニアスな、ジョニー・ギター・ワトスン、快心の一作。あえていってしまおう。これを聴いてグッとこないやつは、イモかも。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#332 ホームシック・ジェイムズ「MY HOME AIN'T HERE - THE NEW ORLEANS SESSIONS」(FEDORA FCD 5033)

2022-10-12 05:22:00 | Weblog

2006年10月22日(日)



#332 ホームシック・ジェイムズ「MY HOME AIN'T HERE - THE NEW ORLEANS SESSIONS」(FEDORA FCD 5033)

AMGによるディスク・データ

ホームシック・ジェイムズの一番最近のアルバム。2004年リリース。クリス・ミラーによるプロデュース。

ホームシック・ジェイムズ。このひと、筆者はけっこう好きである。ギターも、歌も。

1910年、テネシー州サマービル生まれの、おん年96才。現役ブルースマンとしては最高齢のひとりである。

不世出のブルースマン(ワタシがこういうほめ方をすることは滅多にないからね)、エルモア・ジェイムズのバックバンド、ブルームダスターズに在籍。エルモアとは従兄弟の関係だそうだが、バンドのサイドギターをつとめ、エルモア死後はハーピスト、スヌーキー・プライアーなどと組んで活動していた。

エルモア同様、スライドギターを得意とするが、その持ち味は、都会的なエルモアと比べて、ぐっとひなびた、ダウンホームなもの。

歌ははっきりいってアマチュア・レベルで、上手いとは到底いいがたいが、ブルースが洗練されて都会的な音楽になる前の、原初的な味わいを持っているのだ。

いってみれば、ブルースの歴史の生き証人、というかブルースの歴史そのもののような人である。

そんな彼の最新作は、長年の付き合いがあり、親子同然に親密なギタリスト、ジョン・ロング(もちろんホームシックが父、ジョンが息子ね)、そしてニューオーリンズのドラマー、クリス・ミラーを加えての、ベースレス編成によるセッション。

エコーなど録音後の加工処理をほとんどせず、いかにもスタジオで録音したまんま、って感じのナマなサウンドに仕上がっている。

さて、そのサウンドはといえば、さすがに御大、トシがトシなので、歌の方はかなりヤバいです(笑)。

もともと歌うというよりは叫ぶ、がなるといったボーカル・スタイルで、滑舌のよいほうではなかったのですが、本盤ではさらにお年もあいまって発音のほうが、かなり怪しいのです。歌詞の半分は、聴き取り不能(苦笑)。

熱心なファンでもなければ、ちょっと聴いててしんどいかな。でも、筆者的には、嫌いな歌じゃない。たとえていうなら、ロリー・ギャラガーの歌を、さらに拙く、素人っぽくした感じ。

曲目としては、オリジナルが7曲(といっても、おなじみの「クロスロード」も彼の曲ということになっちゃってますので、実質6曲かな)、エルモアのカバーが2曲、「プリーズ・セット・ア・デート」と「ガッタ・ムーヴ」。あと1曲はジミー・リードのヒット曲、「ユー・ドント・ハヴ・トゥ・ゴー」。曲調は、スロー、ミディアム、アップテンポと、いろいろやってます。

演奏は、ジョンとクリスがしっかりとしたビートを刻んでいるので、思ったほど、ハラハラドキドキさせるような展開はない。たまにコードチェンジがちょっと危なくなるけど(笑)、明らかに外したような音は少なく、とても94才のご老体が弾いているとは思えない。

ベースレス、エレキギター2本なので、サウンドのバランスは大丈夫なのかいなと心配される向きは多いと思うが、意外とそのへんはうまくいっている。ジョン・ロングの低音弦主体のリズム・ギター・プレイがなかなか巧みで、ベースのいない部分もきちんと埋めてくれているのだ。

ホームシックのスライドも、全盛期(例を上げるなら、プレスティッジの「BLUES ON THE SOUTH SIDE」あたりね)ほどのプレイではないものの、割りとしっかりしている。

特にそのコード・プレイでの煌めくような、あるいはさざめくような「響き」には、彼ならではのものを感じる。

たった一音聴くだけでも、「あ、ホームシックだ」とわかるような、そういう個性が健在なのである。

本盤を聴いてはっきり言えるのは、ホームシック本人が、歌うこと、スライドを弾くことを心から楽しんでいるということ。

そうでなけりゃ、90代になるまで現役でプレイなどしないでしょ。

音楽の完成度とか、演奏上のミスの数とか、そういった観点でいえば、決して高得点をつけられる一枚ではないけど、生涯ミュージシャンであり続けるのが可能であることを証明した、貴重な「記録(レコード)」でありますよ、これは。

死ぬまでギターと歌を愛する、こういうイカしたチャンジーに筆者もなりたい。心底そう思います。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#331 ロニー・ウッド&ボ・ディドリー「LIVE AT THE RITZ」(VICTORY MUSIC 383 480 006-2)

2022-10-11 06:09:00 | Weblog

2006年9月24日(日)



#331 ロニー・ウッド&ボ・ディドリー「LIVE AT THE RITZ」(VICTORY MUSIC 383 480 006-2)

ロニー・ウッドとボ・ディドリーの共演ライブ盤。87年11月、ニューヨーク・リッツにて収録、88年リリース。ロニー・ウッド、マーティン・アダムの共同プロデュース。

28年生まれ、当時59才目前のボ、47年生まれ、40才のウッド。師弟でもあり、親子でもあるような関係のふたりの、息の合ったライブ・パフォーマンスがぎっしりつまった、極上のロックンロール・ショーだ。

ボの代表的ナンバー「ROAD RUNNER」でステージはスタート。ふたりをサポートするミュージシャンは、ジム・サッテン、デビー・ヘイスティングス、マイク・フィンク、ハル・ゴールドスタインら、実力派ぞろい。

前半は、ボのヒット・パレードのおもむき。「I'M A MAN」「CRACKIN' UP」「HEY BO DIDDLEY」と、おなじみのナンバーを立て続けに聴かせてくれる。

バックのサウンドは、ロックンロール・リバイバル的な軽い感じではなく、けっこうへヴィーでタイト。87年の、現在進行形のロック・ビートなので、当時のAORあたりに比べても、聴き劣るということはない。これはやはり、仕掛人・ウッドの手柄といえますな。

「HEY BO DIDDLEY」ではゲストに、ホール&オーツのライブにも登場していた元テンプス組、エディ・ケンドリック、デイヴィッド・ラフィンが参加しているのが、目を引く。

5曲目からは、ロニー・ウッド中心のナンバーに。ちょっと驚いたのは、第一期ジェフ・ベック・グループのナンバー、「PLYNTH/WATER DOWN THE DRAIN」 からスタートしたこと。

本盤での当曲は、ウッドのへヴィー&ハードなスライド・ギター・ソロがたっぷり楽しめるアレンジとなっている。

続く「OOH LA LA SONG」は、フェイシズ時代の作品。ウッドとロニー・レインの共作。

ここでの、ラフながらも哀愁をたたえたウッドの歌声が、なかなかいい。

彼はボーカリストとしては、うんと素質に恵まれている人ではないのだが、「歌いたい」という気持ちが常にあって、前向きに歌に取り組んでいる印象に好感が持てる。

ギタリストの多くは「おれはギターが弾けるから、歌のほうは別にいい んだよ」みたいな感じで歌うことを降りてしまいがちだが、ウッドは拙いなりに、真剣に歌っている。その真摯さが、聴き手のハートを打つのだよ。

ウッドのオリジナルで、もう一曲。「THEY DON'T MAKE OUTLAWS LIKE THEY USED TO DO」を。

このラフで軽快なロックンロールを、ボとウッドが揃って熱唱すると、会場は大興奮状態。シンプル、ストレート、そしてパワフル。これぞ彼らの音楽の醍醐味であります。

とどめの一発。聴きおぼえのあるイントロは、そう、「HONKY TONK WOMEN」。ふだんはミック・ジャガーの歌でしか聴けないこの曲の、珍しくもロニー・ウッド・ヴァージョンであります。この大サービスに、聴衆も大喜び。

ボーカルはボに戻り、このライブのために用意したらしいオリジナルのスロー・ブルース、「MONEY TO RONNIE」を。ボは、彼としてはちょっと異例の、ディープなブルース・ボーカルを披露してくれる。

で、ここでの、ウッドのブルーズィなスライド・プレイは、実に聴かせます。艶っぽいトーン、和音使いのうまさ。彼のスライド・プレイヤーとしての実力は、かなりのものだということが、これを聴けばわかるはず。

白人ロッカーでは、D・オールマン、L・ジョージあたりのプレイばかりクローズアップされがちですが、ウッドのこと、もっと評価してもいいんじゃないでしょうか。

それはさておき、ラストはボの十八番「WHO DO YOU LOVE」で締めくくり。この曲では、ボはなんとドラムを叩きながら、歌いまくります。

「HEY BO DIDDLEY」でも出てきたゲスト・コ-ラス、テンプスや女声ボーカリストたちも加わっての総力戦。そのビートの強力なことといったら、圧巻のひとこと。

ボのワイルドで野太い個性、ウッドの粋でいなせな個性、このふたつが見事溶け合って、この上なくいかしたロックンロールを生み出した、コラボレーション・ライブ。

ロックンロールの本質は、力(パワー)なり、と、改めて思い知らされた一枚であります。聴かねば損損!

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#330 オスカー・ピータースン「my favorite instrument」(MPS 821843-2)

2022-10-10 05:30:00 | Weblog

2006年9月17日(日)



#330 オスカー・ピータースン「my favorite instrument」(MPS 821843-2)

オスカー・ピータースン、68年のアルバム。ドイツ・フィリンゲンにて録音。

酒席において「世界一のピアニストは誰か?」という話題で、ひとしきり盛り上がるときがある。

もちろん、それは個々人の主観によるもので、誰が世界一なんて到底決めようもないのだが、いってみれば自分が最高だと思うアーティスト名を上げることで、その人の音楽観を表明しているわけですな。

で、各人が、俺はアート・テイタムだ、いや僕はバド・パウエルだ、いやハービー・ハンコックだ、ビル・エヴァンスだと侃々諤々の騒ぎとなり、結論など出ない。それでいいのだ。

筆者の場合、前掲の人たちも、もちろん大好きなのだが、たったひとり、世界一のピアニストを上げるとなれば、このオスカー・ピータースンにとどめをさすのではないかと思う。

筆者がピータースンの生演奏にふれたのは、ただ一度、十なん年か前のブルーノート東京においてであるが、そのライブにて、彼が世界一であることを確信した。

そのタッチの鮮やかさ、確かさ、寸分の狂いもないリズム感、表現の多彩さ、あふれんばかりのサービス精神(なかにはその"饒舌"を余り好まない聴き手もいるにはいるが)といった諸々の点において、世界の頂点に立っているのは、間違いないと思う。

そんな彼の、ピアノ一台だけでレコーディングしたアルバムの第一弾がこれ。

ピアニストにとって、腕の見せ場であるソロ。裏を返せば、実力のほどが全て露呈してしまう、怖~い場でもあるのだが、全曲、ピータースンは危なげなく最上級の演奏を聴かせてくれている。

スタートはガーシュウィン兄弟の「やさしき伴侶」から。聴き手はのっけから、ふんだんにちりばめられた、派手な装飾音に圧倒される。

リズミカルな「パーディド」。その左手の動きの鮮やかさは、名手アート・テイタムと並ぶぐらい、見事である。

バラード・ナンバー「ボディ・アンド・ソウル」も、この曲のメロディ・ラインの美しさを100%引き出し、なおかつ深いニュアンスを感じさせる演奏。

極力饒舌な表現を抑えた「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」の、ひたすら静謐な世界も素晴らしい。

バラードの「バイ・バイ・ブラックバード」「アイ・シュッド・ケア」、スウィンギーな「ルルズ・バック・イン・タウン」と、ジャズ・ファンにはおなじみのナンバーが続く。いずれも、メリハリの効いた構成といい、躍動感、情感にあふれた豊かな表現といい、まったく非の打ちどころがない。

ロジャーズ&ハートによる愛らしいバラード、「リトル・ガール・ブルー」。その表現は繊細にして透明。ピータースンの極上のリリシズムを、この一曲で感じてほしい。

ラストは、これぞピータースン!という極めつけの一曲、デューク・エリントンの「A列車で行こう」。「灯りが見えた」のメロディも巧みに引用しつつ、軽快にスウィングするご機嫌なナンバー。

以上、全編文句なしに100点満点な一枚であります。ジャズ・ファンならずとも、聴いて損は絶対ないと確信しとります。

<独断評価>★★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#329 エリック・クラプトン「安息の地を求めて」(POLYDOR 531 822-2)

2022-10-09 05:43:00 | Weblog

2006年9月10日(日)



#329 エリック・クラプトン「安息の地を求めて」(POLYDOR 531 822-2)

AMGによるディスク・データ

エリック・クラプトン、75年のアルバム。キングストンおよびマイアミにて録音。トム・ダウドによるプロデュース。

ソロ名義のオリジナル・アルバムとしては3作目にあたる本盤(「461オーシャン・ブールヴァード」と「ノー・リーズン・トゥ・クライ」の間に位置する)、世間の評価はさほど高くはないが、非常によく出来たアルバムだと思う。

サウンド的には前作「461~」を基本的に踏襲した、レイドバック・スタイル。レゲエ、ブルース、R&B、そしてゴスペルといった音楽を、ジャムセッション的な雰囲気の中でリラックスしながら演奏している、そういう一枚だ。

トップはゴスペル・ナンバーをカントリー・ブルース風味で料理した「ジーザス・カミング・スーン」。ECのドブロ・ギターがなんともシブい味わいを加えている。ジョージ・テリーのアコギもいい感じだ。

続く「揺れるチャリオット」も有名なゴスペル曲。レゲエ・アレンジに意表をつかれるが、これが意外といけるんだな。イヴォンヌ・エリマン、マーシー・レヴィ。ふたりの女声コーラスも、やや地味めなECの声を、うまくバックアップしていてグー。

「小さなレイチェル」は、ロッキン・ジミーことジム・バイフィールドの作品。R&B風味のこのナンバーを、ECはリラックスして歌っている。バック演奏がやや単調に流れ過ぎて、盛り上がりに欠ける感じはあるが、それもまたセッションっぽくていいんでないの。

レゲエ・スタイルの「ドント・ブレイム・ミー」は「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のアンサーソング。ECとテリーの共作。ECの歌も味わい深く、すっかりこの手のサウンドが、板についた印象がある。

アナログ盤A面ラストの「ザ・スカイ・イズ・クライング」は、エルモア・ジェイムズの作品のカバー。

エルモアの声をめいっぱい張り上げたボーカル・スタイルとは対極の、ECのボソボソッとした歌いぶりも、これはこれで悪くない。次第に感情を高めていくさまがいい。また、スローなアレンジにのせての、スライド・プレイにも注目。ワウを加えたその演奏は、スリリングのひと言だ。

ECは以後も「イット・ハーツ・ミー・トゥー」を取り上げるなど、エルモアへのリスペクトを明らかにしている。激情のブルースマン・エルモアは、ECにとってロバート・ジョンスンなどと並んで、永遠の憧憬の対象なのだろう。

「ブルースを唄って」は、レオン・ラッセル夫人としても知られるメアリー・マックリアリーの作品。「アフター・ミッドナイト」を思わせるノリのいいR&Bナンバーで、バック・コーラスが実に効果的。ふたりの女性抜きでは、このアルバム、実にしまりのないサウンドになっていたであろうね。

「ベター・メイク・イット・スルー・トゥデイ」は、ECの作品。ディック・シムズによるオルガンの響きが印象的な、内省的なムードのスロー・バラード。

ナチュラルで美しいメロディは、ECのコンポーザーとしての高い実力を、いまさらながら認識させてくれる。

ラテン・ミュージックなノリから一転、ビートルズ・ライクな美しいハーモニー・サウンドとなる「可愛いブルー・アイズ」は、これまたECの音楽的な幅の広さを感じさせるオリジナル。

ECのガットギター・ソロもいい。のちのアンプラグドな音世界は、ここに原点があるといっていいだろう。

「心の平静」も、メロディの美しさがキラリと光る、オリジナル曲。そのアレンジは「アビー・ロード」から「オール・シングス・マスト・パス」に至るあたりのサウンドをほうふつとさせる。

ECの非ブルース的な側面を代表する一曲といえよう。

ラストも、自作バラードの「オポジット」。どこか「レイラ」を思い出させるメロディ、繊細なアレンジ。申し分のない、極上のラブ・バラードであります。こんな曲、隣りでギターを弾いて歌われた日にゃ、どんな女性だってオチてしまうでありましょう。にくいね、コンニャロ! そんな感じであります。

オトコのファン向けには、ブルースやR&B路線、オンナのファン向けにはポップなラブ・バラード&レゲエ路線。幅広い音楽性でリスナーをがっちりつかまえる彼は、やはりホンマモンの世界的スターである。

常に最高レベルの楽曲を世界中のファンから求められるプレッシャー、これは大変なものがあるだろうが、それさえも見事に作品に昇華してしまう才能。EC、あんたはやっぱりスゴいお人ですわ。脱帽。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#328 ブラインド・ブレイク「キング・オブ・ザ・ブルース エントリー2」(P-VINE PCD-2253)

2022-10-08 05:26:00 | Weblog

2006年9月3日(日)



#328 ブラインド・ブレイク「キング・オブ・ザ・ブルース エントリー2」(P-VINE PCD-2253)

ブラインド・ブレイクの、26年から32年までのレコーディングから20曲をセレクトした編集盤。91年リリース。

ブラインド・ブレイク、1895年フロリダ州ジャクスンヴィル生まれ、1937年に亡くなっている。この夭折のギタリスト/シンガーは、さほど知名度はないものの、実はブルース史において、非常に重要な人物だ。

なんといっても、かのブルース・ボス、ビッグ・ビル・ブルーンジーが彼のギター奏法に強く影響を受けており、ブルーンジーを通して、その後のさまざまなミュージシャンに影響を及ぼした、そういう「ミュージシャンズ・ミュージシャン」なのである。

まずは、一曲聴いてみよう。トップの「ブラインド・アーサーズ・ブレイクダウン」はラグタイム・スタイルのインスト・ソロ。見事なリズム感、 華麗にして確かな指づかい、もうこの一曲だけで彼がただ者でないことがわかる。

ニ曲目の「ポリス・ドッグ・ブルース」は、ライ・クーダー、アーニー・ホーキンスなど他のミュージシャンによってカバーされることも多い、ブレイクの代表曲的存在。

軽快なギター演奏にのって、歌声も披露してくれるわけだが、この歌がギターとは対照的にヘタウマ系というか、素朴のひとこと。

力まず、まるで鼻歌を歌うかのようにボソッと自然に歌う。これがなんともいい味わいなのだ。

三曲目は再びインストの「ウェスト・コースト・ブルース」。語りを入れながら、リズミカルに演奏される。ラグタイム・ギターに挑戦してみたい人には、格好の教材になりそうな、コンパクトにまとまった佳曲である。四曲目の「ドライ・ボーン・シャッフル」は、かなり難度の高い、アップテンポのインスト。

そんな感じで、インスト曲、歌もの、ミドルテンポ、アップテンポと各種織り交ぜた構成。でもどれも、ハッピーな雰囲気の曲だ。

ブルーンジーについてもいえることだが、基本は非常にネアカな音楽で、高度の技術に裏打ちされていながら、そのいなたい歌声のおかげで、聴き手をほのぼのとした気分にしてくれる。

「スキードゥル・ルー・ドゥー・ブルース」では技術的に結構むずかしいスキャットをやったり、ハープを吹いたり、他のシンガー(バーサ・ヘンダースン)のバックで達者なピアノを弾いたりと、多才ぶりを見せている。ギター、ピアノの二刀使いとは、それだけでも凄くないですか?

演奏家としても、コンポーザーとしても、高い才能を持ち、でもひたすらシンプルでわかりやすい音楽をやる、これがブレイクの身上といえよう。

ロバート・ジョンスンのような、狂気と隣り合わせな才能とはまた違った意味で、ブレイクも天才なのである。

残念ながら、彼の音楽を知る人は、決して多くない。が、彼の生み出した、リズミックなギター・スタイルは、ロック、ブルースなどの「グルーヴ」のある音楽を演奏するギタリストならば、間違いなく受け継いでいる、そういう類いのものだ。

「リズムこそがギター・プレイの命」、彼のプレイはそう語っているように見える。

もっとギターがうまくなりたい、そう思っているすべての人々に聴いて欲しい一枚であります。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#327 メンフィス・スリム「MEMPHIS SLIM」(MCA/CHESS CHD-9250)

2022-10-07 05:31:00 | Weblog

2006年8月27日(日)



#327 メンフィス・スリム「MEMPHIS SLIM」(MCA/CHESS CHD-9250)

AMGによるディスク・データ

メンフィス・スリムの、チェスにおける初アルバム。61年リリース。

チェスからはもう一枚、66年に「THE REAL FOLK BLUES」も出ている。

メンフィス・スリム、本名ジョン・ピーター・チャットマン。その芸名の通り、テネシー州メンフィスにて15年に生まれ、88年パリにて亡くなっている。

メンフィス・スリムといえば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」の作者というイメージが強いが、他にも名曲を数多く作っている。「ステッピン・アウト」しかり、「マザーレス・チャイルド」しかり、「マザー・アース」しかり。

本盤はその「マザー・アース」をフィーチャーし、他にも「ROCKIN' THE PAD」「REALLY GOT THE BLUES」「SLIM'S BLUES」「BLUES FOR MY BABY」といった佳曲を多数擁している。

「マザー・アース」は既にヴィー・ジェイのライブ盤でもレコーディングしているが、これをスタジオで再録。「SLIM'S BLUES」も同様である。ロックンロール調の「ROCKIN' THE PAD」は、ヴィー・ジェイ・ライブ盤の「ROCKIN' THE BLUES」の改作にあたる。

メンフィス・スリムの魅力を一言でいうなら、「成熟したおとなのブルース」といったところか。

荒削りな激情のブルースは他のブルースマンにまかせておいて、彼はひたすら、彼ならではのライプでマイルドなピアノ・ブルースを追求している。

ギター・ブルース偏重の傾向が強い、日本のブルースファン、ブルースマニアたちには、一番敬遠されがちなジャンルといえるが、聴かず嫌いでは実にもったいないのである、これが。

ブルースといえば単調なパターン化されたメロディ、紋切り型の歌詞、つまり過去のブルースの引写し、みたいなケースがよく見られるのだが、真にクリエイティブなブルース作曲家というのも少数ながら存在していて、メンフィス・スリムはそのひとりといえる。

そのメロディラインは、ジャズの影響もあってか、非常に変化にとみ、過去のパターン化されたブルースとは明らかに違う。

歌詞にしてもしかり。「マザー・アース」「SLIM'S BLUES」の歌詞など聴き込むと、「ああ、このひとは詩人だなあ」と思う。他のブルースとは作詞術がだいぶん違うのである。

モノローグ、孤独なつぶやきではなく、歌を介して聴き手に語りかける、そういうスタイルなのだ。「エヴリデイ~」もまた、そのラインの上にある。

いってみれば、彼においてブルースは、彼の音楽を形成する「一部」ではあっても、すべてではない。

ジャズやクラシック、あるいはその他の音楽もいろいろとのみ込み、吸収した地盤の上に、彼の豊穣な音楽は花開いている。

すぐれた音楽家は、その人自身がひとつのジャンルだといわれるが(たとえば、サッチモ、マイルス、スティービー・ワンダーetc)、メンフィス・スリムもまた、そういうひとりだと思っている。

文句なしの流麗なピアノ・テクニック、ハイトーンが印象的な、ソフトな歌唱、そして含蓄にとんだメロディアスな楽曲。実に創造的だ。

ミュージシャンもまた「作家」であることを感じさせてくれる、そういう一枚なのであります。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#326 V.A.「紫のけむり(ジミ・ヘンドリックス・トリビュート)」(ワーナーミュージックジャパン WPCP-5639)

2022-10-06 05:27:00 | Weblog

2006年8月20日(日)



#326 V.A.「紫のけむり(ジミ・ヘンドリックス・トリビュート)」(ワーナーミュージックジャパン WPCP-5639)

AMGによるディスク・データ

ジミ・ヘンドリックスに影響を受けた新旧のアーティストによるトリビュート盤。93年リリース。エディ・クレーマー、ジェフ・ゴールドらによるプロデュース。

ジミとほぼ同世代のエリック・クラプトン、バディ・ガイ、ジェフ・ベックから、ザ・キュア、リヴィング・カラー、M.A.C.C.(パール・ジャム、サウンド・ガーデンによるプロジェクト)等若い世代に至るまで、さまざまなアーティストが、それぞれに趣向を凝らしてジミのナンバーをカバー。

なんと、ジャズ/フュージョン畑のパット・メセニーまで登場しているのには驚き。ロックにとどまらず、さまざまなジャンルのミュージシャンに影響を与えているんだなあ、ジミという人は。

比較的原曲に忠実なアレンジのもの(M3、M4、M5など)のものもあれば、かなり自己流というか、好きに改変しているケース(M1、M13など)もある。ギターをヴァイオリンに置き換えてのインスト、ふだんはクラシックを弾いているナイジェル・ケネディによる「ファイアー」なんて異色作もある。

ふだんはまったりとしたアダルト系の音楽ばかりやっているECも、本盤の「ストーン・フリー」では、けっこう歌、ギターともに"ロック"しているのが、ちょっと嬉しい。ちなみに、プロデュースはナイル・ロジャーズ。

個人的にイチ押しなのは、シール&ジェフ・ベックによる「マニック・ディプレッション」かな。

シールというのは、63年ロンドン生まれの黒人シンガー(ブラジル&ナイジェリア系)なんだが、抑え気味の中低音の声がなかなかソウルフルでシブく、おなじみジェフ・ベックの枯れることのないトリッキーなプレイと、見事なコンビネーションを見せている。一聴の価値ありです。

「マニック~」といえば、ポール・ロジャーズがジミヘン・トリビュートライブ盤で、実にカッコいい歌を聴かせていたが、そのロジャーズも、もちろん本盤に参加している。スラッシュ、そしてバンド・オブ・ジプシーズとの超強力コラボによる「今日を生きられない」で登場。パワフルなコクのある歌声で、聴き手を魅了してくれる。

クリッシー姐さん率いるプリテンダーズによる「ボールド・アズ・ラヴ」もいい。本盤で歌が抜群にうまいのは、彼女だな。

バックのハードなサウンドとは対照的に、意外とポップなボーカル・アレンジがなされているのは、米国の男女混成バンド、ベリーの「アー・ユー・エクスペリエンスト」。なんか、日本のブリグリにも通じる雰囲気があって、面白い。

ギター・プレイに、ジミの影響が色濃いのは、黒人バンド、リヴィング・カラーのコーリー・グローヴァー。ジミとの年齢差は22才だが、そんなことは感じさせないくらい、ジミの感性をまんま継承している。

ジミのファンキー&ラテン路線のナンバー「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をカバーしてみせたのは、パット・メセニー。ふだんのメロウでマイルドなメセニーとは、ひと味違ったトリッキーなプレイが新鮮です。

大トリは、若手代表という感じでM.A.C.C.の「ヘイ・ベイビー」。これが意外とストレートなカバー。変に今ふうのアレンジにせず、オリジナルのビートを尊重したのが、彼らのジミへの強いリスペクトをあらわしているようだ。

ロックの革命児、ジミ・ヘンドリックス。死後35年以上が経過した今でも、その影響力は現役トップ・ミュージシャンのそれにも匹敵するものがある。

そのギター・プレイはいうに及ばず、そのラフながらもインパクトにあふれたボーカル・スタイルにも、多くのファンがいるのだ。この一枚を聴き、さらにジミ自身の演奏に触れていくことで、ジミのスゴさは、よりはっきりと判ってくるはず。乞うご一聴。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#325 マイケル・シェンカー・グループ「神(帰ってきたフライング・アロウ)」(東芝EMI CP21-6052)

2022-10-05 05:24:00 | Weblog

2006年8月13日(日)



#325 マイケル・シェンカー・グループ「神(帰ってきたフライング・アロウ)」(東芝EMI CP21-6052)

AMGによるディスク・データ

日頃、ブルースばかり聴いていると、たまにまったく違うノリの音楽を聴きたくなる。ひたすらハードで、脳髄にガツン!と来るようなパワフルなヤツを。

ってことで、今日の一枚はこれ。

マイケル・シェンカー・グループのデビュー盤。80年リリース。ロジャー・グローヴァーによるプロデュース。

ドイツのハードロックバンド、スコーピオンズに、えらく若いのに凄腕のギタリストがいるらしいという情報が、ロック少年だった僕たちに伝わってきたのが72年ころ。それがマイケルだった。

兄ルドルフ率いるスコーピオンズを離れ、73年に英国のバンドUFOに加入。デビューヒットの「カモン・エヴリバディ」以降、パッとしなかったUFOを、その神業ともいえる鮮やかなギター・プレイで見事再生させる。まさに「救世主」であったのだ、マイケルは。

しかしながら、バンドでひとり異邦人だったマイケルは孤立しがちで、いろいろな精神的葛藤を抱えてしまい、5年ほどの在籍後、UFOを脱退。

しばらくの休養期間を経て、ついに本格活動再開!となったのが、このMSGなるグループというわけだ。

このアルバム発表時、マイケルは弱冠25才。だが、71年にプロデビューしてからすでに9年がたっており、そのプレイはもはや「王者の貫禄」さえ感じさせた。

コアなファンからは現人神のごとく崇められていたが、それも無理からぬことだったわな~。

事実、聴いてみればいい。たとえば「アームド・アンド・レディ」を。

このイントロ、リフ、そしてソロ。もう、ハードロック/へヴィーメタルの必修教科書とさえいえる、実に整然たるプレイ。一糸の乱れもない。

現在、第一線で活躍しているHR/HM系のギタリストで、彼の演奏に影響を受けなかった人間などひとりもいない。そう断言して間違いなかろう。

その太く、官能的で、しなやかなディストーション・トーンが、どれだけの数のロック少年たちを虜にしてきたことか。

あるいは「クライ・フォー・ザ・ネーションズ」「ヴィクティム・オブ・イリュージョン」「イントゥ・ジ・アリーナ」でもいい。

その正確無比なリズム感、そして頭に浮かんだフレーズをそのまま完璧に表現する高度のテクニック。ギタリストとして必要なすべてをもった男。神とよばれるゆえんである。

もちろん、マイケル個人だけでなく、それを支えるバックのメンバーのプレイも素晴らしい。

ヴォーカルのゲイリー・バーデン。MSGはマイケルが主役のバンドとはいえ、もちろん歌もののバンドである以上、シンガーは重要だ。彼の歌いぶりは、格別の個性は感じられないものの、声域、声量等、マイケルのプレイと比べてけっして聴き劣りはしない。及第点はクリアしている。

べースのモ・フォスター、キーボードのドン・エイリー、ドラムスのサイモン・フィリップス。彼らリズム隊も、表に派手に出てはこないが、正確で堅実なプレイぶりで◎。

リスナーの予想を絶対裏切らない「黄金分割」的な展開を見せる「イントゥ・ジ・アリーナ」とかを聴くと、「よっ!名人芸!」と大向こうから声を掛けてしまいたくなる。

現在、HR/HMは、いい意味でも悪い意味でも、歴史的な成長段階を終え、「伝統芸能」化しているような気がするが、そういうニュアンスでいえば、マイケルは、最初の「家元」なんだよなあ。

それまでは一種の実験音楽で、混沌とした状態だったHR/HMの世界を再構築し、造物主よろしく秩序を与え、音楽としてのかたちを整えたのが、マイケル。こうくれば、こう受ける、みたいな「型」が、彼のおかげで80年代以降、きちんと定着していくのだ。

やっぱり、彼は神だった、ということか(笑)。

それはともかく、このアルバム、歌とギターのそれぞれ占める割合が非常にバランスよい状態で、何度聴いてもあきるということがない。

そのへんは、バンド外の第三者であるロジャー・グローヴァーにプロデュースをまかせたことが功を奏したということかな。

マイケルのギターだけが浮き上がらず、ちゃんと「バンド」のサウンドとして成立しているのだ。

その後マイケルは、一時休止時期もあったものの、四半世紀以上にわたり着実に活動を続け、いまでは帝王の座をゆるぎないものとしている。

近年では、HR/HMだけでなく、ルーツ・ミュージック、ブルース・ロック的な方向性にも大いに興味を示して、「シェンカー=パティスン・サミット」なるユニットでも活動している。ブルース・ファンとしてはうれしい限りである。

25才にして、これだけのものを打ち立てた男である。今後も、つねに第一線でその才能ぶりを発揮していくに違いない。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#324 ワイルド・チェリー「WILD CHERRY」(EPIC EK 34195)

2022-10-04 05:31:00 | Weblog

2006年8月6日(日)



#324 ワイルド・チェリー「WILD CHERRY」(EPIC EK 34195)

AMGによるディスク・データ

白人バンド、ワイルド・チェリー のデビュー・アルバム。76年リリース。バンドのリーダー、ロバート・パリッシによるプロデュース。

このアルバムが出た当時、筆者は予備校生。そうかー、あれから30年もたってしまったのか~(溜息)。

デビュー・シングル「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」が全米のみならず、日本でも大ヒット。今でも、昨日のことのように覚えている。AMもFMも、こぞってこの曲をパワー・プレイしていた。

その歌詞、「PLAY THAT FUNKY MUSIC, WHITE BOY」に衝撃を受けた人は、実に多かったはず。「ええっ、これ本当に白人が歌ってんの?」と。

白人音楽には、いわゆるブルー・アイド・ソウルなるジャンルが以前からあったけど、これほどコテコテのファンクな歌ものバンドは前例がなかったからである。

とにかく、「コテコテ」。この一言に尽きる。

ヒット曲「プレイ~」にせよ、その裏ヴァージョン的「I FEEL SACRIFICED」にせよ、「WHAT IN THE FUNK DO YOU SEE」にせよ、もう「ど」がつくくらいファンクの塊。歌いぶりも、濃ゆーいコーラスワークも、そしてもちろん、ひたすらねちっこいリズムも。

でも、よくよく考えてみれば、彼らが「白人」であることをのぞけば、フツー過ぎるぐらい、フツーの音でもある。ごく標準的なファンク・ミュージックといいますか。ただ、演奏しているのが、白人であるというのが、目新しいだけ。

たとえば、プリンスやレニー・クラヴィッツのように、人種と音楽ジャンルの壁などあっさりと乗り越えて、まったく新しいタイプの音楽を作り出した、みたいな「天才性」あるいは「変態性」は感じられない。

いかにも、職人肌のローカル・バンド、場末のライブ・ハウスで、こつこつと演奏し、腕を磨いてきた連中、という感じなのである。

そうはいっても、このアルバム、新人バンドのデビュー盤としては、出来すぎというぐらいよく出来ていると思う。

スライ・アンド・ファミリー・ストーンに強く影響を受けたという、バンドの立役者パリッシ(ボーカル、ギター、作曲他)は、もちろん他のファンク・アーティストにも通暁しており、ファンクの一番美味しい部分を、凝縮して聴かせてくれる。

黒人の作るファンクは、その本人の「個性」が前面に出ているのだが(例えていうなら、ウイスキーにおけるシングル・モルト)、ワイルド・チェリーは、ファンクのもつさまざまな要素を解析し、それらを自分たち流に再構成してみせた(ウイスキーでいえばブレンデッド・ウイスキー)、そういう感じがする。

黒人たちにおいては、ただただ肌で感じ、実践する音楽であるファンクを、異人種である彼らは、頭の中でいったん客体化してから、自分たちの音楽に変換しているのではなかろうか。

古くはシカゴ・ブルースを、ポール・バターフィールドやマイケル・ブルームフィールドが自家薬籠中のものとしていったように、彼らはファンクという黒人音楽を完全に理解し、吸収し、そして再構築していった「フロンティア」なのだ。

「プレイ~」の後、大きなヒットに恵まれず、「究極の一発屋」の代表みたいにいわれがちなワイルド・チェリーだが、歌唱にせよ、曲作りやアレンジにせよ、リ-ダー、パリッシの才能はけっこうハンパではなかったと思う。

たとえば、バラード・ナンバー「HOLD ON」を聴いてみるといい。パリッシは、われらが山下達郎と並んで、異人種ながら「ファンク」なるものを的確に把握している数少ないひとりであることが、はっきりとわかるはずだ。

ファンク万歳。そう叫びたくなるような一枚。30年の歳月など、ものともせぬナイスな一枚である。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#323 ビッグ・ビル・ブルーンジー「GOOD TIME TONIGHT」(COLUMBIA CK 46219)

2022-10-03 05:10:00 | Weblog

2006年7月30日(日)



#323 ビッグ・ビル・ブルーンジー「GOOD TIME TONIGHT」(COLUMBIA CK 46219)

AMGによるディスク・データ

本コーナー、ひさびさの復活第一弾はこれ。ビッグ・ビル、1990年リリースのコンピ盤。本欄でもおなじみ、「ROOTS N' BLUES」シリーズの一枚でもある。30年~40年録音。

ビッグ・ビル・ブルーンジー。いうまでもなく、戦前のシカゴ・ブルース界における親分的存在である。

通称通りの堂々たる巨漢。きわめて精力的にレコーディングを行い、他のブルースマンの世話も非常にまめにやっていたという、ゴッドファーザー・オブ・ブルース。

でもそんな彼の音楽世界は、エネルギッシュというよりは、どこかほのぼのとしたものがある。そう、彼の笑顔の写真のように。

ブルースという音楽の持つ、「鬱」の部分は最小限に抑えて、悲しい歌をうたっても、どこかオプティミスティックな視線が感じられる。そんなブルースなのだ。

たとえば、表題曲の「GOOD TIME TONIGHT」がいい例だな。毎日しんどいことが続いても、「今宵佳き夜」とつかのまの宴に酔い痴れ、また明日からの辛い生活に耐えていくだけの心の糧を得る。そんな前向きな姿勢がそこにはある。

他の代表曲についてもそれはいえる。「I CAN'T GET SATISFIED」しかり、「WORRYING YOU OFF MY MIND」しかり。後者はミシシッピー・シークスやハウリン・ウルフでおなじみの「SITTIN' ON TOP OF THE WORLD」とほぼ共通の構成のナンバー。いかにも、ブルースの初期原型のひとつという感じの曲調だが、こういう8小節ブルース、カントリーの匂いも強く感じられるスタイルで歌わせれば、ビッグ・ビルの右に出るものはいない。

皆さんご存じの「KEY TO THE HIGHWAY」もまた、その流れにある。辛い人生でも、どこか一点の希望を持って生きていけば大丈夫。彼は、そういうふうに歌っているように思う。

その巨躯に似つかわしくない、どこか訥々としたあたたかみのある歌い口が、ビッグ・ビルの魅力。

ギター、ピアノ、ベースなど、生楽器のみによって演奏されるサウンドは、エレクトリック・サウンドを聴きなれた耳にとっては、「いなたい」「平板」の一言だろうが、何度も繰り返し聴いていると、次第に耳になじんでくる。

そのうち、最新の音楽などを聴こうものなら、刺激過多でうんざりしてくるようになってくるから、不思議なものである(笑)。

ブル-スとは結局「節回し」の音楽。ただ3コードの進行を持ってさえいればブルースというものではないことが、ビッグ・ビルの歌を聴くとよくわかる。執拗なまでに繰り返される、ブルースならではのフレージング。ワンパターンとはいえ、これがなんとも、クセになるのだ。

全20曲。シンプルなバック・サウンドに乗った「純度100パーセント」のブルースにたっぷりと酔って欲しい。もちろん、かたわらにはバーボン&ソーダのグラスなど置いて。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#322 ジョー・パス「BLUES FOR FRED」(ビクター音楽産業VDJ-1164)

2022-10-02 05:12:00 | Weblog

2006年6月25日(日)



#322 ジョー・パス「BLUES FOR FRED」(ビクター音楽産業VDJ-1164)

AMGによるディスク・データ

昨日のパーティ&二次会で燃え尽きてしまい、いまは完全に放心状態なので(笑)、きょうは短評にて失礼。

ヴァーチュオーゾこと、ジョー・パスのソロ・レコーディング。88年録音。エリック・ミラーによるプロデュース。

不世出のダンサーにして、俳優、歌手でもあったフレッド・アステア(1899-1987)にささげた一枚。

アステアの代表的レパートリーに、自作のブルース2曲を加えた構成。

もうこれが最高の選曲。アーヴィング・バーリンの「チーク・トゥ・チーク」をはじめ、ガーシュウィン兄弟の「オー、レディ・ビー・グッド」「フォギー・デイ」、コール・ポーターの「ナイト・アンド・デイ」など、ジャズ・ヴォーカル・ファンならなじみの深い名曲ぞろい。

これらを、オーバー・ダビングなし、すべて一発録りで演奏するわけだが、さすがギターの匠(たくみ)、ジョー・パスは、愛用のアイバニーズ一本で、見事弾き倒している。

考えてもみて。まったくバックにリズム楽器がない状態で、すべてのナンバーを弾いてるんだぜ。

スローなバラードだけならまだしも、非常にスウィンギーな曲調も、すべて自分自身の内側にあるリズム感だけで弾くわけだから、これを名人技といわずしてなんといおう。

エラとのコラボ盤のときにも強く感じたことだが、彼の弾くベース・ライン、本当によくスウィングしている。

本盤録音当時、パスは59才。まさに酸いも甘いもかみわけた世代。音楽のありとあらゆる要素を、ギター一本にぶちこんで、その可能性を最大限に追究している。

そして、単なるテクニックひけらかしに終わっていないのも、素晴らしい。

なにより、フレッド・アステアの「粋」なひととなりを愛し、その「粋」を音楽で表現してみせた。ジョー・パスもまた、アステア同様、偉大なエンタテイナーであった。

パスもこの世を去って12年になるが、その歌心あふれるプレイは、末永く聴きつがれていくに違いない。

<独断評価>★★★★


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