maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



日本より厳しいコロナ対策をしたドイツでは・・・

という事を、Podcastで紹介していた番組がありました。

 

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‎ニュース · 2023年

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流石はドイツですね。あの時は仕方なかっただけではなく、ちゃんと、

いまはどうすべきか考えて修正する。

日本よりだいぶ厳しい対策をしていたのですよ。

 

子供を学校から締め出した事で、鬱の増加や知能レベルの低下が問題化しているそうな。

そして、ワクチン激推しの政治家が批判にさらされるという状態になって

いるそうです。何故って、副作用が酷すぎたから。

ただ、批判にさらされながらも、ちゃんと説明責任を果たして、

ダメだった部分などを正直に話して理解を求めているそうです。

 

日本じゃ、自分は運び屋だと逃げ出したりしてますがね。

未だにテレビでワクチンCMやってるし・・・世も末。

 

反省など一切してないのが日本です。テレビ画面の中から、

あれだけ海外を見習えとか言っていたのにね。

 

不都合な事になると見習わない。ダブルスタンダードはダメなんですよ。

メディアや医師会の腐敗ぶりが凄すぎる。腐敗でなければ無能と

言い換えてもいいくらい。

 

ただ、文句を言わないで、だんまり決め込む事なかれ主義で、

面従腹背を続ける個人も、いい加減問題ありだと思う。

 



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本当に、本当に多くの人が、

健康が生きる目的になっている・・・

健康は手段ですよね・・・



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この、ナオミ・クライン著「ショックドクトリン」は、

10年以上前に読んだ本です。その後テレビに出てくる論客などの

知識人は、この本を引用したりする事が多かったほど、有名な本に

なりました。今でも時々話題になります。

大きな災害などの後で、人々が茫然としている間に、

新しいルールなどを一方的に作ってビジネスを大成功させる・・・

単に企業がやるだけではなく、経済学者なども、自分の学説が

正しい事を証明しようとして利用する・・・

 

でも、読んがはずの知識人ですら、便乗してしまったようで・・・

コロナは災害というか人災だと思っていますが、

ワクチンビジネスって、これだよね・・・と思う次第です。

この本を読んでいても、日本の知識人はダメでしたが・・・



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感じた事の四つ目、怒りですが、いろいろ考えていくと、迷惑マスク傘男に向かうより、テレビや医クラと呼ばれる専門家、こびなび、多くの知事達、政治家、運び屋太朗とか、とにかく煽りに煽った連中です。


今後、別のパンデミック騒ぎも起こるかもしれませんし、こういった騒動にならない為にも、少し過去を振り返ってみました。

公の場、言論の場で、堂々とコロナ対策はおかしいと主張した著名人で最初に目立ったのは、個人的にみて、常識を取り戻せと訴えていた漫画家(という思想家)の小林よしのりであって、専門家ではなかった。発信力のある人だからでしょう。

本来専門家がやるべき事なのに、データを駆使し、インフルとの比較や免疫の話、そしてウイルスと人間との進化の関係まで話を広げていったコロナ諭シリーズは今後も残る(恥ずかしい事を言っていた専門家も)本になったでしょう。

そこから数は極めて少しずつ、常識のある専門家もいる事を知り、確信を持つに至りました。その他、SNSやYouTubeで情報発信している専門家なども少しずつ増えました。情報は探せばある・・・ただし、そういう人はテレビに呼ばれない。

テレビを信じるといつまでも騙されます。マスクする自由はありますが、そろそろ行動変えないといけないのではと思いますけれどね。明らかにテレビ報道の流れが変わっています。いつまでも従っていると、同調圧力の加害者の立場にもなります。

勿論花粉症の人もいますが、例年だと1割~2割くらいの人がマスクしていただけだったのに、未だに95%以上のマスク姿は、異常だとしか思えません。

テレビを直ぐに信じてしまう国民性のお陰で、マスクやワクチンを疑うと、陰謀論を信じるバカ呼ばわりする人も増えてしまいました。だって専門家が言っているんだ、こびなびが言ってるんだ・・・って。

それに輪をかけてテレビが恐怖で色付けする。そしてそれに従う事がマナーみたいになる。そう、感染対策ではなく、最終的にはマナーもどきになっていきました。科学ではありません。

人間は感情論の物語が大好きで、簡単になびく特性がある。ある意味し方のない事なんですが、結果、日本が世界から取り残された。世界ではノーマスクなんか当たり前というのに・・・ここは怒りというより絶望。世界との比較検討も出来ないとは情けない。

煽りで一番最悪だった煽り報道の代表格は、モーニングショーの玉川徹でしょう。コロナコワイコワイという人達には、おそらく救世主のような存在になっていたのかもしれないですね。

コロナ脳の代弁者です。視聴率の為なら煽りに煽る、きっと高視聴率のお陰でボーナスアップできたでしょう。コロナ対策のせいで酷い目をみた弱者をしり目に・・・ただ、テレビ局は視聴率が全ての営利企業なだけ、という真実を思い出せばよいのですが。

テレビに出てくる人達がこれまで言っていた印象の強いもの・・・
「(PCRを)いつでも誰でも何度でも」
「全国民PCR検査、陽性者は隔離せよ」
「2週間後はニューヨーク」
「42万人死ぬ」
「来月は目を覆うようなことになる」
「3密回避、ソーシャルディスタンス」
「マスク会食」
「ワクチンパスポート」
「ワクチン2階接種で集団免疫」
「ワクチン追加接種でより守られる」(以後際限なくなるのでここまで)
「陰性者だけで経済回せ」
「マスクはパンツ」
「思いやりワクチン」

まだまだこんなものでは無かったですが、
この教義が広まっていました、お忘れではないですか? 専門家とかいう人達がこんな事を言っていた。まともな思考をしていたら、この発言でおかしいと感じるのですが、多くの人は真面目に聞いてしまった。そして必要以上に怖がった。

PCR検査も全国民が一斉同時にやらないと意味が無い上に、全員終わるまで何か月掛かるんだって話だし、擬陽性の問題もあるし、隔離場所の確保なんか無理だし、ニューヨークにはならなかったし、42万人死んでないし、目を覆うような事にならず、密や距離や会食を守っていたら、通勤電車にも乗れず、食事中にマスク着けたり外したりは汚いだけ。

変異するウイルスにワクチンは有効じゃないから昔から風邪のワクチンは不可能(出来たらノーベル賞)と言われたいたし、おまけにワクチン被害が大き過ぎて大問題(恐らくまだまだ拡大する)。

追加接種すれば長期間守られるとか言ってた専門家もいましたが実際は短期間でエンドレスが確定で、しかも打ってすぐ感染する人も出た。陽性者がいたって健康な人は重症化も少なく大丈夫なんだから社会はOKだし、マスクはパンツじゃないです(笑)。

そして、ワクチン被害で苦しむ人達への思いやりのなさったら、半端ないです(怒)。ワクチン被害者に寄り添っているのは、ワクチンに疑問を持つ医師達であて、推奨しまくっている専門家ではない。この思いやり詐欺にはあきれ果てます。誰を信用するか一発で分かるでしょう。

とにかく、コロナはさっさと無症状でも見つけ次第隔離してしまえ・・・こんな事やったて、ウイルスが無くならない限りエンドレスで対策を続けるしかない。勿論、犠牲になる人はいますけど、その犠牲の代わりに別の犠牲を出すだけです。コロナだけに集中して考えているから、不特定多数が生きているこの世の中という現実を忘れてしまっている。科学の力に頼りすぎ。

他人の為とかいいつつ、口だけです。コロナ脳の人がマスクやワクチンを煩く言うのも、結局は自分が守られたい為にお前も・・・というのが透けて見えてしまう。案外利己的な思想が透けてます。

目を覆うような事でいえば、超過死亡がえらい事になっているのに、そっちはスルー。そのうち、超過死亡が40万人超えてしまうかもしれませんが・・・人間として、何かおかしいとは思いませんか。42万人・8割おじさん西浦教授は、いまこそ騒がなければ嘘ですよ。

何一つ当たらない予測で有名な人を、よくメディアは使い続けるなあと関心します。やるなら超過死亡を調べたらどうでしょう。現在確実に進行中で世界でも話題になっているのに。

超過死亡には幾つか説はありますが、ワクチンは関係ないのか?、コロナだけど病院に行けなかっからか? コロナだとしたらワクチン効かない事が証明されるけれど、どうすんだ? 専門家なら真面目に忖度や先入観なく因果関係を調査すべき事態です。

自粛が続いて体力や免疫力が落ちたなんて言うのもありますが、だったらロックダウンは愚策になる。病院に行けないっていうのも、今現在、8波が収まった段階なのに昨年後半から今年にかけて救急車が走り回っていましたが、コロナ以外でしかない。

それにコロナでの死亡者数はカウント済なのだから、それ以外がこんなに増えるのは別の要因があるはずで、調べれば対策が出せるでしょう・・・何も検証しないのは救う気がないからでは?

コロナの2類をインフルと同じ5類にしろという意見も多くでていたのですが、御用専門家など、そんな事したら医療逼迫だとか言って反対を続けてきました。

そんな事されたら補助金も出ないし、そらあ反対するでしょう。そもそも、世界でも有数の病床数を持つ日本で、今まで波が来る度に病床逼迫を訴えていたのだから、明らかに対応が間違っています。

もう死の感染症ではないのが分かっているのだから、もっと早く5類にして、すぐ患者を治療できるようにすればよかった。それをまた、救急車が行先を探すのに時間が掛かると不安を煽っていただけのテレビ。病床に余裕があるのに、満室ですと断って補助金だけもらっていた人もいた。

だからこそ5類にすれば良かったのに、コロナは特別だと言い張る。お陰で風邪引いても気楽に病院にいけない。来月にようやく実現するらしいけれど、3年も掛かる事なのか?

煽り報道のお陰で、コロナで死亡した人、後遺症に悩む人には最大の哀れみが、それ以外の死者、ワクチン後遺症などは殆ど何も顧みられないという世の中にもなりました。

インフルや肺炎でも毎年沢山亡くなってますよ・・・なんて言っても、コロナを舐めるな、わかってない、コロナは怖いんだ、という感じで思考停止の感情論先行の人々を量産しました。かなり効率よく。そうなっている人には悪いけれど、ナチス時代に全体主義に加担した一般人と同じ。凡庸な悪の実践者です。

テレビに出てくる自称ジャーナリストや言論時も役に立たなかった。常日頃安倍政権を批判するのが仕事だったジャーナリストや評論家が、自動的に政府の初期対応を批判。

それで世間の声を代弁していると勘違いしているケースも目立った。安倍政権自体は色々やらかしているので批判されるに値しますが、コロナ対策の有意性を論じずに、盲目的に的が外れた批判をするだけになりました。

世界で厳しい対策を取る政治的リーダーを、医クラと報道が賛美し、国民が羨ましがり、それを叶えて上げましょうと政治が動く。

とくに野党や知事たちが酷かった。でもそれは、社会主義とか共産主義がやる事なのに疑問も持たず、突っ走っていきました。コロナの前では民主主義も自由は死ぬ。

この数年、怪しい道徳を押し付けてきたのは、その少し前に安倍政権の道徳教育を批判していたような人達でもありました。道徳は押し付けられるものでは無いとか、言ってましたよね?

結果最悪の形の衆愚政治。本来やるべきでない事を支持率稼ぎで迎合してやっていった。ジャーナリストもね。だから歯止めが効かない。後は転がるように落ちるところまで落ちる。

少子化を加速させ、短期だけでなく長期でも酷い事になると決定しました。今頃少子化問題を頑張るって、この数年で加速させておきながら、どの口が言うのか・・・特にリベラルな人達。

政治の側もほとんどの国民が洗脳状態にあるときに、対策を緩めるなど言い難く、当落線上にいる若手議員ほど、迎合するしかない状況だったのですが、それでも、日本をどうするかではなく自分の立場を優先したのだから批判に値します。

気が付けば、コロナ対策に約300兆円が消えた。日本の税収を知っていれば驚く金額です。コロナ病床詐欺ともいえる病院もありました。

分科会って何一つ成功してないない団体です。ワクチンも打ってマスクもしても、対策に関係なく感染は広がるときは広がり、収まるときは収まる。それだけです。自分の中では、だったら何もしないという対策が一番良かったり・・・と思わずにはいられない。

反省してこれからの事を考えるなら、煽ってきた事を認めて、修正するような情報提供の報道をすればいいのにと思います。いまのメディアは、何事も無かったかのように、マスクしない生活を報じています。

これまでの報道姿勢は行過ぎでしたとか、ちゃんと言わないと、コロナ脳の人は、急に梯子を外される状態なので、無用のトラブルを引き起こしますよ。マスク外せ警察とか言ってる場合じゃないって。というか、メディアがマスク外せみたいな事を言い出してるのは気のせいでしょうか?

とにかくテレビ、専門家の言う事は矛盾だらけで一貫性がなく、ゴールポストをずらしたり、無責任に煽っては逃げる。ワクチンを安全だから打てと言ってた人が、後になって、完成まで急すぎてこれは効かないと思ったとか言い出す人とか、打たない人はゴキブリだとか言っていたのに、途中4回目でリタイヤして別に過去を訂正する事もない、そんな人ばかり。

最近、厳しいコロナ対策を主張していて、ネットにもいろいろ書いている専門家が感染して話題になってました。シンガポールに旅行中、マスク外して写真撮ったのを自らネットに出していたら、コロナに感染してたという。おまけに、帰国時にはワクチン打った証明書のお陰で無審査帰国。

テレビなんかではやりませんが、あちこちから非難されてました。ワクチン証明で陽性者もスルーできるあほらしさについて、明らかにしてくれました。

ワクチンパスポート、証明書なんか、何の役にも立たない証明。こんなのやる前から分かるのに、世界中で冷静さを欠いていましたね。多分、もう既にそれに気づいているから、海外ではマスクなどの対策やめようって流れが変わったんですよ。日本は取り残されてますが・・・あとアメリカの入国も。

まあ、人には厳しい対策をしろと言っておいて、自らは破る。こういうダブルスタンダードを平然とやる人など信用できません。それがテレビや御用専門家です。

だから自分で考えられるようになってないと、これから大変ですよ。と、いろんな話題が出るたびに思っていたのですが、マスク率の高さをみていたら、ダメだこれは・・・と。同調圧力も分かりますが、どうせ殆どの人は周りが外せば恥ずかしくなって自分も外すのでしょうが、他人まかせの人生はおさらばした方が良いのになあ。

そして、そろそろ取り残されてしまうのが、コロナ脳、コロナ恐怖症になっていた人達です。彼らにしてみれば、最後の砦はマスクなのに、今まで味方だと思っていた人達が逃げ出し始まったようなものですね。

皆が信じていたものは、そんなものです。実態のない恐怖。それに気づいていた人から冷静になれたのですが・・・最初は国民の5%もいなかったのでは?と思っています。

逆に言えば、今後なにか凄いことが起ると、また同じように、盲目的にメディアを信じ、自由をかなぐり捨て、他人を監視し、正義マンが闊歩する事になります。今回は、いい意味で予行練習と考えて、次に活かさないといけない。

常識人でしょ、思いやりがあるでしょ、協調性高いでしょ、あなた方の仲間の印であるマスクをしてるんだから私を認めてね。ほら、鼻は出すかもしれないけど、口を隠しているでしょ。みてみて!

そうでない人をみると、ズルい、けしからん、自分は頑張っているのに!って他人に同じことを要求し、足を引っ張るのですが、そういう教育を受けてきたのも事実かな。(意味の全くない)ブラック校則を守らない人を責める風紀委員みたいに。守っていれば文句言われないのにっていう、変な諦め。

でも、自分は周囲の人達から認めてもらいたいという承認欲求はもってなかったのと、何が真実に近いのか、誰の言っている事が信用できそうなのか、自分で見極めて決めたかっただけでした。なのでオロオロする事も無かったので正気でいられましたが、周囲がなかなか追いついてこないのが、これはこれで辛い。

人間はある事に気づいてしまうと、他人がやっているからといって、あえて気付いた事の反対をやらされる事には耐えられなくなるものです。気づいてない振りというのもストレスです。

歴史の中には命をかけて主義主張を貫いた有名人はいます。周囲に媚びない人達がいてくれたお陰で、色々な恩恵を受けているはずです。

コロナに対して深い議論をすることが、ある意味タブーになっています(コロナ以外でも同じ)。いつの世も、タブーを破るところから、新しい事が始まる。概して日本人はそういうのが苦手な理由も、マスク率をみていると分かります。

公開の場で、マスクやワクチンについて、推進と否定の両方の人達で議論をやって欲しいですね。まあ推進派の議論は視野が狭く、一貫性も論理性も科学的なものもないのが良く分かるはずです。自分が知る限り、議論から逃げているのはこびなびなどの対策推進派です(運び屋はブロックで逃げる)。

自信があるなら、否定する論客をねじ伏せられるでしょう。コロナ脳の人達も、自分達の行動を肯定されたいはずなので応援したいでしょう。このまま、議論もなく、何となく5類にして、マスクも個人の自由で押し切って、何年か経ったら、もうみんな忘れてる・・ではダメだと思っています。今こそ、マスクの是非、ワクチンの是非について、専門家達でちゃんと議論をして欲しいところです。

最期に、車内トラブルにおいて、どう対処すべきなのかJRに質問してみました。その回答を待っていたので4回目のこれが遅れたのですが、やはり、というか、無難というか、その場から離れて乗務員か駅の係員・ガードマン、或いは警察に申し出て欲しいとの事でした。JRや他の公共交通機関も、毎日毎日マスクのお願いをウルサイくらいアナウンスしていたのだから、少しは何かマスク不要のアナウンスもやっくれてもいいのにな・・・



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傘で妨害されて感じたり考えた三つ目は・・・

実際に世の中で生きている人達は、どのくらいの割合で恐怖を感じているのか、対策とか行過ぎだと思っているのか、まだ足りないと思っているのか、分からないという不安です。

見た目は義理でマスクの人と、コロナコワイと過剰に怯えている人と同じで区別がつかないのです。そういう人への思いやり(という義理・義務・いい人と思われたいだけの偽善)・・・も、そろそろいいのではないですか?

そういう機運も高まっているとは思いますが、印象として、断固として抗ってやるという意気込みをもった人たちが少しいて、抵抗を強めていると思っています。自分が出会ったのもそんな人なのでしょう。

日本人・・・っていうと、多くの人は、真面目、思いやりがある、道徳心が強い、と、海外に比べて思っていると思います。でも、自分の中ではコロナ禍で観察して、一気に崩れました。

日本人の思いやりがあると思う人は多いでしょうが、そうでしょうか。当初は不幸にも感染してしまった人に対して、やたらと攻撃していました。

主にテレビに影響されて。ただマスクしてないだけで容疑者。コロナになったら犯罪者。そんな風潮を作ったのは、影響された人達の作用があったから。酷い人になると勘違い善意が暴走していました。

でもやっている人達は正義の行為としか思ってない。多数派の側にいた人たちは自分たちには常識があり、コロナを怖がり過ぎるなと言うだけで、非常識人扱いしてきました。心の中で、空気を読まない馬鹿な人だな、自業自得だ・・・とう空気が凄かった。流石に今は慣れてきてはいますが、まだ抜け出せていない様子です。

殆どの人はテレビを妄信するだけ。テレビからは、思いやりという言葉が流れてきて、それに従うと思いやりのある人間、従わないと非常識・非国民・犯罪者だと変な圧がありました。

でも、そういう思いやりって、自分からみていて響いてこないんですよ。口先だけで常にふわふわしていて、現実感がない。インフルエンザでは毎年数千人死ぬし、間接死で1万人くらい死んでいた。肺炎では10万人毎年なくなっている。そういう人たちへの思いやりなどあったかな?ロックダウンなんかしてたかな?(こんな事を言っても信じてもらえない)

こういう、ある意味での弱者を守る為、ここ数年の社会は健康な人に無理強いをする形でいろんな要請を行ってきました。が、その為に、新たな弱者を作り出し、大学生はろくにキャンパスに行かぬまま卒業とか、潰れる飲食店とか、バイト先も困り貧困にも影響するとか、見えない犠牲を出してきました。思いやりが足りないのではと思った人もいると思いますが、思いやりならこういった方々にこそ見せて欲しい。

当時、コロナに罹る人は、不真面目な人とかいう言説がありました。酒飲んでるとか、遅くまで遊んでるとか、人の多い処に行ったとか、当たり前の日常が非道徳的だとされた。営業してる店に貼り紙の嫌がらせをしたりしたし、三重県では感染者の家に石が投げたり、悪を成敗する怖い正義マンが出まくった。

こんなのがまともな社会の訳が無いのですが、みんなコロナ脳になっていて異常でした。店に入るとき、建物に入るときの体温チェックや消毒のお願い(という強制)も、異常なんですよ、本来は。それを大多数の人が異常だと思わないのだから、不思議な世界をみていた印象でした。

その結果、中国かと思うような監視社会の出来上がり。それに貢献した人が多かったんですよ。風邪をひくことすら許されない窮屈な状態に、皆で協力して作り替えていった。特に平和を愛し、軍国主義(全体主義)を批判していたリベラル系に。

その思いやりだって、単に人に合わせる事が目的になっている場合が殆ど。だからサッカーのワールドカップにしろ、WBCにしろ、みんな海外に行くとマスク外して大絶叫する。

それは結構な事なのですが、本当に思いやりがあって道徳心があるなら海外でも堂々とすれば良いのに。うつしたらどうするんだ?って思ってしまった(笑)。

帰国すると、マスクに戻る。日本でも外食してる人達の殆どは、マスク外してお喋りしながら楽しんでいます。それで良いのですが、店を出たとたんに、マスクする。意味があるとか、無いとかの前に、周りに合わせるだけ。周囲の人に、私はあなた方の仲間ですという印を付けるだけ。そうすれば責任を問われないし、安心できますからね。これ偽善ですよね。

で、周りに合わせ、何となく義務は果たしたみたいな顔してる。要するに文句を言われないように窮屈に生きてるのが日本人。個がない。からっぽ。だから大きな声で分かりやすいストーリーを聞くだけで皆が同じ方向に向かう。そして何故か、周囲に同調するだけで、思いやりがある人になれるという不思議。そらあ、なかなかマスクは減らないでしょう。そして自分としては、まだみんな怖がって生きているのかなあと・・・今しかないこの時間を・・・もったいないなあと、思ってしまいます。

ただ、周囲の目を気にした義務感で済んでいる人はまだ救いようがあります。これが義務なんだからと他人様に強要するとか、他人様が病原体に見えて人を避けるようになると心が病んでます。個人に踏み込んで教養するのは強要罪なので注意しましょう。

 

次は気になったこと四つ目になります。

 



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感じたことの二つ目、メンタルの問題、そして正義マン問題。

あの人は、可哀そうなくらいメンタルやられてるなあと思いました。前回も触れましたが、見えないウイルスの粒々が見えてしまうかのような感じになるようでは、カウンセリングとか必要なんじゃないのかなあと思います。

そのうち、コロナ恐怖症のカウンセリングとか治療をするクリニックとか出てくるのでは? そちらの出番です。というか、考えてる人はいそうだなあ。大体、マスクを信じているなら彼らは守られているはずで、ワクチンも打ってれば安心安全状態なので、他人がどうしようが構わないはずです。他人に文句をいうのが意味不明です。

ある種の潔癖症なのかも知れませんが、そこまで来ると電車には乗れないとは思うので、それとは別の何かです。コロナ恐怖症、ノーマスク恐怖症とかでしょうか。じゃあノーマスクの人がコワイという可哀そうな人がいるので、みんなでマスクしましょうなんて言い出したら、世の中はおかしくなります。下手な同情はすべきではありません。もしくは、皆やってるんだからお前もやれというのなら、そういう意味では弱者のルサンチマンとは言えます。それなら尚更な事に、そういう人に迎合する社会は危険です。ねじれた被害者意識から復讐してるだけの人に合わせこむ社会はろくなもんじゃない。

国が責任感じるなら、こういう人に対するカウンセリングとか治療に補助金出したらどうでしょう。PCRを無料にするとか、旅行割引とか、ワクチンとか、そんな事に税金を数百兆円も無駄金使ったこと考えたら安いものだし、実際に役に立ちそうですよ。無用なトラブルは減るし、社会にとって間違いなく良いと思います。コロナ対策も矛盾だらけで論理性のかけらもないのだから。(3回打ってたら帰国時にスルーで入国とか旅行支援も意味不明。3回でも罹る人はいる。マスクもワクチンも効果なし。)

さらに、メンタルの問題として、正義マンがあります。あの人の中では、マスクしてない悪い人が来たという認識がまず起ったと思います。ここから、いまの世の中に蔓延してる善悪二元論な世界そのままの事が起っていると思います。コワイことだと思っています。

まず、あの人にとってこちらが悪であると(勝手に)認識した事でしょう。すると自動的に、意識する・しないにかかわらず、自分は正義になります。相対的にそうなってしまうだけなんですが、世にはびこる正義マンの誕生です。

マスク警察はまさにこれ。成敗してやらなければと、自分の体力や格闘技をやっている訳でもないのに、他人にちょっかいを出す程無敵になれてしまうコワイものです。心の中ではスーパーサイヤ人。そして実際に成敗すると快感を感じるそうです。だから、あの人が電車から降りるとき、してやったりの顔をしていたのが良く分かります。

最悪の場合は両者激突する場合です。確かマスク警察の高齢者が、注意した若い人に逆襲を受けた話がありました。最初の高齢者は若者が悪に見え、何か一言言ってやらなきゃという正義マンになったのでしょうが、言われた側とすると、いきなりこんな布切れごときで説教くらった時点で、自分は別に悪くないのに何か文句を言ってきたとなります。今度は言われた方が、正義は我にあり状態でしょうから結局両者激突し、事件にまで発展する。それもあるから、自分の場合無視してて正解かなとも思ってます。悟空とベジータになってしまう。

煽り運転する人も、ある意味正義マンです。割り込みとか、自分は急いているのに遅いのはムカつくとか、追い越し車線から遅いくせにどかないとかがきっかけで、あいつは悪であるという感情・認識が起り、自動的に自分は正義になります(やってる事は悪ですが)。それが実際に正義かどうか、自分で正義と思っているとかは全く関係ないです。そして一回痛い目みるまで繰り返すのも快感が得られるから。もしかすると、あの人もまたどっかでやらかすかも知れません。

怖いのは、正義の側に立つと、相手にどんなことをしても許されるという感覚になる事です。勿論歪んだ正義です。コンビニ店員に土下座させた人、モンスターペアレンツもそう。何かあったとき、一言いってやりたいとか、制裁を加えてやりたいとか、そういう場面を想像するだけで普通は終わりますが、それを抑えられないメンタルの人がまれにいる。

コロナ初期には、駄菓子屋に「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」と貼り紙したり、飲食店に「店閉めろ」とか、ゴミ収集の人に対する嫌がらせもありました。忘れてませんか? こういう人にとって対象相手は悪なので、理不尽な要求や差別をしても構わないと思い込む。完全にメンタルがおかしい。それはメディアの煽りを真に受けた人達なのですが、その責任はメディアだけにあるのではありません(これについてはまた後日)。

最近ではスマホの弊害も言われていますが、いずれにしても感情が先走りすぎである事は間違いないです。今回の人も同じメンタルをしていますただ、その正義とやらの元になっている道徳観は、奴隷道徳ですね(これについては次あたりで)。

ただ、日本にはまだマスクしないと本気でコワイと思っている人がそれなりにいそうという事で、擁護者が少なからずいると思います。メディアが流すストーリーを信じ易いのは人間の性質ですが、一旦それを受け入れると、データを見せられても、正しい情報を聞いても、マスクやワクチンの効果を疑う事実があっても、脳内をアップデート出来ない。論理性より感情が先に来る。自分と同じ考えの人が批判されると、応援したくなったり、自分が批判されたようにもなるものです。

専門家など、どの分野でもあてになる人と、ならない人がいます。テレビに出てくるのは、あてにならない人です(最近では劣化ウラン弾は問題ないとか言いだした専門家もいるとか)。でもコロナ脳にとっては、信じたいのはテレビの専門家。自分の信じた事を強化してくれる先生。まあ人間信じたいものしか信じれないという性質があるのですが、日本人は世界に比べてテレビに全てを依存しすぎで、そのメンタルも危険です(これについても後日)。

戦時中に協力的でない人達を非国民と呼んで責めていた人達とも似ていると思います。戦後になったら、国にぶーぶー文句言ったり、あの時は仕方なかったとか言う卑怯者。状況次第でコロコロ変わるこのメンタルが日本人は海外に比べて多いのではないかと思っています。

話が大きくなってしまいましたが、まあ、白い布で感染が収まるなら、世界一の感染者は出ませんって。逆に付けてない国々が悲惨ね目にあってないとおかしい。ただそんな中で、下手すると日本はコロナ脳の望む清潔社会のような、全体主義の世の中になってしまいかねない。今だって、みんなが顔にパンツを付けてるか監視しあって生きている、しかも自主的に・・・

そういう3年間が終わるのか続くのかの境目に差し掛かっている。異常なんですよ、これ。自分が奴隷状態になっている事に気づけていない。奴隷から抜け出ようとしている人を反逆者のように扱う。お前もいい子でいなさいよって引っぱり下ろす。ただ、いつの時代もそういったものから脱却しようという精神が新しい世を作っていく・・・

ジョージ・オーウェルの「1984」や「動物農場」を読んでない人は、読むといいです。テレスクリーンから自粛しろとか、マスクしろとか、今の日本はみずからそういう世界に向かっている。嫌われないように、皆でいい子ぶりっこしてた。これに気付けない日本人のメンタルも非常に危険。たかがマスクではないんです。ちょっとくらい我慢すればって、ものではないんです。今後もそうなるかどうかは日本人次第なのですが・・・今のままでは危ういかも。

 

と、今回はここまで。

次は感じたこと3つ目へ。

 

 



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毎日テレビは野球の事ばかりで、3S政策真っただ中・・・

それはおいといて、感じた事、一つ目は差別についてです。

これ、露骨に差別されたと感じました。これは意外な感情です。実際に出会ってみないと分からなかったことです。

例えが上手く思いつきませんが、まあ人種差別と同じようなもの。自分と違う遺物を排除しても構わないという人が行う行為。マスクに必死な人は、これと同じ事をやっている訳です。

身分や、肌の色、国籍、などの理由から、お前はここに来るな、あっちいけと追い出すのと同じです。マスク一つで追われるのも、違いはありません。たかが顔の前につける白い布。これが仲間になれる印なら、仲間に入れてもらえなくて結構です。

そういう人は、この3年間、コロナの事を学んだのはテレビの情報だけなのでしょうが、情けない限りです。日本人はかなり劣化が激しいと思っています。でも実際は、そういう人達で溢れているのだとしたら、今後の世の中どうでしょう。これもまた、コワイですね。

あの人からすると、マスクしてない人は病原体、汚れ、犯罪者、としか認識してないようです。恐らく富岳のシミュレーションを見すぎて、マスクしてない口からは、ウイルスがぽろぽろ出てくるとか、見えない何かが見えてしまっているのでしょう。

今回、迷惑行為をされる側になりましたが、理不尽な差別を受けるとは、こういうものかと感じました。無知からくる人間の尊厳に対する攻撃です。オーバーだと思うなら、実際にそういう事をされてみれば良いのです。

中には、あの人はきっと怖かったのだから、思いやりをもってあげれば・・・とか言う意見もありそうですが、今回の相手に対して同情心は沸きません。煽り運転する人に対してそうならないのと同じ(これについては次回)。思いやりのない相手に思いやりは抱けない。自分はそこまで人間は出来ていませんので。逆に思いやって欲しいのはこちら側でしょう。

そういえば、コロナ初期には、ゴミ収集の人を差別したり、医者を差別したり、飲食店に嫌がらせしたり、駄菓子屋に張り紙するなどの反社会的行為をする人がいましたが、今もいるってことです。コロナがコワイのではなく、そういった人間が一番コワイのです。そして、そういう事が終わらない世の中が怖いのです。コロナまだ怖いとか言っている場合ではないと思っています。日本だけ怖いのか?世界に目を向けないでそどうするのか?

自分なら、怖かったら安全そうな場所に移るか、マスクしてくれとお願いするか、我慢するかです。

逆に、自分の近くで似たような事をされている人がいたら、自分はその人を助けます。

実際、自分は咳も出ないし、一言もしゃべってないです。だから飛沫が飛ぶとかもあり得ないのですがねえ。(今では飛沫ではなく、空気感染とかエアゾル感染と言われてます)。

これが、マスクもせずゲホゲホ始まったとかなら、不快に思う気持ちも分かりますよ。それが咳エチケットだろうし。でも咳も出ないのに、咳エチケットなんて、よく意味が分かりません。そんな事言ったら死ぬまでマスクです。コロナ以前にマスクです。咳すら許されない社会なのか? これ、どう考えても過剰ですし、エチケットのレベルを超えてます。

まあ、マスクしたい人はすれば良いので、ずっと着けててください。一生付けてても構いません。でも、こちらに同じ事を要求しないでください。それだけなんです。

長くなったので、今回はここまで。



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もう世界ではマスクなしで生活するのが常識になっているのに、日本では店という店でビニールシートでレジと客は隔離され、いまだにお金のやり取りはトレイのみという処もあったり、よくやるなあと思います。

海外から来る人に、素晴らしいオモテナシ。

3月13日より、政府から、今までも任意だったマスク着用が、個人の任意になるとアナウンスがありました。不思議な任意もあったものです。事実上の強制みたいな、でも強制って言ってないからね、あくまで国民の自由意思でマスクしてますよね、というグレーな状況に比べたら改善されました。ワクチンも同じ、あなたの意志でしょって事です。以前から続く自己責任が、こういう生活全般にかかっていた3年間。

そんな中、自分は任意でマスクなし生活を送ってます。この前まで花粉症で一ヵ月間ほどマスクしてました。一回風邪ひきましたが・・・マスクしてたのに(笑)。

今は、都内の電車など、海外からの観光客もマスクなしで電車に乗り込んできます。東京駅とか凄い外人率高い。日本人も、今までに比べてノーマスクの人は増えてきた。で、今回それに抵抗しようと必死な人に遭遇しました。ちょっと異様な感じでした。経験してみて、色々感じたり、分かった事があり、それは勉強になりました。

事の発端は、あるJRの社内、満員電車ではない状況。普通につり革もって立っていたら、少し斜め前にいた人が、ちらちら見るのは分かっていたのですが、おもむろにビニール傘を開きました。最初は、傘が壊れたかなにか、様子でもみているのか?としか思いませんでしたが、こっちが何も動じないでいたら、開いた傘をこちらに向けてきました。そういう事かと、ここで納得。

ただ、普通に考えて迷惑行為でしかありません。当然、自分とその人以外にも人はいる。そんなのお構いなし。ただ、そんな事、車内で起こるはずもないし想像もしてないので、流石に困惑しました。予測してない出来事のうち、理解不能な事が起こると、上手く行動はできませんね。(それにしても、ギャンのシールドかと思いましたよ。)

その傘を開いて防御態勢を取って近寄るなと言わんばかり。チラチラこちらを伺って、さらに傘を押し当ててくる始末。考えられる事はマスクのみ。でも何かを言ってくる訳でもない。マスクをしろとか強制してくるなら、出るとこに出るとか逃げるとか、お願いされれば、そうですかと聞くくらいの柔軟性くらい持ってます。ただ、あくまで任意の世界ですから、その任意をどう発動するかの選択肢は自分にあるという認識です。

でも呆気にとられてしまったのが一番でした。自分はそこに、大したことないでは済まされない社会の病を見た思いです。

とはいえ、その時頭の中をグルグル回った考えは、そんなにコワイならヘルメットに防護服でも着ればいいのに。今や海外からの旅行者がマスクせず堂々と電車にも乗ってくるこの日常を知らないのか?と思ってました。これから嫌と言うほど旅行者は増えるし、いちいちそんな対応するのかな?しかも田舎でなく都内でです・・・

まあ、マスクしない人がもっと当たり前になれば、ちょっと恥ずかしいかもって・・・なると少し期待しておきます。それよりも、自分みたいに思考するタイプの人間でなければ、車内トラブルに発展しますよ。あの人にとっても危険な行為のはずですが、その認識はないらしい。

自分は怖いんだっていう思いは分からなくもないですが、反応が子供じみています。関わり合いになりたくないタイプと認識しました。なので徹底的に無視。その位置から少し横にずれて、距離を保ちました。

でも、その人はこちらを見ていなくて気付いていないのか、ずっと傘で防御したまま。ちょっかいを出してこないなら、もういいやと無視。心中穏やかではありませんが、出来るだけ考えないようにしていました。

でも相手が子供や女性だったら、場所にも依るかもしれませんが、注意しにくる行為になっていたかも知れませんね。或いはもっと過激になっていたとか。こういうのは高齢者がやるのかと思ったら、高齢者じゃなかった。

まあ、あの人の心の中ではこっちが悪人なのだろうし(後で述べるつもり)、まあ何も言う事はありませんね。何か自分で体験して悟るのを待つしかない。その先の駅で、傘を畳んだ音がして、降りていきました。降りる時様子をみたら、こっちみて、なにかしてやったりみたいな顔をしていたので、ムカつきましたが、まあ居なくなるので良しとしました。関わり合いになりたくないし。(こっちら矢吹丈みたいな人間でなくてよかったね)

しかし、なるほど、これだけでも結構ショックでしたが。折角なので、いろんな意味で。感じた事を色々整理してみました。

一つ目は、露骨に差別されたと感じたこと これが一番先に来た。

二つ目は、メンタルの問題、そして正義マン問題。

三つ目は、そのとき周囲の人で、どの位の人があの異様な行動をみて賛同してるのか、反対するのか、それが不安になったことと、思いやりについて。

四つ目は、正直、色々と怒りの感情しか沸かなかったこと

長くなったので、一旦ここまでにします。

つづく



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いやあ、今日は電車の中でコロナ脳の嫌がらせに出会いました。

まあ、いろいろ想定はしているものの、実際に変なのに会うと、

意味が分からなくて困りました。ホント。

まあ口論する選択肢はないので、別に何も言いません。

直接なにかされたら警察に突き出すし、

マスクしてくれませんかと言われたらしてあげる。

言い方にもよるけれど、あまり気に障らない感じだったら

あ、忘れてたとかいってする・・・とかね。

 

電車の中はノーマスクはアウトだろうって?

いや、任意ですから。

今も昔も任意のままですから。そこは第一義です。中でも外でもです。

 

思いやりに欠けるのでは?

という指摘もありそうですが、その思いやりについても色々考えてます。

日本人の思いやりって、何か変。

それに、嫌がらせをしていい理由にはなりません。断じてありません。

あと、マスク外せ警察なんて言葉もありますが、

自分はそれは支持しません。するもしないも、個人の自由。それだけです。

ただ、あまりにも日本人は卑屈になってると思いますが。

そして、海外からの目を少しは気にした方がいいとは思います。

海外を見習えなんていいながら、もう世界の情勢は変わると、

自分が言ってたくせに見習わない。矛盾していて、変です。

 

そして、そんな迷惑行為をする人を作ったのは、テレビと専門家です。

何度も言ってますが、煽りに煽って、変な人を沢山作ってしまった。

社会がそれに迎合し、とくに子供や学生の大切な時間を奪った。

でも、これからは煽られた人を捨てにかかりますよ。

政府が任意と言い出したあとの報じ方みてれば、

なんとなく分かる。責任は取らない。

 

何回かに分けて、こういった事を思い出しながら載せてみたい。



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少なくとも、原因を追究しないなら、専門家なんか不要です。

ジャーナリズムもメディアもね。



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