maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



未だに、ロックダウンだの、
行動制限、人流抑制、ワクチンパスポート、
兎に角、人の行動を縛る事に余念がない人、
なにより、縛られる事を望む人が多い事に辟易する。

丁度、先月に本屋で前から読みたかった、謎解きカラマーゾフの兄弟という本を
見つけて、読み終わったあと、久しぶりにカラマーゾフ本編へと
読書が流れ込んだ。
今は、光文社の古典新訳文庫版です。

有名な、大審問官の部分、

人間という不幸せな存在にとっては、生まれながらに授かった自由という
贈り物を、いち早く誰に手渡すべきか、その心配ほど苦しいことはない・・・

人間の秘密とは、単に生きるとく事にあるだけでなく、
何のために生きるのかにある・・・

選択の自由という恐ろしい重荷に圧し拉がれた人間・・・

などなど、神が人間に与えた自由に苦しむ人間について、
登場人物のイワンが作った物語の超有名な部分で語られる。

サルトルの、人間は自由の刑に処せられているというのを思い出す。

結局、自由を守れとか、思想の自由、言論の自由、表現の自由とか言う割に、
いざとなったら自由を放棄してしまうのは、人間の、というか、
大衆の性質なのかもしれないなあ。

確かに、自由というのは、ある意味大変です。
何かに従って生きているのは、楽ちんだから。

家には、新潮社版のカラマーゾフの兄弟もあって、
同じ部分をこちらで読むと、また違った印象も出る。
久方ぶりに小説を読むと、哲学書とは違って、進む進む。

それと、哲学書をいくらか読んでいたお陰で、また違って読める。
この、いい循環が楽しい。



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