松が谷の矢先稲荷さん。
この頃、週1ペースで前を通ります。
17日(火)いちょうの落葉が処分されていましたが…
こうやってパッキンングされているのを見ると「ゴミ」には見えない感じです。
ここは「浅草三十三間堂跡」。
武芸が奨励されていた江戸時代に、三代将軍家光公が、弓術の腕前を競う場・弓術スタジアムとして、
通し矢の殿堂だった京都の三十三間堂を模した建物を建立したのだそうです。
元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転しましたが、
地元の方々の強い要望により稲荷大明神だけはここに残されることになりました。
そして名称を三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、「矢先稲荷神社」と称したということです。
拝殿の格天井には神武天皇の御世から今日までの人物・馬の姿態・武具・服装など、
考証により描かれた日本の馬乗史100枚の絵が奉納されています。
馬好きの宮司により始まったとされ、馬をテーマとした豊富な情報館としても知られているそうで、
遠からずゆっくりお参りしたいと思いました。
この頃、週1ペースで前を通ります。
17日(火)いちょうの落葉が処分されていましたが…
こうやってパッキンングされているのを見ると「ゴミ」には見えない感じです。
ここは「浅草三十三間堂跡」。
武芸が奨励されていた江戸時代に、三代将軍家光公が、弓術の腕前を競う場・弓術スタジアムとして、
通し矢の殿堂だった京都の三十三間堂を模した建物を建立したのだそうです。
元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転しましたが、
地元の方々の強い要望により稲荷大明神だけはここに残されることになりました。
そして名称を三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、「矢先稲荷神社」と称したということです。
拝殿の格天井には神武天皇の御世から今日までの人物・馬の姿態・武具・服装など、
考証により描かれた日本の馬乗史100枚の絵が奉納されています。
馬好きの宮司により始まったとされ、馬をテーマとした豊富な情報館としても知られているそうで、
遠からずゆっくりお参りしたいと思いました。