9月13日(日)現在はまだ優勝決まってませんが、今年のソフトバンクホークスの強さは圧倒的ですね。日本ハムとの3連戦を圧勝して優勝へ加速、その象徴の試合が9日のキャプチャー画像の瞬間だった気がします。
西鉄軍&西鉄クリッパース~西鉄ライオンズに始まる九州・福岡のプロ野球史をライフワークで追っている立場から、12日のTHE PAGEの記事「最強ソフトバンクは西武黄金期に匹敵!」という記事を読んで思ったことを書いてみました。
記事中にはありませんが、今のホークスの土台づくり&長期構想はすべて故・根本陸夫氏が練り上げたものと言っていい気がします。集英社の「Sportiva」でご存命の縁者をたどり長期連載されている「根本陸夫伝」を毎回楽しみにしてますが、ここには晩年の根本さん(ダイエーホークス編成~球団社長就任時)と毎晩のように野球論を語り合った故・和田博実さんの証言は当然ながら出てきません。
拙著「西鉄ライオンズとその時代(海鳥社)」執筆編纂時に監修いただき、晩年の和田さんとご一緒する機会が多かった私は、根本さんが目指していた球団経営とチーム編成の構想を度々伺いました。私自身、95年に王さんが監督に就任して以降の地元財界の後援会「王友会」の会報編纂を前職時代に担当していたこともあり、根本さんが実行していた補強や編成の裏側(本音)を和田さんから伺って納得することが多々あったわけです。
常勝軍団作りは結果として広島や西武の時より時間は要したわけですが、15年前に他界した「根本氏の遺産」であることは王会長や工藤監督らが一番感じている気がします。根本さんと和田さんが構想していたメモなども拝見し、ホークスの将来構想が強く印象に残っています。二人は殆どお酒を飲まず、和田さん宅で夜通し語り合っていたとか。
鉄腕・稲尾さんと永年バッテリーを組み、西鉄ライオンズの現役時代に完全試合2回・ノーヒットノーラン2回の捕手マスクを被った和田さんの実績がクローズアップされることは殆どありませんが、弱小近鉄で捕手からスタートした根本さんと和田さんは共通の野球視点を持っていたんだと思います。根本さんは球団社長に就任前から、工藤さんや秋山さんらを育てた和田さんを二軍監督に招聘(当時は別球団でコーチ)するつもりだったと伺いました。
その下敷きになったものに、成就しなかったものの福岡野球(太平洋クラブ&クラウンライター)が目指した育成&補強の大リーグ的球団経営手法があります。根本さんは福岡のライオンズ(クラウンライター)最後の監督、九州・福岡という土地柄も意識した豪快かつ繊細なチーム編成が、孫オーナーという最強のバックアップを経て開花しつつある、と解釈すれば「ソフトバンクホークスの育成主体で生え抜きを育て、緊急の弱点課題は助っ人で埋める」というシンプルな補強は当然の流れです。
同日の日刊ゲンダイの別記事に「孫オーナー&王会長で大リーグチーム買収構想」のネタ記事が出ていましたが、これも福岡野球&根本氏らが構想していた事なので夢物語でもない気がします。実際、福岡野球はマイナー球団を買収して若手選手を育成で送り込んでいましたし、それは西武球団になってからも継続され、工藤氏や秋山氏らは経験者であり和田氏が引率役でした。
当時の記録8ミリフィルムや写真アルバム群は和田氏が大切に保存し、私が遺言的にそれら資料の整理を頼まれたのは和田氏が亡くなる直前でした。それら資料は今少しずつ整理中。来年のライオンズ球団初日本一60年&九州・福岡の球団初日本一60年までに整理終えたいと奮闘中です。以前、王貞治ベースボールミュージアムでの企画展「九州の野球歴史展」を担当させていただいた時のように、何かしら発表機会があればいいなと思いつつも現状は動く余力なし。
大リーグチーム買収構想が実現するとすれば、それは根本さんが王さんをダイエーホークスの監督に招聘した時からの夢。ソフトバンクホークスが大リーグ優勝チームと世界一を競う夢を、いつかみてみたいと素直に思います。