◆世界のベストセラー聖書を読む◆
先に理解しておかなければならないことが沢山あって、それがユダヤの人たちには先祖伝来から体験させられ言われて来たことだと述べた。そうでない民は異邦人である。けれどイエスが誕生したことは、「異邦人の光となる」と言われるごとく、全世界の人に福音(よき知らせ)が述べ伝えられることになったのだ。そこで僕ら異邦人は、新約、そして旧約はなおさらそのまま読んでもさっぱり分からんなのだが、自分の言葉で格闘するとなぜか不思議なところにぶつかるのだね。僕などは、読んでいて分からんところがあると、何でだ!と内心ずぅ~と思い続けるたちな者だから特に命の言葉だろ・・・。んで、今と違ってああ書き間違えていたなどと消しゴムもないから書き直せない時代であることを思うのね。何百年後も後にまったく異なる記者が(長い生きせんから当たり前だが)こうなったとたんたんと記録していることが実は、先に書かれいたこのことだったのかと驚かされる記事がよく出てくるのだ。むろん記者は、記録している時は黙々と神の啓示とやらを受けて書いている訳でそのときは、一途な蟻んこ(前の回読んで)になっている訳だが、おまけに理由づけという解説も書かないわけ。しかし、今や僕らは、聖書という一冊で壮観的に鳥さん(これも前回読んで)になって広い視野で眺めることができる訳だ。
◆このことを自分の言葉で発見した時は、壮大な神のドラマを見せられた思いで、一瞬ええっ!という思いにさせられるのだ。すると、人間ていうのは、切った貼ったで何をあくせく地上に老いても100年生きるかどうかで、必ずや地上の生涯を終えてこの地上を飛び去っていくのに何をしているのだろうと思わされる訳ね。せっかく人生一度しかないのだから、このあたりの我らをつくり、いのちを与え、パラダイスに入るには不完全であるが故にイエスを信ずるという私個人のパスポートを受けたら確実に行けるし、その道を歩むと違った人生が歩めますよということをリコメンド推奨している訳なのです。蟻さんの日々の生活をしつつ、時折、鳥さんになって過去から、現在、そして未来まで人類の歴史を考えさせられる壮大な思いなのだ。
◆とにかく、そちらの列車にのっかている人と外から眺めている人とでは、相対性の理論では無いけれど列車の中での議論は、外の人々を列車に乗りましょうよと促しても、乗り込むには膨大なエネルギーが必要に思われてしまうのだし、外から見ると全くドメスチックな内輪だけの議論しかしてなくて自己満足しているだけじゃないのと思うのだね。それを破るには、やはり何かがないと聖書には食らいつかないだろうな。多くの人は、ユダヤの人の立場でなくてもその多くは、悲劇や悲しみ、どうしてこうなのかというやり場のなさ、そういう経験がないと神という存在に文句を言わないと思うのだ。「悲しみ会いたりしは我によきことなり」(詩編119:71節)コップが割れたなどをユダヤ人は今でもよき訪れが示されたという、あえて結婚式ではグラスを割る。神は地上での奴隷状態から救い出してくださったのだ。覆水盆に返らずは彼等がかつてのそのことを忘れるなと記念して、それを思い出させてくれたその一瞬を神の思いにフラッシュバックさせる感謝の一瞬でもあるのだ。歴史は一方向性に流れるのであると。あなたもいずれ、地上が放射能に汚染された墓場に訪れるひとなく滅び去っていくのは嫌ではありませんか。
◆しかし、彼を信ずる者は失望に終わることがない。天の記録には名前が記録されるのだという。そして彼はその地にvipクラスのあなた方の部屋を設けて待っておられるというのである。・・・Ω![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_1.gif)
先に理解しておかなければならないことが沢山あって、それがユダヤの人たちには先祖伝来から体験させられ言われて来たことだと述べた。そうでない民は異邦人である。けれどイエスが誕生したことは、「異邦人の光となる」と言われるごとく、全世界の人に福音(よき知らせ)が述べ伝えられることになったのだ。そこで僕ら異邦人は、新約、そして旧約はなおさらそのまま読んでもさっぱり分からんなのだが、自分の言葉で格闘するとなぜか不思議なところにぶつかるのだね。僕などは、読んでいて分からんところがあると、何でだ!と内心ずぅ~と思い続けるたちな者だから特に命の言葉だろ・・・。んで、今と違ってああ書き間違えていたなどと消しゴムもないから書き直せない時代であることを思うのね。何百年後も後にまったく異なる記者が(長い生きせんから当たり前だが)こうなったとたんたんと記録していることが実は、先に書かれいたこのことだったのかと驚かされる記事がよく出てくるのだ。むろん記者は、記録している時は黙々と神の啓示とやらを受けて書いている訳でそのときは、一途な蟻んこ(前の回読んで)になっている訳だが、おまけに理由づけという解説も書かないわけ。しかし、今や僕らは、聖書という一冊で壮観的に鳥さん(これも前回読んで)になって広い視野で眺めることができる訳だ。
◆このことを自分の言葉で発見した時は、壮大な神のドラマを見せられた思いで、一瞬ええっ!という思いにさせられるのだ。すると、人間ていうのは、切った貼ったで何をあくせく地上に老いても100年生きるかどうかで、必ずや地上の生涯を終えてこの地上を飛び去っていくのに何をしているのだろうと思わされる訳ね。せっかく人生一度しかないのだから、このあたりの我らをつくり、いのちを与え、パラダイスに入るには不完全であるが故にイエスを信ずるという私個人のパスポートを受けたら確実に行けるし、その道を歩むと違った人生が歩めますよということをリコメンド推奨している訳なのです。蟻さんの日々の生活をしつつ、時折、鳥さんになって過去から、現在、そして未来まで人類の歴史を考えさせられる壮大な思いなのだ。
◆とにかく、そちらの列車にのっかている人と外から眺めている人とでは、相対性の理論では無いけれど列車の中での議論は、外の人々を列車に乗りましょうよと促しても、乗り込むには膨大なエネルギーが必要に思われてしまうのだし、外から見ると全くドメスチックな内輪だけの議論しかしてなくて自己満足しているだけじゃないのと思うのだね。それを破るには、やはり何かがないと聖書には食らいつかないだろうな。多くの人は、ユダヤの人の立場でなくてもその多くは、悲劇や悲しみ、どうしてこうなのかというやり場のなさ、そういう経験がないと神という存在に文句を言わないと思うのだ。「悲しみ会いたりしは我によきことなり」(詩編119:71節)コップが割れたなどをユダヤ人は今でもよき訪れが示されたという、あえて結婚式ではグラスを割る。神は地上での奴隷状態から救い出してくださったのだ。覆水盆に返らずは彼等がかつてのそのことを忘れるなと記念して、それを思い出させてくれたその一瞬を神の思いにフラッシュバックさせる感謝の一瞬でもあるのだ。歴史は一方向性に流れるのであると。あなたもいずれ、地上が放射能に汚染された墓場に訪れるひとなく滅び去っていくのは嫌ではありませんか。
◆しかし、彼を信ずる者は失望に終わることがない。天の記録には名前が記録されるのだという。そして彼はその地にvipクラスのあなた方の部屋を設けて待っておられるというのである。・・・Ω
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