marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(222回目)ローマ人への手紙(10章1節~4節)

2017-01-02 11:23:23 | 日記
(10:1)兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らが救われることである。(10:2)「わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。」(10:3)なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。(10:4)「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終わりとなられたのである。」
◇さて、ここにきてパウロの手紙は、僕ら異邦人にはますます縁遠いものになってきた気がする。しかし、パウロの主張は一貫している。
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(4:13)「~世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく信仰の義によるからである。」とあったように先に読まれてきた回では誰に対してのメッセージなどであったかなどを考えると分かるが、ここでは本来神を了知しているであろうイスラエル、ユダヤ人たちが先祖伝来の言い伝えを遵守することで良しとしてしていた者たちに対してである。内容は煎じ詰めると「信仰の義を拒絶して、律法の義をイスラエルは追い求めた」それは、先祖たちの言い伝えを守りかたくなになっているということであると。神は本来、自由である。我等がどうこう思うおうとも。そして、生きて、動いて、働いていると。歴史は動き、神の存在、つまりキリストの神は全世界に普遍性をもって広まり、地上の人類、そして、全被創造物は次に世界への準備をなしていき神の到来を待ち望んでいるのであると。
◇しかし、その根は、選民族のユダヤ人にある。パウロは彼らが救われること。つまり、彼らがイエスを信ずることを心から願うのだった。彼らは神に対して熱心であるが深い知識によるものではないと。彼らは自分の義をたてようと努め、神の義に従わなかった。深い知識を求めれば、神の義を知り従うであろうと。それは、キリストを知ることである。
(10:4)「キリストは、すべて信ずる者に義を得させるために、律法の終わりとなられたのである。」・・・ 

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