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流石吉村昭の筆による歴史小説だった。主人公は杉田玄白ではなく!前野良沢
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小説の基調としてターヘルアナトミアを翻訳書『解体新書』の完成への道程。
18世紀後半に差しかかろうとする頃、まだ幕府の鎖国政策は厳しくキリシタンも異人との通交もほぼ閉ざされていた。
しかし唯一の世界への窓口長崎にはオランダ・中国に限定された交際が存在していた。
そのヨーロッパオランダの使節が来日すると江戸幕府への挨拶のために長崎からはるばると江戸へ東上した。当時このオランダの文化に興味を持ち、もたらす文物に関心を示す人たちがいた。
それは漢方医学に限界を感じていた医者の存在。もたらされる医学書に熱い眼差しを向け、苦労して接触の手ずるを掴み1冊のオランダ本を手に入れる。
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これがドイツ人クルムスが書き、オランダ人ラルデュス・デュクテンが蘭語に訳した本「ターヘルアナトミア」であった。
この翻訳のために集った医者が前野良沢、杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周。
この翻訳作業の中心になったのが前野良沢。他は蘭語に対しては殆ど知識を有していなかった。日本語に翻訳したいという熱い気持ちだけで四人は結束し、作業を続けていく。
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刑死体の解剖を実見してこの本の解剖図と照らし合わせ中国の「五臓六腑」の間違いを確認した彼らは益々翻訳への情熱を燃やす。
そいて完成。
問題はこの後。訳本は杉田玄白を柱に中川順庵らを脇に置き、訳者の名前に前野良沢はなかったのだ。
良沢は自分の名前を出してくれるなと頑強に断りをいれていた、何故か?
「いやしくも真理を推し活法を抽かずして猥に聞達の餌と為す所あらば神明之を倒せ」
吉村は中心人物に前野と杉田を置き、その対比をメーンに人間の行き方、学問の姿勢を問うたのだ。
「解体新書」はたいへんな評判になり杉田らは栄光の道を駆け上っていく。
一方、前野は誰知るともなく孤独の翻訳作業を続け、完成した訳書も出版することなく生活に窮しまさに落魄れていく。
間違いなく吉村は前野良沢の学問への厳しさを己に課し、孤高の道を選択した姿に憧憬を持っている。
ふとある想念が脳裏を過ぎる。
そういえば最先端生命科学の分野で世を騒がせた女子がいたなー割ぽう着を着て、研究室にカメラを入れ意気揚々と自分の大発見を誇示していた研究者の存在
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その快挙とされた「スタップ細胞」とは結局ウソだったという。記者会見で「スタップ細胞はあります」と名言した彼女、その後存在が否定されたのだ。
これは学問の世界だけではない普遍的な問題だと思う。