最近では珍しく心深く感動したドラマがあった。昨夜NHKで放送された「心の糸」、すごくよかった。
聾者の母と健常者の息子の二人暮し。母は魚の加工場で働いている。松雪泰子が全く言葉のない手話だけの演技という難しい役をこなしている。(「こなす」というのは適切な表現ではないと思うが他に思いつかない)
息子は神木隆之介。松雪については映画ドラマ見たことがなかった。これまであまりいいイメージを持っていなかったのだが、この難しい役柄を見事に演じきった姿に感動。イメージ一新。神木は少年から青年に脱皮しようとしている。自分もこんな時期があったよな・・・
ささやかな生活の中に突然波紋が起きる。ある日息子が街を歩いている時、偶々ストリートミュージシャンの演奏を聞く。若い女性がキーボードを弾いている。そして「へたくそ!」と彼は声にならない声を発して、その場を立ち去る。ところが、奏者も聾者で彼の口の動きで「へたくそ」という非難を読み取っていたことを彼女から伝えられる。そしてそれは手話という手段でー
そこから彼女(谷村美月)との付き合いが生まれ、母(松雪)と(息子)神木との生活に不協和音が生じるようになる。
ピアノで芸大に進学しようという母子の夢があった。清貧の生活の中で、ピアノの個人レッスンを受けさせるというのは経済的に大きな負担であろう。それでも二人の夢であった。
そのピアノに行き詰っている息子。ピアニストになることは自分の夢であったはずなのに少しずつ疑問が生じてくる。自分の夢ではなく「母の夢」を折っているに過ぎないのではないかー
そして、父親の死去の知らせが偶然に届く。息子はそれまで父親が生きていること、離婚したことを隠していた。父親は女をつくり、松雪に聾者であることから逃げていた。母親はその恨みを息子をりっぱに育て上げ、母親が耳が聞こえなくても息子はりっぱな音楽家になったということを伝えることで見返したい(障害者を差別し、女をつくって逃げて行った男に対して)それが復讐と考えていたのだ。
過去がわかって、二人は本音でぶつかり合う。「もういいでしょう、お母さんのピアノから逃げてもいいでしょう}と母親に詰め寄る神木。
ある日、谷村が出身校である聾学校に連れて行く。そして谷村が見せたのは屋上の捨てられたロッカーに刻まれた文字=詩。
t聾者できないことが3つある。耳で音を聞くこと。口でものを喋ること。そして無限の夢を見ること。
聾者ができることも三つある。眼で言葉を読むこと、手で会話をすること、そして現実の中に夢を求めること」
この詩がドラマの主旋律としてずっと流れている。「夢」の見方。果てしない夢は障害ゆえに見ることができない。しかし、現実の中にどこかに夢を見つけ追い求めることはできる。そしてその詩の作者は松雪母だった。
その頃母は息子に求めた(託した)夢を諦め、不似合いなグランドピアノを処分しようとしている。
神木息子が自転車で必死で追いかける。・・・
これはいいドラマだ。「心の糸」は聞こえなくても人間は対する世界と「心」で繋がっている。聞こえないはずのピアノの音が「私には聞こえる」と谷村が母親にいう。「あなたは心を閉ざしているー」
つい教師として見てしまう。
これはいい人権(「人権」と括らなくてもいい)教材になる!
そういえば、「アンビリーバブル」で放映されて知ったことだが、アメリカであった実際のプロアメフト選手の話。ホームレスだった黒人少年を引き取って育てていく平凡ないや神のような心きれいな家庭があって、その家族の一員として育てられた少年が才能を開花させ、ついにはビッグなアメリカンフットボールの選手になる話。マイケル・オアー、これはすでに映画になっているらしい。あれも良かった。
あんな素敵な美しい話ばかりを見ていたいものだがー
聾者の母と健常者の息子の二人暮し。母は魚の加工場で働いている。松雪泰子が全く言葉のない手話だけの演技という難しい役をこなしている。(「こなす」というのは適切な表現ではないと思うが他に思いつかない)
息子は神木隆之介。松雪については映画ドラマ見たことがなかった。これまであまりいいイメージを持っていなかったのだが、この難しい役柄を見事に演じきった姿に感動。イメージ一新。神木は少年から青年に脱皮しようとしている。自分もこんな時期があったよな・・・
ささやかな生活の中に突然波紋が起きる。ある日息子が街を歩いている時、偶々ストリートミュージシャンの演奏を聞く。若い女性がキーボードを弾いている。そして「へたくそ!」と彼は声にならない声を発して、その場を立ち去る。ところが、奏者も聾者で彼の口の動きで「へたくそ」という非難を読み取っていたことを彼女から伝えられる。そしてそれは手話という手段でー
そこから彼女(谷村美月)との付き合いが生まれ、母(松雪)と(息子)神木との生活に不協和音が生じるようになる。
ピアノで芸大に進学しようという母子の夢があった。清貧の生活の中で、ピアノの個人レッスンを受けさせるというのは経済的に大きな負担であろう。それでも二人の夢であった。
そのピアノに行き詰っている息子。ピアニストになることは自分の夢であったはずなのに少しずつ疑問が生じてくる。自分の夢ではなく「母の夢」を折っているに過ぎないのではないかー
そして、父親の死去の知らせが偶然に届く。息子はそれまで父親が生きていること、離婚したことを隠していた。父親は女をつくり、松雪に聾者であることから逃げていた。母親はその恨みを息子をりっぱに育て上げ、母親が耳が聞こえなくても息子はりっぱな音楽家になったということを伝えることで見返したい(障害者を差別し、女をつくって逃げて行った男に対して)それが復讐と考えていたのだ。
過去がわかって、二人は本音でぶつかり合う。「もういいでしょう、お母さんのピアノから逃げてもいいでしょう}と母親に詰め寄る神木。
ある日、谷村が出身校である聾学校に連れて行く。そして谷村が見せたのは屋上の捨てられたロッカーに刻まれた文字=詩。
t聾者できないことが3つある。耳で音を聞くこと。口でものを喋ること。そして無限の夢を見ること。
聾者ができることも三つある。眼で言葉を読むこと、手で会話をすること、そして現実の中に夢を求めること」
この詩がドラマの主旋律としてずっと流れている。「夢」の見方。果てしない夢は障害ゆえに見ることができない。しかし、現実の中にどこかに夢を見つけ追い求めることはできる。そしてその詩の作者は松雪母だった。
その頃母は息子に求めた(託した)夢を諦め、不似合いなグランドピアノを処分しようとしている。
神木息子が自転車で必死で追いかける。・・・
これはいいドラマだ。「心の糸」は聞こえなくても人間は対する世界と「心」で繋がっている。聞こえないはずのピアノの音が「私には聞こえる」と谷村が母親にいう。「あなたは心を閉ざしているー」
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つい教師として見てしまう。
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そういえば、「アンビリーバブル」で放映されて知ったことだが、アメリカであった実際のプロアメフト選手の話。ホームレスだった黒人少年を引き取って育てていく平凡ないや神のような心きれいな家庭があって、その家族の一員として育てられた少年が才能を開花させ、ついにはビッグなアメリカンフットボールの選手になる話。マイケル・オアー、これはすでに映画になっているらしい。あれも良かった。
あんな素敵な美しい話ばかりを見ていたいものだがー
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