おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

あーあ「龍馬伝」終わっちゃった!

2010年11月29日 07時27分44秒 | 日記
龍馬、殺さる

慶応3年、1867年の11月15日の晩、京都河原町四条上ル醤油屋近江屋にて、土佐藩坂本龍馬、同じく中岡慎太郎、下男藤吉の3名が何者かの手によって暗殺された。
このことは歴史的な事実である。

坂本は土佐藩の下級武士(下士)だったのだが、どこから来たのか天性の「時代を見抜く先見性」を持っていた。

土佐人の豪放磊落さは風土から来るものなのだろう。土佐っぽはよく酒を飲む。たしかに「土佐鶴」はうまかった。そして桂浜にも寄った事があるが、海岸線の美しさと豪快な波が打ち寄せる浜辺。ここに立って海の向こうの知らない世界に思いを馳せるそんなロマンを育てる地理的風土がある。龍馬には土佐特有の豪放さ、天衣無縫なところがある反面、意外にも女性に対する細やかな配慮も持っていたようだ。薩摩そして霧島への新婚旅行なんて当時の侍、だれも考え付かなかったことではないか?

ドラマは龍馬の最期をリアルに描いた。

結局、京都見廻組今井信郎が斬ったと描かれていた。しかし、暗殺の犯人については謎が多く、断定はできない。先日ブログで書いたように佐々木只三郎という説(早乙女貢)もあるし、三好徹は後藤象二郎が怪しいとみる。船山馨は薩摩陰謀説だし、証拠が少ないので謎は謎を呼ぶ。新撰組の原田左馬之助説(残され僅かな物証の一つ下駄が原田のもの)もあるようだ。
しかし、龍馬は無防備だった。寺田屋事件の時のように高杉晋作からもらったピストルを携帯していたならばとかもし風邪気味でなかったならばいつものように裏の土蔵の二階の隠れ家に潜んでいてもしものことがあっても逃げられただろうに・・・とかいろいろ思う。そして中岡が訪ねてこなかったらという「もし」もある。

                 
            

龍馬はもてた     垂涎の一滴

千葉道場の佐那、寺田屋のお登勢そしてお龍、ほんとうはまだいるらしい・・・
貫地谷しほりの佐那、草刈民代のお登勢いずれもよかった。真木よう子のお龍もよかった。出会ってから始めの頃のはねっ返りの娘お龍にどーんと太っ腹で接して次第に心を引き寄せていくところが何とも言えずロマンティックで・・・

龍馬の恋愛を「小児的受動性」と書いている学者もある。潜在意識としてはマザーコンプレックスよりも「乙女姉」コンプレックスが濃いだろう。どうもその所為か年上好みではなかったのか?お登勢は当時36歳だったという。世話焼きのお登勢の「乙女姉」を見たのではないかと思う。草刈お登勢だったら、誰だって好きになっているよなあー

貫地谷佐那はすごくいじらしかった。前作?でもそんな役柄ではなかったかな?あの子化粧品の宣伝に出ているけど、あれは似合わないな。

自分の歴史への興味とドラマの時代と人物が重なったということもあるが、楽しみに見てきた。しかし、今度同じように見るだろうか?



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