○ 米国では会社は株主のものと考えられていますね。また、純資産のことをShareholder’s
EquityとかShareowner’s Equityといいますので、日本語にすると株主資本ですね。2005(H17).5.27に公表された、企業価値研究会の「企業価値報告書」では、「会社は誰のものかという意識の変化」(報告書P17以下)について記載されています。それによると「我が国の会社法制を基にして考えると、法律的には、株式会社は株主のものであることは言うまでもない。しかしながら、会社は、従業員や地域社会など、既に会社に対して関係投資を行っている、いわゆるステークホルダーのものでもあり、どちらも真実であると言える。
日本においては、従来から、会社は株主のものというよりも、むしろ従業員や取引先、地域社会といったステークホルダーのものであるという考え方が強かった。
例えば、95年に発表されたある調査によると、「会社は誰のものか」という質問に対して、米国では約8割弱、また、英国では約7割の者が「株主」と回答したのに対して、大陸欧州諸国のドイツやフランスでは、約8割の者が「ステークホルダー全て」と回答していた。また、日本においては、97%の者が「ステークホルダー全て」と回答していた。しかしながら、10年たった今では状況は大きく異なっている。今年3月、日本経済新聞社が行った経営者と市場関係者を対象としたアンケートによると、「会社は誰のものか」という問いに対して、経営者と市場関係者の約9割は株主のものであると回答しており、アンケート結果によれば、「会社=株主のもの」という考え方が日本においても重視されるようになってきている。」<o:p></o:p>
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○ 企業価値研究会報告書では、りっぱな先生方などの討議を経て作成された割には、「買収防衛策導入」という意思のもと、予断や英米偏重の一部の偏狭的な考えをあたかも普遍的なことであるような言い方をして、十分な検討を行うこと無しに猿まね導入しております。ではどんな点が問題なのでしょうか。
1) 「法律的には、株式会社は株主のもの」:会社法に会社は株主のものであるなどという規定は存在しません。米国などの考え方を疑問に思わす、深く考えもしない法学者等が言い出したことでは無いでしょうか。もっと基本的なことをしっかり考えて議論して欲しいと思います。例えば、所有ではなく、株主権をゴルフの会員権みたいな構成・理論建てすることも可能なのではないでしょうか。
所有権というのは、民法学者は「物を自由に使用・収益・処分する権利」のことですと言っています。株主は会社の財産を自由に処分できますか。勿論出来ません。収益も、その会社の取締役に経営を託して得ます。また株主は自分の払込んだ資本を処分する権利も、変形として解散決議としてはありますが、直接の処分権はありません。どうしてこれで、会社は株主のものなどという理屈がなりたつのか不思議です。基本的なまた本質的な事を究める姿勢の無い法学者が勝手に言っていることです。全く怠慢としか言いようがありません。<o:p></o:p>
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2)「従業員や地域社会など、既に会社に対して関係投資を行っている、いわゆるステークホルダーのもの」:この言葉はでたらめです。従業員は労働力という資源は提供していますが投資はしていません。地域社会も投資はしていません。結局ステークホルダーのものと言っても、その中心はその会社の、役員だけではなく、役職員全てのものと考えるべきではないでしょうか。<o:p></o:p>
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3) 経営者と市場関係者の約9割は株主のものであると回答:アンケートの分母が違うものを意図的に持って来ていますね。会社は株主のものということを正当化するために、意識的に自分に都合のよい統計を持ってきただけです。こういった経産省の役人の意図的な操作を真に受けてはいけません。企業の経営者も、建前として「会社は誰のもの」と聞かれれば、一番波風が立たない株主のものと答えます。しかし、日本では、経営者も内部昇進ですから、本音で言えば、自分たちが育ててきた会社、役職員の会社と言うのでは無いでしょうか。<o:p></o:p>
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○ 「会社=株主のもの」という考え方は、英米の発想であり、世界共通のものではないのです。誤った考え方です。全く、その会社で働く役職員を無視した非常識な考えであり、この非常識を常識と考えている人が多いのはおかしいし改めて欲しいと思います。会社で働いて、利益を上げているのは、その会社の役職員です。その役職員が知恵を出し努力して取引先・お客さんの要求に応えて汗で稼いだ利益が、どうして株主のものになるのでしょうか?株主には、出資の対価として配当が分配されます。それでいいのです。株主でいることがイヤならマーケットで売却すればいいのです。「会社=株主のもの」というのは、アメリカの奴隷制度の発想と同じです。奴隷が稼いだものは雇い主(奴隷の所有者)のものとする考え方です。こんな不公正な考え方はありません。<o:p></o:p>
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○ しかし、米国でも1974年のERISA(Employee
Retirement Income Security ACT=従業員退職所得保障法)発足を引き金とし、急激に労働者が拠出する年金基金などが株主として登場しました。従い、奴隷であった労働者が回り回って株主側にも立って来たのです。従い、結果として奴隷でもあり投資家でもあるという二律背反の地位を獲得してきたのです。<o:p></o:p>
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○ しかし金融が暴走し米国の市場原理主義の価値観は、金融危機で崩壊しました。この反省に立ち、今までの考え方を反省し改めるべきなのに、改まっていないのは如何なものでしょう?市場原理主義でも、また欧州の産業民主主義でもいいのですが、究極の目的を考え「人々に金銭的な面から公正妥当に幸せを与えるもの」という点を根本的な出発点とすべきです。会社は株主のものと考えるのは公正妥当ではありません。日本の猿真似学者、経営者、市場関係者、専門家が、この役職員・労働者の貢献と利益を無視する発想に染まっているのは如何なものでしょうか。米国でも、健全な常識を持っている、ジョンソン&ジョンソン社=J&Jなどは、こういった考えは持っていません。<o:p></o:p>
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○ ①日本では、企業は持ち合い株式が減ったとは言えまだ持ち合いが行われている。従いお互いステークホルダーの物と言ってもお互い様ということもあります。結局会社は、その会社で働く役職員のものと考えるのが良いのではと思います。②日本では、経営者はその次の経営者を指名します。米国で時々見られるように株主指名の社外取締役がCEOなりを指名する構造にはなっておりません。③また年金基金の運用はまだまだ国債なので債券中心であり、株式が中心になっていない。即ち労働者=究極的には投資家・株主という構造にはなっていなないのです。こういった根本的な構造の違いを十分考察すること無しに、会社は株主のものという、英米の浅薄な不公正な考えをそのまま持ちこんだ、浅学寡聞の学者・経営者・資本市場関係者の間で一般化していることがおかしいのです。<o:p></o:p>
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○ 会社は、そこで働く役職員一同のものです。会社は、役職員の貢献に答える十分な給与・福利厚生を充実し、役職員の競争力・モラルアップを計り、一層の付加価値を作り出す力を持ち、世界のメガコンピティションに対抗できる会社を作る必要があるのです。その基軸に「会社は役職員一同のものであり、役職員に金銭的な面と遣り甲斐という精神面から幸せを与える組織」という認識を持つことが重要だと思います。