とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

舞台『善き人』を見ました

2024-04-12 08:09:25 | 演劇
 世田谷パブリックシアターで上演された舞台『善き人』を見ました。ナチに取り込まれていく過程が自分にも同じようなことがあるのではないかと思わせ、ラストシーンのすごさに圧倒される作品だった。ただし、準備不足を感じさせる舞台でもあった。

 ベルリンの大学で講師をしているジョン・ハルダーは、過去に書いた安楽死に関する小説を、ヒトラーが気に入ったことからナチスに取り込まれていく。彼はナチスに入党せざるをえなくなり、ユダヤ人の友人モーリスとも次第に溝が深まっていく。モーリスの国外逃亡を支援するが、彼は捕らえられて収容所に送られる。ジョンは、職権を利用してモーリスが送られたとされる収容所に向かう。そこでユダヤ人たちの悲惨な状況を目にする。そしてユダヤ人たちの奏でる美しい音楽に遭遇する。

 このラストシーンがすばらしい。人間が生きていくと気づかないまま流されて巨大な権力に取り込まれてしまう。それが社会なのだ。しかしナチスなど、根本的な「悪」に取り込まれてしまったら、それは後戻りのできない大きな罪悪となる。そうならないために批判的な眼を養う必要がある。ジョンは批判的な眼はもっていた。しかしそれを発揮する勇気は持っていなかった。そんな弱さこそがこの演劇の注目点である。ラストシーンはそこに集約していく。だから思い。

 ただし、途中の完成度が低い場面が多い。まずは歌がまだあぶなっかしくて聞いていられない。しかもセリフが「セリフ」であり、自分の言葉になっていない箇所がある。稽古時間が短いまま本番を迎えてしまったのではないだろうか。厳しいことを言うようだが、結構高いチケット代である。しかもすでに高い評価を得ている戯曲である。残念である。公演中であるが完成度を上げてもらいたい。
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ショーン・ホームズ演出舞台『リア王』を見ました

2024-03-15 17:31:50 | 演劇
ショーン・ホームズが演出、段田安則が主演を務める『リア王』を見ました。斬新な演出で、緊張感が持続する舞台でした。

幕が上がると白い背景、舞台の上には蛍光灯が点灯し、不思議な現代的な空間が現れ意表をつく幕開きとなりました。登場人物も現代的な衣装を着ています。人物の区別がつきやすく、大げさな歴史性が捨象されているために、セリフの意味がストレートに伝わってきます。人物関係もわかりやすくなっているような気がします。おそらく後半のごちゃごちゃした箇所が省略されていたので、すっきりしているのではないかと思われます。

いろいろな考え方はあると思いますが、私はシェークスピア作品をそのままの形で、現代に、しかも日本で上演するのは無理があるように思います。とくに『リア王』はあまり上演されることがなく、観客も準備ができていません。ある程度、台本に手を入れるのはいいことなのではないかと思います。そのおかげで内容に無理なく入っていくことができたような気がします。

私が小学生か中学生の時、国語の教科書に『リア王』が載っていました。もちろんごく一部です。三姉妹のリア王に対する愛を語る部分です。私はその時とても違和感を覚えました。コーディリアがなぜリア王への愛を語らなかったのか、それが逆に偽善のように感じたのです。教科書の意図は、嘘はいけないというものだったのかもしれませんが、そんなに単純なものではないと子どもながらに考え込んでしまったことを記憶しています。

コーディリアがリア王を愛していたことは確かだし、それを何も飾らぬ言葉で語ってもよかったのではないかと思ったのです。それができなかったがためにリア王の人生は狂い、一族の運命が破滅に到るのです。コーディリアがすべての原因だったということになるのです。この理不尽な展開が子どもの私には理解できなかったのです。しかし今回あらためて見てみると、こういう不条理こそが人生そのものなのだと感じました。年をとるということはこういうことを受け入れるということなんだなと不思議な気持ちになりました。

それにしても、昔は演劇がちゃんと教材になっていたことが今考えれば驚きです。ほかにも『ジュリアス・シーザー』のアントニーの演説も授業で学びました。教科書にあったのです。昔は余裕があったのですね。演劇は表現を学ぶいい教材です。国語教育に積極的に取り入れることを期待します。

主な出演者は段田安則、小池徹平、上白石萌歌、江口のりこ、田畑智子、玉置玲央、入野自由、前原滉、高橋克実、浅野和之。実力者ぞろいの大作でした。
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KERA CROSS「骨と軽蔑」を見ました。

2024-03-14 19:06:28 | 演劇
KERA作品をさまざまな演出家の手で立ち上げる「KERA CROSS」。そのラストをKERA自身が演出するので、KERAMAPと何が違うんだろうと疑問には感じるものの、まあそんな細かいことはどうでもよく、すごい役者が勢ぞろいして楽しみにしていた「骨と軽蔑」を見ました。やっぱりすごい舞台でした。

内戦が続くある国が舞台です。会社経営をしているその町のお金持ち家族と、その関係者が登場人物です。ただしその家族の主は途中で死んでしまい、結局舞台には現れません。その家族の娘に小説家の姉がいます。その姉と妹の仲が悪い。常に喧嘩しています。お互いに相手が先に悪いことをしたからいけないんだと主張して、常に水掛け論になってしまいます。この関係が戦争が頻繁に起こる現在の国際状況と重なります。

この芝居の特色は「異化」が頻繁に起きるということです。登場人物が観客に語りかけ、これはとある国の昔の話なんだよと現実とは違うことを意識させます。頻繁にそういう「異化」が行われることによって、この「異化」がなんのために行われているのかを意識させます。その結果、観客は現実の今の社会状況を意識するようになるのだと思います。

ウクライナの戦争にしても、ガザ地区の戦争にしても、それぞれはそれぞれの言い分はあります。しかし、戦争で苦しんでいるのは一般の住民です。それが見えてこないぬるま湯の日本の言論状況をこの芝居は痛烈に批判しています。

最後に姉と妹がどちらも死ぬであろうことが示唆されます。異化を繰り返しながら、観客は現実社会に同化していきます。そしてみずからがその当事者であることに気付くように仕掛けられています。その手際に感服するばかりです。

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『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』を見ました。

2023-11-27 10:07:30 | 演劇
山形市の「やまぎん県民ホール」で『ガラスの動物園』『消えなさいローラ』を見ました。すばらしい舞台でした。

演出は渡辺えり。出演するのは渡辺えり、尾上松也、吉岡里穂、和田琢磨。山形市は渡辺えりの出身地なので、凱旋公演の意味合いもあり、2000人収容の客席がほぼ満席となっていました。正直言って辺えりの作品はどうもしっくりこないものが多く、あまり期待してなかったのですが、今回の芝居はすばらしい。感動しました。渡辺えりはやはりすばらしい演劇人だったということを再認識させられました。

『ガラスの動物園』はテネシーウィリアムズの出世作です。アメリカの現実を描き、そこに生きる庶民の機微を描いています。「古き良きアメリカ」の乾いた現実が観客に迫ってきます。

主人公のローラは足が不自由で、しかも発達障害の傾向も見られます。引きこもり、ガラス細工の動物で動物園を作っているような女性です。母親はローラを何とか男性と引き合わせようと画策します。ある日かつて一方的に好きだった男性が偶然やってきます。そして二人は楽しいひと時を過ごすのです。しかしそれはやはりローラにとっては一時の幻想にしかなりませんでした。アメリカは格差の国です。底辺で生きる人間はうまく行かない人生の好転を夢見ながらも、結局はそこに居続けるしかありません。乾ききった現実に心が締め付けられる演劇でした。

『消えなさいローラ』は『ガラスの動物園』を題材にした別役実の作品です。衝撃的な内容がコントのように演出されます。しかも即興的です。別役実の作品を笑いにみちたコントにしてしまう渡辺えりの演出力が光る芝居です。

二つの作品を上演するので、4時間近くかかります。しかも渡辺えりの凱旋だったのでカーテンコールが異様な長さです。しかし素晴らしい演劇のおかげで時間を忘れてみることができました。
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歌舞伎座で十月錦秋大歌舞伎を見ました。

2023-10-15 18:10:38 | 演劇
 歌舞伎座で十月錦秋大歌舞伎の昼の部を見ました。寺島しのぶが歌舞伎座に出演するということで話題になっている舞台です。見ごたえのあるいい舞台でした。

 演目は二つ。

 一つ目は『天竺徳兵衛韓噺』という鶴屋南北の作品。ガマガエルが暴れ出すというぶっとんだ作品です。ぶっとびすぎて面食らってしまいました。松緑の良さが見える作品でした。

 二つ目が、寺島しのぶが出演する『文七元結』。三遊亭円朝作の落語の人情噺を舞台化したものです。主人公、長兵衛を演じるのは中村獅童。そしてその女房役が寺島しのぶです。ふたりの演技のうまさが際立ちました。脇を固める片岡亀蔵、坂東弥十郎、片岡孝太郎などしっかりとした演技で芝居を作り上げています。

 寺島しのぶが歌舞伎に出ることについては、何の心配もしていませんでしたが、女形とのバランスについてもまったく問題になりませんでした。今回は『文七元結』で歌舞伎以外の舞台でも演じられる作品だったということもあるのでしょうが、次は古典作品にも挑戦してほしいと思います。

 また、新派の女優さんなどもどんどん出演していくようになってほしいとおもいました。

 伝統を変えていくことへの抵抗感はよくわかります。しかしよい芝居を作り上げるための挑戦も必要です。

 不易流行。今後の歌舞伎の発展を期待します。
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