世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

和歌山市立博物館(5)

2022-06-26 07:50:49 | 博物館・和歌山県

<続き>

今回は時代を逆戻りして旧石器時代・縄文時代の出土品を紹介する。

以下、縄文時代の出土品である。

紀の川流域は、旧石器時代からの遺物が出土する。海・川・山の幸が豊富であったことが、その理由の第一かと思われる。日本列島のなかでも先進地であったかと思われる。今回はここまでとし、次回は弥生時代出土遺物を紹介する。

<続く>


和歌山市立博物館(4)

2022-06-24 08:28:52 | 博物館・和歌山県

<続き>

大谷古墳出土の馬の甲冑(かっちゅう)、つまり馬の鎧兜(よろいかぶと)が著名である。和歌山市立博物館の来訪目的は、この甲冑を見たいがためであった。まずそれから紹介する。

赤色の四角枠内に白丸で示した、茶色の長方形状のモノが鎧の小札で、これをつなぎ合わせると馬甲になる。馬の兜(馬冑)があまりに著名で、馬甲について触れられる機会が少ないが、この2セットが重要で、日本国内では大谷古墳以外から出土していない代物である。

・・・と云うことで、下手な講釈は省略する。この馬の甲冑出土がおおいなる発見であったが、注目すべきは立派な馬具が副葬されていたことである。

上左端は鈴杏葉(すずぎょうよう)とよぶ馬具の一つ、上中央も龍文透彫雲珠(りゅうもんすかしぼりうず)と呼ぶ馬具である。写真が小さく分かり辛いが、なんとも精巧に作られている。その他に武人が馬に乗った際の鐙(あぶみ)も出土している。

これらの副葬品をみていると、騎馬民族ないしはその末裔が被葬者であったと思わざるを得ない。その他の出土品を下に掲載しておく。

半島渡来の騎馬民族は、古墳時代の人々に比較し身長が高いとも云われており、被葬者は半島からの渡来人であろう。

今回の市立博物館で目にすることができなかったものに、青銅鏡の機能を喪失した寸鏡(すんきょう)群が出土している。

一方で前段で説明した精巧な馬具類が、石棺に副葬されていた。この精巧さと寸鏡の粗放さと好対照である。馬具類は半島からの舶載と考えた方が説明しやすい。

大谷古墳の時期から日本では、馬具の国産が活発化する。そして青銅鏡はより簡素化し、生産も衰退する。もはや古墳時代前期に流行した青銅鏡は影も形もない。鏡の鋳造工人は再編され、馬具を製造する金工集団に組み込まれたものと考えらる。

このように大谷古墳出土遺物は、多くのことを物語っており、山陰の片田舎から出向いたかいがあった。

<続く>

 


和歌山市立博物館(2)

2022-06-22 08:15:59 | 博物館・和歌山県

<続き>

今回は古墳時代の出土遺物を紹介する。

以上、大谷古墳直近の楠見遺跡出土土器を紹介した。以下、展示されていた埴輪である。

力士埴輪は、全国各地の古墳から出土している。実物を見ると程度は良好である。古墳時代に相撲が既に存在していた証である。相撲は日本発祥ではなく、高句麗の古墳壁画に描かれており、やはり渡来文化の一つである。

囲型埴輪:車駕之古址(しゃがのこし)古墳

この車駕之古址古墳出土の囲型埴輪も、それなりに著名である。この囲いの中には殯の宮であろう家形埴輪と導水施設型埴輪のセットであったと考えられる(ココ参照)

盾持人型埴輪

この埴輪は、器財埴輪と呼び盾や靫(ゆぎ)、甲冑(かっちゅう)などの武器・武具や蓋(きぬがさ)などの権威を象徴するものをかたどった埴輪である。描かれる文様は、直弧文①や鋸歯文②など、邪悪なものを退ける呪術的な文様であり、死者を護る目的があったものと思われる。

家型埴輪

①、弧と直線を幾何学的に組み合わせた文様

②、鋸刃(のこば)のように連続的な三角文様

<続く>