<続き>
今回は古墳時代の展示品の中から、青銅製品などを紹介する。
鳳龍環把頭
鹿角製剣装具の柄頭は、直弧文(ちょっこもん)で装飾されていたという。直弧文は辟邪文と云われており、それを装飾に用いることは敵や邪悪なものから、持ち主を護る意味があった。常に当たり籤を身に着けているようなものであろう。
<続く>
<続き>
今回は古墳時代の展示品の中から、青銅製品などを紹介する。
鳳龍環把頭
鹿角製剣装具の柄頭は、直弧文(ちょっこもん)で装飾されていたという。直弧文は辟邪文と云われており、それを装飾に用いることは敵や邪悪なものから、持ち主を護る意味があった。常に当たり籤を身に着けているようなものであろう。
<続く>
<続き>
今回は、古墳時代の展示品を紹介する。先ずは、勾玉と首飾りから。
左下の勾玉の一群は隠岐の島から出土したものである。隠岐は古来黒曜石の産地であり、主として刃物に加工された。古墳時代の石工が居住し、黒曜石の原石や加工品を本土に移送していた。彼らの装飾品と考えれば、何某らの興趣が湧く。
沖縄県八重山島出土
八重山からも本土と同じような勾玉が出土している。当然と云えば当然だが、やや驚きである。
石製品の出土地は畿内が多いようだが、流石関西大学で優品が揃っている。
<続く>
<続き>
北部・中部九州を1週間に渡りうろついていたので、暫く中断していたが再開する。今回は弥生時代の展示品である。先ず弥生土器類から、縄文土器と思わせる弥生土器が展示されていた。
・・・と云うことで、中部地方では縄文土器の名残のような土器が、弥生時代に入っても作られていたようである。
大阪府四條畷市出土銅鐸
大阪府四条畷市出土銅鐸
次回は古墳時代の展示品を紹介する。
<続く>
<続き>
今回は、縄文時代の土器を紹介する。縄文土器を見るたびに感ずることだが、火焔土器ほどではないが、デコラティブな形をしている。後世・弥生時代の土器は、”のっぺらぼう”で何の変哲もないが、縄文人はアクティブであったようだ。
器の内側に黒漆や金泥(きんでい)が塗られている。明治か大正時代にかけて、茶器として用いたためという。合わせて、下の香炉形土器は、やはり茶会で香炉として用いたという。
<続く>
<続き>
ひき続き、縄文時代出土の石器類を紹介する。
玦状耳飾り(けつじょうみみかざり)は、縄文時代前期に見られる耳飾りで、中国では遼河文明(りょうがぶんめい:紀元前6200年頃)で盛んに用いられ、黄河や揚子江流域の遺跡でも出土している。縄文時代に中国からツングース系民族が移動してきた・・・とも思わせる。
<続く>