天下布武と云えば信長が思い出されるが、ここでは前方後円墳の形状は、何を物語るか・・・と云うことを記したい。
前方後円墳の墳丘形状は、天円地方説や壷の形状を示しているので、それは壷中の天を表し、桃源郷だとする説まで多彩である(古墳時代の七不思議・其の壱:謎の前方後円墳形状 参照)。しかし墳丘は周濠に囲まれている。
仁徳天皇陵(大仙古墳)周濠を含めると盾に見える
今回は、この周濠を含めた形状を話題にする。その形は盾の姿にほかならない。後世の命名であろうが、盾が並んだ形という意味で盾列(たてなみ)の陵とか、古墳の墳丘上の神社を盾築神社と呼んだりする。周濠を含めた形状は、盾形で盾を伏せたように見える。盾を伏せるとは、戦いをやめるとか終結とかの不戦の意味を持つ。現在でも盾伏舞が奉納されている地区が存在するが、盾伏舞とは戦いをやめる舞で平和舞である。
この盾形状は弥生時代から見ることができそうである。その盾は鳥取・青谷上寺地遺跡や大阪、出雲の弥生遺跡からも出土している。朱色に塗られ上方の両隅が丸みをもち、前方後円墳の周濠の形と同一である。
青谷上寺地遺跡出土・弥生時代の盾
大阪府立弥生文化博物館展示の盾
出雲弥生の森博物館展示の盾
古代の大王や王が、前方後円墳の周囲を盾形にしたのは、その地の征服者として、戦いのない平和な治世を行った証としたと考えられる。いわゆる天下布武の象徴であったと考えるが、如何であろうか。
<了>
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