2年以上になった肩痛み、どうも神経痛のようだが、いろいろと治療してみたものの、楽にはなったが完治には至っていない・・・と云うことでフォロー頂いている各位のブログに訪問できなく、心苦しいかぎりである。
秦氏なる渡来氏族がなぜ尾張氏系・物部氏系氏族が祀る天照御魂神社を祀っているのかとの疑問である。
天照御魂神とは、天照大御神(皇祖神)とは別の神格の太陽神と考えられ、冬至線・夏至線に関係し、半島の日光感精形の信仰に基づく半島系の太陽神(日の御子)とする説が存在する。秦氏は、半島渡来の氏族であろう。
通称蚕の社とよぶ天照御魂神社の境内に、三柱鳥居が在る。その中心に小石を積み重ねた神座があり、この鳥居そのものが信仰の対象となっている。
鳥居の立つ位置からみると冬至の朝日が稲荷山(伏見稲荷神社)から昇り、冬至の夕日は松尾山(松尾大社)に沈むという。いずれもその麓には、秦氏が創祀した神社が建立され、三柱鳥居のある木島坐天照御魂神社も祀る神社である。この地は秦氏によって計算された特別の遥拝地と云うことになる。
更に北方向は双ヶ岡(ならびがおか)をさしている。そこは秦氏によって7世紀前後に築造された古墳群が並び、この北方位は嵯峨野一帯を支配する秦氏の祖霊のねむる聖地を指している。
また三柱鳥居の中心から東と西を再度見ると、稲荷山の反対方向が西の愛宕山で、松尾山の反対方向が東の比叡山の主峰四明岳となる。この四明岳は夏至の日の出位置にあり、夏至の日の入り位置に愛宕山がそびえている。
このように三柱鳥居が在る場所は、計算しつくされ、それは太陽の運行と密接につながっていた。このことは太陽信仰そのものであり、稲作民の太陽信仰の現れであったと考えられる。
木島坐天照御魂神社について記したが、天照御魂神社は各地に建立されているようだ。その天照御魂神社には天火明命(あめのほあかりのみこと)を祀るところが多い。鏡坐天照御魂神社(奈良・田原本町)の主祭神は火明命である。当社では『御田植祭』が行われている。立春と立冬には三輪山山頂から昇る朝日と二上山に沈む夕日を拝する地にある。
当社の一帯は4-5世紀に鏡を鋳造していた鏡作部が居住していた地であり、鏡坐天照御魂神社は鏡作部が建立したものと考えられ、祭神は太陽信仰にかかわる神であり、農耕の神である。鏡は太陽の形代であることがその証左である。しいて云えば、鏡作部の祖は渡来人であったであろう。
<了>