<続き>
今回は古代中国の展示遺物である。中国東北部の先史時代から青銅器時代までの遺物が展示されていた。
以下、内蒙古赤峰紅山遺跡の出土品展示である。
以下、中国東北部の青銅器群として紹介されていた。
青銅剣は朝鮮半島ひいては吉野ヶ里遺跡でも、同じような形状の青銅剣が出土しており、これらの地域に影響を与えたであろう。
<続く>
<続き>
今回は古代中国の展示遺物である。中国東北部の先史時代から青銅器時代までの遺物が展示されていた。
以下、内蒙古赤峰紅山遺跡の出土品展示である。
以下、中国東北部の青銅器群として紹介されていた。
青銅剣は朝鮮半島ひいては吉野ヶ里遺跡でも、同じような形状の青銅剣が出土しており、これらの地域に影響を与えたであろう。
<続く>
<続き>
暫く中断していたが再開する。京大総合博物館の展示物には、古代朝鮮や古代中国の遺物も展示されている。今回は古代朝鮮の遺物展示の中から、三国時代以前の遺物を紹介する。
(陶質土器 三国時代・新羅)
塼 三国時代・百済
(明器・かまど 三国時代・新羅)
(黄釉盤 黄釉四耳壺 三国時代・高句麗)
三国時代として高句麗、百済、新羅の遺品が僅かではあるが展示されている。やはり新羅の遺品が一番煌びやかである。やはり西方スキタイの影響であろうか。
<続く>
<続き>
縄文時代の展示物の一部を紹介し忘れていた。時代が戻るが、それを紹介する。尚、古代朝鮮半島および中国の出土遺物の展示もあったが、それらは別の機会に譲るとして、今回でもって京大総合博物館の展示品紹介を一旦終了する。
全国各地の縄文遺跡から出土した品々である。
写真の玦状耳飾は、右側の半分が欠けてなくなっている。それは古代中国の長江流域に源流が求められる。その影響が日本列島におよび、日本の各地からも出土する。縄文時代に中国からの一方通行かどうかは別にして、交流があった証である。
<一旦終了>
<続き>
今回でもって古墳時代の展示物の紹介を終える。
(長持型石棺・重要文化財 京都府城陽市久津川車塚古墳 5世紀)
石材は兵庫県加古川下流域の凝灰岩製とのこと、苦労して運んだのであろう。
(甲冑 京都府弥栄町 ニゴレ古墳 5世紀)
(上掲2葉の写真は奈良県広陵町・新山古墳出土品)
(装身具 滋賀県栗東市 安養寺古墳出土品 5世紀)
個以上で古墳時代の展示物の紹介を終えるが、古墳時代の展示物には見るべきものが多かった。
<続く>
<続き>
京大総合博物館の家形埴輪には、正直多少驚いた。実に多彩な家形埴輪が存在していたのである。
(家形埴輪 入母屋造 三重県伊賀市 石山古墳 4世紀末)
(家形埴輪 寄棟造 三重県伊賀市 石山古墳 4世紀末)
(家形埴輪 切妻造 三重県伊賀市 石山古墳 4世紀末)
(家形埴輪 片流れ 三重県伊賀市 石山古墳 4世紀末)
(家形埴輪 三重県伊賀市 石山古墳 4世紀末)
(囲形埴輪 三重県伊賀市 石山古墳 4世紀末)
古墳時代には竪穴式住居も存在していたが、その建築技術は進歩し、今日の住居に繋がる建物が建築されていた様子が伺われる。
囲型埴輪は何を表すのか、考古学者の間で暫く論争が繰り返されてきたが、近年それに終止符を打つと思われる遺跡が発見された。それが奈良県御所市の南郷大東遺跡である。古墳に葬られた貴人や権力者層の葬送儀礼にまつわる遺物と思われている。これについては、別途詳細に紹介したいと考えている。
<続く>