<アカ族住居>
アカ族の住居は木造高床式入母屋造りで、屋根には千木とアカ族固有の魔除けであろうか、ギザギザの3本の造形物が打ち付けられている。千木をタイ語でガレーと呼ぶが、アカ族ではどう呼ぶのか不祥。
屋根の垂木に相当する部分は竹材が用いられている。床には囲炉裏が、その直上には棚がある。この棚は煙で燻す食料を置くためか?。
<続く>
<アカ族住居>
アカ族の住居は木造高床式入母屋造りで、屋根には千木とアカ族固有の魔除けであろうか、ギザギザの3本の造形物が打ち付けられている。千木をタイ語でガレーと呼ぶが、アカ族ではどう呼ぶのか不祥。
屋根の垂木に相当する部分は竹材が用いられている。床には囲炉裏が、その直上には棚がある。この棚は煙で燻す食料を置くためか?。
<続く>
今回は北タイの瑶族(北タイではヤオ、ミエンと呼ぶ)住居である。鳥越憲三郎氏は瑶族住居は土間式住居であるので、倭族ではないと定義している。
上2葉の写真はバーン・トーンルアンに暮らす瑶族女性と男性で、伝統的な衣類を着用している。特に男性の上着の両胸の八芒星のような刺繍は、伝統的な文様と思われるが、八芒星か太陽の光芒か・・・という、当該ブロガーの個人的課題があるが、これは太陽の光芒であろうと考えている。
生活様式は江戸時代や明治と変わりがなかろう。瑶族は漢族と隣接し漢族の影響を受けた。道教を信仰するのもその一つである。したの道教神の像は冒頭の建物内部の祭壇である。
<続く>
<ラフ族住居>
ラフ族は焼畑農耕と狩猟で生計をたてていた。タイ国内ではチェンライ、チェンマイ、ターク各県に409箇村約10万2千人が居住する。
高床式住居である。基部と床は木製で住居部分は竹製である。北タイの竹は豊富で、日本では見ない種類も存在する。
戸口には竹で編んだ魔除けが侵入者をにらむかのように配置されている。この魔除けは他の山岳民族村や住居で見ることができる。
<続く>
<カレン族住居>
大屋根の高床式住居である。カレン族は幾つかの分派が存在する。
タイ北西部からミャンマー東部、南部に居住するが、多くはシャン州である。シャンと云えばカレン民族解放軍とミャンマー政府軍の紛争である。その影響で多くのカレン族がタイに越境した。中国南部から南下したとの説が支配的である。
写真はスゴー・カレン族の女性である。
<了>
山岳民族博物館の直近に山岳民族の住居を集めた一画が在る。入り口には、TRIVAL VILLAGE MUSEUMとある。ここでは山岳民族住居博物館と記しておく。
山岳民族博物館との位置関係は、下のGoogle Earthに示しておく。
今回は、モン(Hmong)族とカム族の展示住居を紹介する。
<モン:Hmong族住居>
鳥越憲三郎氏は雲南からインドシナ北部に居住する山岳民族の住居形式で、それらの民族が倭族に属するかどうかを判断した。曰く、高床式住居に住まう民族を倭族と定義した。いかにも荒っぽい話で、そうていついていけないが・・・。
モン族住居は土間式住居である。ということは倭族ではないことになるが、モン族の人々は外観上、日本人によく似ており、チェンマイでの4年半の滞在中に友人となったC氏などは、日本人そっくりである。
Hmong族は三苗に民族的起源があり、古代には洞庭湖付近から揚子江下流域にかけて居住していたとの説が定説となっている。18世紀初頭から、漢族に追われて徐々に南や南西方向に移動を始めた。それが北タイに及んだのである。
<カム族住居>
カム族はモン・クメール語族系の民俗で、多くがラオスに居住している。住居は高床式で基部は木造、上部が竹造になっている。屋根には千木をみる。古来高床式かどうかは、調べていないので分からない。
<続く>