<続き>
本殿を中心に反時計回りに摂社の数々を紹介する。先ず『社日』から。
〇:社日
不勉強な当該ブロガーにとっては理由を知らないが、出雲では道祖神をあまり見ないが、社日神(社日塔)は数多く見ることができる。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)刻まれていることから、稲魂を祀っていることになる。つまり稲作や穀物の守護神に他ならない。出雲平野は稲作地帯で、数多く祀られた理由が頷ける。
〇:若宮神社
〇:稲荷神社
縁起を写真に撮っていなかったので、以下に記しておく。
祭神は宇迦之御魂神で創立年代は不詳とのこと。縁起によれば、この神様は、須佐之男神の御子神で本来穀物の神であるが、神仏習合思想によって仏教の荼枳尼天が同一視され、招福や財福の神として狐霊によって憑依託宣が行われ、近世になり呪術的稲荷信仰が浸透すると除災招福の神とされている。宇迦御魂神=倉稲魂命にほかならず、穀霊神や稲作の神である。先述したように出雲では多く祀られている。
〇:胞衣(よな)荒神
荒神さんも出雲には多い。産土(うぶすな)神につながり、山ノ神や田ノ神につながる。ひいては稲作の神と云うことになる。
〇惣荒神
惣荒神の縄蛇の頭は出雲大社を向いていると云われている。
〇:龍神祠
黒龍、白龍とあるが、これは雌雄の蛇神に他ならない。この手の祠は出雲に多いのか少ないのか、数多く参拝していないので不詳ながら初見である。これについては富神社の謎の続編として後述する。
〇:金刀比羅神社
〇:大歳社
縁起を写真に写していないが、大歳神は須佐之男命の御子神で大晦日より良い年を迎える神で穀物を守護する神である。
〇:風日社
さて、富神社の謎について続編である。前回記載した噺は謎が多い。東の意宇地域を分割統治していた富家がなぜ、西の富村に社を建立し、熊野大社の祭神・八耳命を移し祀ったのか。そして富神社の主祭神は、八束水臣津野命と天之冬衣命の二柱である。さらに不思議なことは、出雲大社で大国主命を祀るのは、大国主命の末裔や八束水臣津野命、天之冬衣命の末裔(前回の系図参照)ではなく、天孫族の天穂日命なのか。天穂日命はご存知の如く、天照大御神と須佐之男命の誓約により生まれた由緒正しき天孫族である。富當雄氏の『出雲の屈辱の歴史が始まった』とは、出雲国造家の祖である天穂日命に簒奪されたことを物語っているのであろうか?
境内には龍神祠が存在する。この建立年代は不詳と云う。これを見て古代出雲族は、蛇信仰の徒であったと云うには、あまりにも長い時間差がある。
出雲族はセグロウミヘビを龍蛇様として祀る信仰が存在する。その事例を下に示しておく。
噺がやや飛ぶ。古代の出雲族は、古代呉越の民で漢族の南下圧力に追われた越人の一派が、渡海してきた人々と考えている(ココとココ参照)。
その古代越人の社会には蛇信仰が存在した。『呉越春秋』には、越の王宮・南大門の上に、蛇の飾りがあると記載されているとのことだが、『呉越春秋』を読んだことはなく、詳細は不明である。
しかし、北ベトナムでは蛇信仰が存在する。ベトナムのマジョリティーはキン(京)族である。彼らは越人の末で、百越のなかでも駱越といわれた人たちであるという。ベトナムが越南と表記される由縁である。
過去、ハノイに半年滞在する経験をした。多くの社寺仏閣を訪れた訳ではないが、道教から派生した聖母道の祠を訪ねると、一対の蛇の象形が掲げられている。この事例を見ても越に蛇信仰が存在したであろうこを裏付けている。
(ハノイにて)
やや飛躍した噺になんるが、これらは何を物語るのか。古代出雲王朝を樹立した出雲族の本貫は、古代・越にあり。その越人が祀った龍蛇神を、出雲に渡海したのちも、それを継承したであろう。出雲大社で大国主の命は南面するのではなく、稲佐の浜(日本海)を見る西を向いておられる。伊勢神宮に背を向けて、故地の越を向いておられることになる。そして出雲大社の大注連縄は何だ。それは一対の蛇が交尾していることになる。伊勢神宮に注連縄は存在しない。伊勢神宮が注連縄を飾ることは、出雲族を祀ることに他ならないことになる。富神社の謎は深い。
<了>