<続き>
今回は、古墳時代中期の古墳から出土した遺物を紹介する。
薬王寺遺跡出土製塩土器
(曽我遺跡出土品)
(曽我遺跡出土品)
(四条2号墳出土埴輪)
(四条2号墳出土埴輪)
(四条2号墳出土埴輪と木製品)
背後に写る木製品は、『さしば』と呼ぶ木製品である。貴人に差し掛けるモノで、首長の存在を物語る。
<続く>
<続き>
今回は、古墳時代中期の古墳から出土した遺物を紹介する。
薬王寺遺跡出土製塩土器
(曽我遺跡出土品)
(曽我遺跡出土品)
(四条2号墳出土埴輪)
(四条2号墳出土埴輪)
(四条2号墳出土埴輪と木製品)
背後に写る木製品は、『さしば』と呼ぶ木製品である。貴人に差し掛けるモノで、首長の存在を物語る。
<続く>
<続き>
今回は佐味田宝塚古墳出土で、著名な古墳時代前期(4世紀)の家屋文鏡を紹介するとともに、南郷遺跡の出土品も併せて紹介する。
古墳時代前期の首長層の家屋を示す図紋で一躍有名である。天蓋(てんがい)と云おうか蓋(きぬがさ)が差し掛けられた高床式建物は、まぎれもなく首長や王の住居をしめすものである。
以下、南郷大東遺跡出土遺物である。パネルには水の祭祀が行われていたとするが、種々の状況より『殯の宮』跡と考えている。
殯の宮説の根拠は『埴輪から見る古代の葬送・前編』ココをご覧願いたい。
<続く>
<再開>
今回は、奈良・宮山古墳出土埴輪を紹介する。奈良盆地の南西部という土地柄と副葬品の内容から葛城の王の墳墓と云われている。
(衝角付冑・盾形埴輪:宮山古墳)
(靫形埴輪・ゆぎかたはにわ:宮山古墳)
靫形埴輪の下方の区画は直弧文で装飾されている。直弧文も辟邪文であろう。
5世紀前半の葛城の王と云えば、葛城 襲津彦(かずらき の そつひこ)が思い浮かぶ。襲津彦は4世紀末から5世紀前半頃と推定される。日本書紀によれば、武内宿禰の子で葛城氏の祖とされ、17代・履中天皇、18代・反正天皇、19代・允恭天皇の外祖父とされている。道理で葛城の王の権力を誇示するような、大型埴輪が並んでいた。それなりの迫力である。
<続く>
<続き>
奈良県各地の古墳から出土した埴輪7点を紹介する。
(蓋(きぬがさ)形埴輪・複製 古墳時代前期 4世紀 奈良市・佐紀陵山古墳)
(棚形埴輪 古墳時代前期 4世紀 天理市・櫛山古墳)
(朝顔形埴輪 古墳時代前期 4世紀 奈良市・マエ塚古墳)
(鰭(ひれ)付円筒埴輪 古墳時代中期 5世紀 奈良市・ウワナベ古墳)
(円筒埴輪 古墳時代中期 5世紀 御所市・石光山47号墳)
(甲冑形埴輪 古墳時代中期 5世紀 葛城市・太田7号墳)
(儀仗形(石見型)埴輪 古墳時代中期 5世紀 高取町・市尾今田2号墳)
性格的にシリーズモノを連続で完結する気力が続かない。ここで一時中断し、次回から別のことどもを記事にしたいと考えており、続編は別記事掲載後としたい。
<一時中断>
<続き>
島の山古墳の出土品も相当な権力者の遺品と思われるが、被葬者はその遺品から女性であろうとされている。
被葬者は女性であろうとされているが、男性の墳墓と同じように武器類も出土している。
<続く>