宇和歴史民俗資料館は、明治15年築の小学校舎・開明学校と同じ敷地に建っている。更に開明学校の前身で、住民が自発的に明治2年に建てた私塾・申義堂も同じ敷地に在る。今回はその申義堂と開明学校を紹介する。
〇申義堂
〇開明学校
宇和島は村田蔵六と縁を結んだ二宮敬作等を輩出した土地、教育熱心であったことが伺える。
<続く>
宇和歴史民俗資料館は、明治15年築の小学校舎・開明学校と同じ敷地に建っている。更に開明学校の前身で、住民が自発的に明治2年に建てた私塾・申義堂も同じ敷地に在る。今回はその申義堂と開明学校を紹介する。
〇申義堂
〇開明学校
宇和島は村田蔵六と縁を結んだ二宮敬作等を輩出した土地、教育熱心であったことが伺える。
<続く>
<続き>
紹介できるのは卯之町の模型と伊達分家の宇和島に伝承された郷土芸能に関する展示物である。
次回は卯之町の宇和歴史民俗資料館と展示物を紹介する。
<了>
伊予へ行った目的は、愛媛県歴史文化博物館を観覧・見学するためであったが、期待外れであった。それに反し後日紹介予定の愛媛大学付属ミュージアムは、望外の見学ができた。
期待外れではあったが、愛媛県立歴史文化博物館の展示遺物を紹介したい。
場所は西予市宇和町卯之町、卯之町の白壁家屋群の高台に位置している。館内は写真撮影が許可されているものと、不許可が混在している。今日、多くの博物館が写真撮影許可されているが、当該博物館と岡山県立博物館は最悪である。
従って紹介できる写真は多くはない。原始・古代を中心に紹介する。
古代関連展示物の紹介は以上である。食い足りなく恐縮である。次回は古代関連遺物以外に撮影許可されている展示品を紹介する。
<続く>
<続き>
今治市の妙見山古墳と出土遺物を紹介している。遅まきながら、妙見山古墳について簡単に紹介しておく。
今治市街地の西に広がる大西平野と瀬戸内・斎灘(いつきなだ)を見下ろす丘陵上に所在する、弥生時代から古墳時代へと変わる出現期の前方後円墳である。後円部(1号)と前方(2号)の2つの竪穴式石槨が出土し、それぞれ副葬品が埋葬されていた。それらは既に紹介した通である。
その墳頂の埋葬施設上で、飲食用の小型土器が出土した。また伊予型特殊器台や、底部に孔の開いた二重口縁壺が出土しており、墳頂で祭りが行われていたと思われている。
(墳頂の祀りを想定再現した様子)
これは松木広田遺跡出土の布留0式土器である。妙見山古墳からこの布留0式土器片が出土した。
上の写真は布留1式土器で、当該妙見山古墳から出土したと表示されている。
以上で大西藤山歴史資料館展示の妙見山古墳出土遺物の紹介を終える。次回から愛媛県歴史文化博物館の展示品を紹介する。
<了>
<続き>
妙見山古墳出土遺物を紹介する。現在の今治付近の首長墓であったろうと想像できる。
墳頂では祭祀が行われていたようである。次回はそれらの出土遺物を紹介する。
<続く>