ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

秋山溜池

2020-12-02 15:48:10 | 山口県
2020年11月21日 秋山溜池
 
秋山溜池は山口県山陽小野田市厚狭の厚狭川水系石束川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地由来碑によれば1939年(昭和14年)の西日本大干ばつをきっかけに灌漑用溜池建設の機運が高まり地元出身の実業家や篤志家の尽力もあり、秋山耕地整理組合の事業として1940年(昭和15年)に秋山溜池建設が着工され1944年(昭和19年)に竣工しました。
由来碑には戦争激化の中人員や物資不足を補うため小学生を動員してまでの事業であったと記されています。
管理は耕地整理組合を引き継いだ秋山土地改良区が行ってきましたが、その後の土地改良区の合併により現在は山陽土地改良区が行っています。
 
県道355号線が秋山溜池の右岸を通っています。
今回は今富ダム からのアプローチとなったため上流側から秋山溜池に至りました。
県道224号と355号の三差路を過ぎると左手に秋山溜池が見えてきます。
 
天端入口に駐車スペースがあり車を止めます。
すぐ先に由来碑があります。
 
右岸の横越流式余水吐。
余水吐が湾曲しており、写真では見えませんが右手にトンネル式導流部があります。
 
下流側から見た余水吐。
 
導流部トンネルの入口。
 
上流面と斜樋。
 
天端
微かに轍が残ります。
 
貯水池は総貯水容量80万立米。
訪問時はずいぶん水位が下がっていました。
 
池の中島に社と燈籠が見えます。
 
天端と下流面
綺麗に草が刈られています。
 
堤体の手入れを見ても重用されている貯水池だと言うのがよくわかります。
ダム下には行かなかったので余水吐隧道吐口や底樋は確認できませんでした。
 

2013 秋山溜池(1583) 
ため池コード 345220038
山口県山陽小野田市厚狭
厚狭川水系石束川
16メートル
101メートル
800千㎥/800千㎥
山陽土地改良区
1944年

今富ダム

2020-12-02 15:43:08 | 山口県
2020年11月21日 今富ダム
 
今富ダムは山口県宇部市今富の有帆川水系今富川にある山口県土木建築部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、今富川および有帆川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的として1978年(昭和53年)に竣工しました。
 
県道30号線で宇部市今富に入り今富ダムの標識に従って左折すると今富ダムが見えてきます。 
堤頂長219メートル、堤高39メートルの横長ダムで、ゲートは左岸に偏っています。
 
まず目を引くのがゲートの形状
クレストゲート扶壁両側から操作室に屋根が渡され、まるで頭の上で手を合わせ『M』の字を作っているようです。
これはもう変形ロボでしょ?
非常用洪水吐としてクレストにラジアルゲート2門、その間に常用洪水吐として自然調節式のオリフィスの穴が見えます。
訪問時はオリフィスからかすかに越流していました。
 
低水利用放流管と非常用のホロージェットバルブが並びます。
放流管から河川維持放流が行われています。
 
左岸から
こうやってみても横長だとわかります。
それにしてもやっぱり変わった形のゲート建屋。
 
上流面
赤いコースターゲートはオリフィス用予備ゲート、その右手には多段式取水ゲートがのレールが見えます。
 
ラジアルゲート直上から。
 
天端からダム下の眺め。
 
今富湖と命名されたダム湖は総貯水容量170万立米。
治水目的のダムですが、たっぷり水を湛えています。
 
天端は車両通行可能。
ダム湖を周回するように車道が走っています。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
ダムの説明板には自然調節(穴あき)方式の治水ダムと記されていますが、設計は昭和40年代、
クレストにはラジアルゲートを装備する一方オリフィスは自然調節式と、ゲートレスダムへの過渡期のダムの特徴を如実に表しています。
とにもかくにも個性的なゲート形状に目が向かってしまう今富ダムですが、春には桜、秋には紅葉が楽しめ季節折々にダムウィーキングイベントが実施される地域に密着したダムでもあります。
 
2084 今富ダム(1583) 
山口県宇部市今富
有帆川水系今富川
FN
35.5メートル
219メートル
1700千㎥/1400千㎥
山口県土木建築部
1978年 

厚東川ダム

2020-12-02 15:37:15 | 山口県
2020年11月21日 厚東川ダム
 
厚東川ダムは左岸が山口県宇部市小野、右岸が同市木田の二級河川厚東川中流部にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
日本の土木技術理論において大正期から昭和初期にかけて第一人者であった物部長穂は治水と利水を統合し河川を一貫して開発する『河水統制計画案』を提唱、これをもとに内務省は1935年(昭和10年)に『河水統制事業』を採択、全国七河川一湖沼で治水・利水を一貫した河川開発が実施されることとなり、戦後の河川総合開発事業のモデルとなりました。
山口県は1940年(昭和15年)に厚東川の洪水調節と都市用水確保を目的にした厚東川河水統制事業に着手しますが、戦況悪化による物資不足で事業は中断を湯着なくされます。
終戦後同事業最大の受益者である宇部興産への発電用水利権付与と引き換えに同社からの資金援助を仰ぎ、さらに国庫からの補助を得て1948年(昭和23年)に厚東川総合開発事業として事業は再開、ダム本体は翌1949年(昭和24年)に竣工、開発事業全体も翌1950年(昭和25年)に完成しました。
 
しかし高度成長期に入り、宇部小野田エリアの発展は留まるところを知らず、これに伴う人口増加も相まって新たな水源確保が喫緊の課題となってきました。
当初は厚東川ダムの嵩上げ再開発による貯水容量増が計画されましたが、地理的・経済的課題が多く断念、替わって1969年(昭和44年)に厚東川ダムに近接する宇部市瓜生野の灌漑用溜池である丸山池を再開発しダム化する厚東川第2期工業用水道事業が着手され、1978年(昭和53年)に宇部丸山ダムが竣工しました。
厚東川ダムと宇部丸山ダムは連絡水路で結ばれ、従来2300万立米だった厚東川ダムの有効貯水容量に新たに450万立米の容量が追加されるとともに、洪水時は厚東川ダムから宇部丸山ダムへ導水することで厚東川ダムの洪水調節容量が増大するなど、より弾力的な運用が可能となりました。
現在、厚東川ダムは厚東川の洪水調節、既得取水権として流域への灌漑用水の補給と安定した河川流量の保持、宇部市及び山陽小野田市への上水道用水・工業用水の供給、宇部興産厚東川発電所での最大出力4000キロワットのダム式発電を目的とするほか、厚東川工業用水道の水量を活用して山口県企業局二俣瀬発電所が増設され、ダム管理用電力として最大610キロワットの小水力発電を行っています。
ダム湖の小野湖は山口県有数の釣りスポットとして知られるほか漕艇競技の会場となるなどレクリエーションエリアとして広く活用されており、ダム湖百選に選定されています。
 
厚東川ダム右岸を県道217号が走っておりアプローチは簡単です。
ダム手前の枝道を進むとダム下の宇部興産厚東川発電所手前に出、フェンス越しにダムが望めます。
多目的ダム黎明期に設計されたダムということで、クレストにずらっとラジアルゲートが並ぶ様は阿賀野川や木曽川の発電用ダムのようです。また県営多目的ダムとしては同時期に建設された岡山県の旭川ダムとの外観上の共通点が多く見られます。
 
右岸から下流面
ピアには被覆された管理橋が渡されまるでこれまた阿賀野川の発電用ダムのようです。
当初は屋根はなく、昭和終盤に被覆されたそうです。
導流部の下のシュート部分も戦前戦中のダムの特徴を色濃く見せています。
 
ラジアルゲート8門は山口県内のダムとしては最多。
 
ダム直下の宇部興産厚東川発電所
県営の多目的ダムと電力会社以外の民間企業の発電所の組み合わせはレアケース。
上記ダム建設に際し宇部興産の資金支援があった代償です。
 
親柱の銘板。
 
残念ながら天端は立ち入り禁止。
 
上流面。
 
水と土の地名から小野湖と命名されたダム湖
総貯水容量2378万8000立米
漕艇競技場として活用されています。
 
上流からの眺めは只見川や阿賀野川の発電用ダムそっくり。
 
戦前の河水統制事業で着工され、戦争による中断を受けて戦後完成したダムという点では同じ山口県の木屋川ダムや神奈川の相模ダムと共通しています。
 
(追記)
厚東川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2065 厚東川ダム(1581)
左岸 山口県宇部市小野
右岸 山口県宇部市木田
厚東川水系厚東川
FNWIP
38.8メートル
162メートル
23788千㎥/23042千㎥
山口県土木建築部
1948年
◎治水協定が締結されたダム 

宇部丸山ダム(再)

2020-12-02 15:22:08 | 山口県
2020年11月21日 宇部丸山ダム(再) 
 
宇部丸山ダム(再)は山口県宇部市瓜生野の厚東川水系薬師川にある山口県企業局が管理する上水道用水・工業用水目的の重力式コンクリートダムです。
戦前からセメント・化学工業が集積した宇部・小野田地域の用水需要に対処するために、1949年(昭和24年)に厚東川ダムが完成します。
しかし高度成長期による需要の増大から、県は厚東川ダムの嵩上げ再開発を企図しますが地理的・経済的課題が多く断念、替わって宇部市瓜生野の灌漑用溜池である丸山池の再開発ダム化事業に着手します。
1973年(昭和48年)にダム本体工事が開始され、1978年(昭和53年)に竣工したのが宇部丸山ダム(再)です。
宇部丸山ダム(再)は自己流域での集水能力はほとんどなく、貯留は連絡水路で結ばれた厚東川ダムからの導水により、事実上の河道外貯留方式のダムです。
宇部丸山ダム(再)の完成により従来2300万立米だった厚東川ダムの貯水容量に新たに450万立米の容量が追加されるとともに、洪水時は厚東川ダムから宇部丸山ダムへ導水することで厚東川ダムの洪水調節容量が増大するなど、より弾力的な運用が可能となりました。
宇部丸山ダム(再)自体としては宇部・小野田エリアへの上水道用水・工業用水の供給を行うほか、既得取水権として旧丸山池の受益農地への灌漑用水の補給も行っています。
また2016年(平成28年)からは取水設備からの19メートルの落差を利用した山口県企業局宇部丸山発電所が稼働し、最大130キロワットの小水力発電を行っています。
 
国道2号線から見た宇部丸山ダム(再)。
堤高32メートルに対して堤頂長211.4メートルの横長ダムです。
手前は瓜生野地区農地への慣行水利権向け灌漑用水補給施設。
需要期には水温調節のため噴水が上がるようですが、11月はすでに需要期外。
 
ダムと正対します。
放流設備はクレストの自由越流式洪水吐のみ。
事実上河道外貯留方式である宇部丸山ダムでクレスト放流を実施するような事態はまず起こりません。
事実クレスト放流は試験湛水以来一度もないそうです。
 
導流部は踊り場を持つ2段構成。
実はこの下を既存の工業水水路が通っているためこのような形状になりました。
 
堤体に直接タッチできます。
 
ダムサイトに上がってきました。
左岸に『カド』発見。
 
天端は車道になっており常時通行可能。
 
上流面。
 
天端から見た減勢工と灌漑用水補給施設。
上記のように灌漑用水需要期には水温調節のため噴水が上がるそうです。
 
総貯水容量450万立米の貯水池。
水質維持のため各所で曝気装置による渦が見えます。
 
左手はダム右岸にある取水設備
山陽小野田市にある有帆ポンプ場に送水されます。
右手はダム左岸にある注入設備
厚東川ダムの小野湖と圧力隧道で結ばれており、原則双方向の送水が可能ですが、実質的には小野湖から宇部丸山ダムへの一方通行となっています。
 
全国で数カ所ある2基のダムが連絡水路で連結されたダムの一つで、厚東川ダムからの補給を受けた実質河道外貯留方式のダムと言えます。
当ダム単体で見るのではなく厚東川ダム、しいては宇部・小野田エリアの町の歴史も踏まえて見学するとより理解が深まると思います。
 
(追記)
宇部丸山ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2082 宇部丸山ダム(1580)
山口県宇部市瓜生野
厚東川水系薬師川
WI
32メートル
211.4メートル
4500千㎥/4000千㎥
山口県企業局
1978年
◎治水協定が締結されたダム

江畑溜池堰堤

2020-12-02 15:05:01 | 山口県
2020年11月21日 江畑溜池堰堤

江畑溜池堰堤は山口市阿知須の土路石川水系土路石川上流部にある灌漑目的の表面石張り玉石コンクリート重力式堰堤です。
1889年(明治22年)に初代江畑溜池が土堰堤として完成しますが翌年の豪雨で決壊、下流域に大きな被害をもたらしました。その後何度も再建計画が持ち上がりますが決壊を恐れる下流住民の反対で実現できませんでした。
昭和に入り決壊の恐れのないコンクリート堰堤を採用した再建事業が進められ、1927年(昭和2年)に着工、1930年(昭和5年)12月に現在の江畑溜池堰堤が竣工しました。
堤高13.6メートルと河川法上のダムの要件を満たしてはいませんが、香川県の豊稔池ダム、兵庫県の上田池ダム山田池などと並び日本でもっとも初期の農業用コンクリート堰堤の一つとなっています。
2001年(平成13年)にはその歴史的・技術的価値から国の有形文化財に登録されるとともにBランクの近代土木遺産に選定されています。
なおダムの要件を満たしていませんが、ダム便覧には参考掲載として掲載されています。
 
県道218号から宇部72カントリークラブの標識に従って右折、次の分岐を左に採るとゴルフ場のゲート手前から江畑溜池堰堤を遠望できます。
残念ながら樹林に邪魔され全容を見ることはできません。
 
一つ手前の分岐に戻り江畑堰堤の標識に従って進むと堰堤右岸に到着します。
天端への入口には文化庁の文化財説明板と1930年(昭和5年)の竣工記念碑が建っています。
 
まずはダム下へ下りてみます。
直下から見上げると13.6メートルという堤高以上の高さを感じます。
撮影ポイントが少なく持参した24ミリの広角レンズでは全容を治めることができないのが残念。
 
堤頂には自由越流式洪水吐が3門。
天端高欄の装飾は簡素ですが、逆に質実剛健の風が漂います。
 
右岸低部にある取水設備からの吐口。
溜池堰堤ということで底樋と呼ぶのが妥当なんでしょう。
 
側面から
目地も美しく花崗岩の関知石が整然と積み上がっています。
寸分の狂いもなくとはこのことを指すんだと思います。
 
天端の脇から貯水池右岸に出ることができます。
上流面
取水設備はこの時代おなじみの半円形、
取水設備建屋だけはコンクリート製の新しいものに置き換わっています。
 
溢流部をズームアップ
扶壁側面も石張りされています。
 
天端入口
 
惜しむらくは取水設備建屋も石張りならば・・・。
 
総貯水容量は45万立米ですが満々と水を貯えそれ以上の大きさに見えます。
貯水池周辺はすべてゴルフ場になっていますが、集水には問題なさそう。
寧ろゴルフ場造成による防災調整池の機能もあるかもしれません。
 
竣工から約90年経過するにもかかわらず、いまだに大きな不具合はなく大きな改修もないまま現在も現役で稼働しているのがすごいところ。
昔の人たちの英知と技術力の高さにはただただ脱帽するばかり。
石積みマニア、ビンテージダムマニアにとっては必見のダムの一つです。

S513 江畑溜池堰堤(参考掲載)(1579) 
ため池コード 354030031
山口県山口市阿知須
土路石川水系土路石川
13.6メートル
68.8メートル
450千㎥/450千㎥
阿知須地区
1930年

昭和池

2020-12-02 01:23:00 | 山口県
2020年11月21日 昭和池
 
昭和池は山口市鋳銭司の南若川水系南若川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では全国で9基の『昭和池』が掲載されていますが、いずれも昭和に竣工したのがその所以となっています。
当池も同様で1945年(昭和20年)に竣工、その後1986年(昭和61年)から1998年(平成元年)にかけて大規模な改修が行われました。
池の管理は受益者で組織される水利組合が行っています。
 
国道2号線山口南インター東側の今宿西交差点を北に折れ、山陽道の高架を潜り南若川沿いの隘路を進むと昭和池に到着します。
止まっている車は見回りに来た受益者のU様のものです。
池のある鋳銭司地区は明治維新の軍事の天才大村益次郎生誕の地で、U様も益次郎に関わる家系ということで池のみならず歴史のお話を多々伺うことができました。
こういう出会いが溜池巡りの楽しさの一つです。
 
天端に並ぶ記念碑
左手は1945年(昭和20年)の竣工記念碑。右手は昭和末期から平成にかけての改修記念碑。
篆書体で書かれた竣工記念碑はなかなか趣があります。
 
総貯水容量12万立米の貯水池。
上記U様のお話では貯水池奥の山の中腹にマツタケの群落があるそうですが、道はなく行きつくには岩登りの技術が必要だそうです。
 
左岸の横越流式余水吐。
 
 
コンクリートで護岸された上流面。
 
上流から見た余水吐。
 
取水設備は階段式の池栓。
 
池栓から見た上流面。
 
昭和池へ向かう途中の南若川にある古い落差工。
 
これで全国に9基ある昭和池のうち8基を訪問しました。
残るは京都府亀岡市にある昭和池のみです。
 
3569 昭和池(1578)
ため池コード 352030364
山口県山口市鋳銭司
南若川水系南若川
17.5メートル
84メートル
120千㎥/120千㎥
水利組合
1945年