将来の職業について、どの段階で決定するかについては、各人各様です。大雑把に自分を振り返ってみると、以下の通りです。
1.小学校のころ、医者に命を救っていただいたという意識がとても強く、卒業文集には「自分の夢として、医者になること。」を記載している。
2.中学生の頃、美術、数学、理科が得意で、中学3年卒業時には、建築家になることを第一希望としていた。
3.高校2年生で物理、数学のいづれかの研究者になろうとしていた。量子力学を調べると、これは全く数学ではないかと判断し、数学の学習を重点的に行うことにした。また、高校2年生の担任(英語担当)は1年間を当して、大学の各学部の学習内容から卒業後の進路までを毎ホームルームの時間ごとに分厚い資料を生徒に配布し、事細かに解説してくださった。その配布資料は、前年度の慶應義塾大学の学部紹介から、卒業後の具体的な具体的な進路が克明に記載されていた。なぜ慶應なのかとの質問に対し、担任は「どこの大学でもよかったのだが、日本を代表する大学の中で、就職状況の良い慶應義塾大学を選んだ。」と返答していた。
そのガイダンスが効を奏してか、クラス45名中、二人が慶應義塾大学に進学した。(理系1名、文系1名。もちろん理系はこの私です。)
4.慶應義塾大学に入学。当時は現在のように学門に分かれておらず、初めの2年間は教養の2年であり、3年次から所属学科に配属しされた。5つあった学科のうち選んだのは数理工学科であった。2年次の夏休み後に、希望学科調査が行われ、第1希望から第3希望まで記入した。定員40名に対して、若干増の人数であったが、第一希望の数理工学科に入れた。ここで数学とコンピュータを徹底的に鍛えられ、4年次からは、数学コースとコンピュータコースの二つに分かれて研究室に配属された。この研究室への配属は、学生のの希望が最優先されるが、希望者多数の場合、研究室の指導教官から、条件がしめされた。私の希望したK教授は15名の学生が第一希望とした。K教授の出された条件は3年次の実解析の後期試験の出来と、1対1の口頭試問の二つを選考基準とし、定員は2名とするという、かなりきつめの条件でした。実解析の後期試験は2問のみ証明問題。ほぼ完璧な答案を書き上げ、口頭試問に臨んだ。口頭試問は実解析の後期試験に関連する内容の質問であったが、その場である不等式の証明ができるか。その評価の基準は何か、についての質問であった。無事口頭試問も終わり、結果は合格だった。
数学の研究者、教員になる目標のため、教職課程を履修し、4年次の5月に2週間の予定で教育実習を受ける。実習校は日吉の慶應高校だった。2年生に配属され、指導教官は普通部部長(慶應義塾普通部)のY先生だった。蛇足であるが、Y先生は後に東京理科大学の教授となられた。
2週間の実習予定が、結局3週間強の実習となった。このとき、数学の教師になろうと決意した。