サンフランシスコ国際空港から車で50分ほどのことろに、パロアルトは位置する。そう、シリコンバレーの真っ只中にアップル本社はある。抜けるような青さが印象的いなパロアルト。ハイテク産業が密集する地域だ。
以前に、のブログに記載したアップルコンピュータ創業者のスティーブ・ジョブス氏が10月5日死去した。
心より、哀悼の意をささげます。
人間にとっての便利さ、快適さを終生にわたり探求し続けたスティーブ・ジョブス氏。以前は日本語で、スティーブン・ジョブスと表記されたが、最近は、スティーブ・ジョブスと表記される。すい臓がんのための死去とされる。
彼の非凡なところは、そのプレゼンテーションである。商品を企画立案し、製品化。更にその発表から出荷までを常に鳥瞰する鷹の目を持っていたことだ。どこまでも妥協を許さず、とことん考え抜いた商品群に、彼の非凡さがそのまま現れている。
マックはゲームソフトも豊富であった。作者は忘れてしまったが、筆者が「これには参った。」とうならせるソフトがあった。内容は、いたって単純な、スマートボール。といって、具体的なイメージがわかぬ人には、次の説明が分かりやすい。よく温泉などに行くと、ゲームコーナーにある遊具で、パチンコ台を大きくして、斜めにしたもの。お金を投入すると、白球が何個か出てくる。そして、スロットでボールを打ち出し、後は左右のボタンで、ボールを上方に打ち返す。打ち返すたびに得点が加算されるという、いたって単純なゲーム。しかし、そのソフトのすごいところは、打ち返す部分が部品化されており、ゲームの開始時に、マウスで設定できる。つまり自分専用のスマートボールができるというものであった。これに度肝を抜かれた。
また、マック用に新たに開発されえたのが、キャノンのレーザー・ライターだった。これは世界初のレーザープリンターであり、今日のレーザープリンターの始祖だった。マック+レーザーライターによりDTP(デスクトップパブリッシング)環境が整った。
マックは内部構造が非公開であり、日本語処理もままならなかったが、一部熱狂的なファンにより、コトエリ、コトダマという日本語処理環境が整えられた。
日本のテイジン、キャノンの協力があり、すくすくとアップル社は成長した。
途中、自ら招聘したジョン・スカリー氏(元ペプシコCEO)により、アップル社を追放されたスティーブ。
NEXT社を創業し巻き返しを図るが、しばらく苦しいときを過ごす。
アップル社の業績不振を前にして、創業会社に無給の役員として勤め、以後死に際するまで無給を通した。(正確には年収1ドル)
彼のような生き方は、だれも真似の出来ないものであり、彼が手がけた多くの製品と同じく、無双(むそう)のものであった。
第2、第3のスティーブが、今後も出現し、人類の能力伸長に、大いに役立って欲しいと思います。