昔話
2015-12-20 | 番外
左画像 "RED WINE" の下 "УВИТА" から "Aя78" までキリル文字がビッシリと並んでいます。(そのさらに下は見慣れたアルファベット=スペイン語です)。"UVITA"(「小さなブドウ」ぐらいの意味)をロシア語で綴るとそうなるんですね。(私には全く心得がありませんが、アルファベットが少しずれていたりして厄介な言語という印象を持っています。)何にしてもアルゼンチン産のロシア向け製品ということでしょうか? まあ、彼の国はブドウ栽培の北限より高緯度に位置していますから輸入に頼らざるを得ない訳ですが。
ということで、少し前に地元のL店で見切り品の赤ワインを買ってきたのですが、予想外の甘口でそのまま飲む気にはなれず、昨晩の日本語教室クリスマス会の持ち寄り料理(鶏肉の赤ワイン煮)に使ってしまいました。(その味は自分でもイマイチと思いましたが、赤ワインにはビックリするほど良く合います。)それはさておき、右画像の生産者情報にある "Maipú - Mendoza – República Argentina" を読み、私はパラグアイ在住時代によく買っていたメンドーサ産の箱入り白ワイン(通称箱ビノ)を思い出したのでした。
その代物は当時800グアラニーぐらいだったと記憶しています。その後の物価上昇で1300ぐらいになりましたが、それでも1USドルでお釣りが来るほどの激安でした。そして味も価格相当、ではなくハッキリ言って粗悪品でした。開けた途端に何ともいえぬ嫌な臭い(薬臭さ)が漂ってきたし、かなりの高確率で二日酔いになりましたから。(混ぜ物を加えていたと思います。)ですが、パラグアイ西部の超僻地に住んでいた我々(私と先輩の協力隊員)には他に選択肢がありませんでした。(にもかかわらず、その「代物」を村の若者が途中で加わった勢いもあり、買ってきた8箱の全てを一晩で開けてしまったこともあります。翌日は日が落ちるまで起き上がれませんでした。)
酒が買えるのは約50km離れたドイツ系居住地でしたが、宗教上の理由でアルコール類は御法度。(あの町で酒飲みは悪魔呼ばわりされかねない雰囲気でした。)したがってスーパーや商店で扱われることはなく、酒屋の裏口でコッソリ売られていました。ビールはそれなりに品が揃っていたのに対し、ワインといえば先述の代物の他には超絶的な甘口の赤のみ。(砂糖どころかパラグアイ原産というステビアでも入れてたんじゃないか?)消去法で「箱ビノ」を選ぶしかありませんでした。首都からJICA事務所の人が訪ねて来た時に差し入れてくれたチリ産のワインを飲んで「こんな美味い酒がこの世にあるのか!」と感激したことも懐かしい思い出です。(ついでながら、JICAの人には「あれを飲んでるんですか?」と驚かれました。料理用にしか使っていなかったそうです。他にマシなのが手に入るのなら私らも当然そうしたでしょう。)そのワインも今買えば1000円もしませんが(笑)。
次回もパラグアイの話ですが、10日後に迫った渡航と関係しているので「現在」に入れます。