国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

まだあった

2015-12-30 | 結婚@Bolivia〜来日

今成田ですが出国のピークを過ぎているので空港は閑散としています。

ついでながら来る時の新幹線(米原→品川)もガラガラでした。上りは空いているだろうと思っていましたが、予想通り。豊橋で少し乗客が増えましたが、みな余裕で座れました。

フライトまであと2時間半。案の定というか危惧した通りというか、預け荷物はリマまでしか運んでもらえず(ユナイテッド航空からチリのランチレ航空に変わるため)、そこで受け取って再チェックインが必要ですが、乗り継ぎ時間がほとんど11時間もあるので先が思いやられます。
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今年最後かも?(なのに暴走)

2015-12-30 | 番外
今月最高裁判決が出た夫婦別姓問題と同じ時期にネットを賑わしていたのが「同性愛は異常」発言ですね。どっかの県の職員さんがツイッターに書き、別の議員さんが議場でそのことについてヤジを飛ばしたのだとか。私は自分がLGBTにならなかったのはそのような環境が与えられなかったからに過ぎないとも考たりすることもあるので、その種の人達のことを悪く言う気には全くなりません。一方、プロテスタントの中でもかなり保守系の宗派に属していると思しきLindaは、この7月に米国全ての州で同性婚を合法とすることが決まった時に明らかな嫌悪感を示していましたので、この点では二人の見解が一致することはありませんでした。(ついでながら夫婦別姓の件についても少し前に話してみましたが、彼女はその必要性をまるで感じていない様子でした。)

私らのことはさておいて、自分と違う思考や言動パターンの持ち主、それもマイノリティに「異常」というレッテルを貼ることによって自らが「正常」「まとも」であると確認&安心したいという人間の心理はいつの時代でも普遍的なものでしょう。しかしながら、この件について調べてみると同性愛は人間以外の動物にも広く見られるという話ですし(こちら参照)、古代ギリシャやローマ時代ではごく当たり前で現在のようにタブー視されることもなかったそうです(こちら参照)。また日本でも平安時代から存在し江戸時代には結構お盛んだったようで、「同性愛を『異常』とする現在こそが『異常』ともとれます」という記述もありました(こちら参照)。要は事実認識が正確でなければ主張に正当性も説得力も付与することはできないということです。自分の感情(好き嫌い)を喚き散らしているだけと受け取られても仕方ないでしょう。

そういえば「自然(の摂理)に反する」というコメントも結構目にしましたが、野生の動植物を飼い慣らすに留まらず自分の望むように「奇形化」させて好き放題に利用するようになった(その結果地球が本来持っている扶養力の200倍まで増えてしまった)人間という存在そのものが地球上では不自然の象徴であるといっても過言ではないでしょう。年がら年中新鮮なトマトやキュウリが食べられるような国に暮らしていて何を今さら、とも思いますし。そんなに「自然(の摂理)」が好きなら今すぐナミビアの東部とかベネズエラのオリノコ川上流地域などへ行って自給自足の ─それも牧畜・農耕ではなく狩猟・採取による─ 生活を始めてみたらどうですか、と嫌味の一つも言いたくなりました。(明らかに暴論なので話を戻します。)

閑話休題。何かというと体制寄りの発言をする人にも似たような傾向が認められますね。「それが常識」「あたりまえ」というのは思考停止に他なりません。情報を自分で集めてそれを分析・吟味するという作業にはある程度の知力が要求されますが、それを持ち合わせていないということでしょうか。あるいは単に自分の頭で考えるのが面倒なだけなのかもしれませんが。以下は宗教関係の本からの引用ですが、とても含蓄に富む言葉であり憶えておいて損はないでしょう。

正統派が結束するのは、同じ純粋さのまわりに集まって結束するのではなく、特定の「異端」を追い出すためにのみ結束するのである。自分達の内部には、時にはその「異端」と自分達の間の距離よりもっと大きな相違をかかえていても、そんなことは一向に構わないのだ(田川建三著「書物としての新約聖書」から)。

ネットに蔓延しつつあるようですが(そしてテレビでも時々見ますが)、お上の意向に従わない人を「非国民」「売国奴」呼ばわりしても構わないとする風潮にはつくづく嫌気がさしています。(数学者の故森毅さんは「非国民が住みやすい国ほどええ国ということや」とエッセイに書かれていましたけど全く同感ですね。)そういう連中のお決まりのフレーズが「そんなに嫌なら日本から出て行け」だったりするのですが・・・・さて、どうしましょうかね? 私はかねてから(今のところは半分冗談ながら)「日本がものすごく住み心地の悪い国になったら南米にでも逃げる」と(ついでながら「この職場の居心地がものすごく悪くなったらサッサと辞める」とも)言い続けてきたような人間ですが、今年になってその「避難先」が一つ確保できましたからね。(母国語以外にも日常会話に困らない言語が二つあるからこそこんなことが言えてしまうと考えたら、やはり外国語はできた方が絶対得だと思います。)

最後はちょっと過激なことを書きましたけど、今日出国してそのまま戻ってこないということはなく、来月11日に帰国する予定です。さて、どうなりますか?(←まだ言ってる。)

向こうにももちろんネットはありますが、いろいろ忙しいでしょうし利用環境も限られると思われます。それゆえ現地発信が難しいようなら戻ってから「過去」のカテゴリにまとめて投稿します。
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