私の入国審査はちょっと揉めました。係員にビザを持っているかと尋ねられましたが、日本は免除国(観光目的で90日間以内なら不要)なのでその必要なしと考えて取得していませんでした(2年前と同様)。実は入国カードに目的を記入する際に少し迷ったのです。観光なら滞在する予定のホテルの名前と住所が書かれていないと不自然。しかしながら実際に滞在するのはLindaの実家で、その住所を書いて不審に思われても拙い。ということで、観光とその他(妻の家族を訪問)の2ヶ所にチェックを入れていました。
係員は書類と私の顔を代わる代わる見ていましたが、素直に通してくれる気配はありません。そのうちに先に審査を済ませたLindaがやって来て「この人は本当に私の夫だから」と言いましたが、「ではそれを証明するものはあるか?」と言い返されて憮然。(彼女が所持していたのは在留カードだけでした。このような事態は想定していませんでしたから、ニューヨークでもらった婚姻証明書を持って来ているはずもありません。)ちょっと険悪な雰囲気になりそうだったので、彼女をなだめて「大丈夫だから先に行っといて」と送り出しました。役人を怒らせて良いことは一つもありませんから。私自身は「さすがにここまで来て帰れとは言わないだろう」と冷静&楽観的でした。(2009年11月から140日間ナミビアに滞在した時の大トラブルが頭にありました。90日は無条件に滞在できるはずだからその間に取得すればいいと安易に考えてビザなしで来たのですが、係員からいろいろ詰問された挙げ句に1週間しか滞在許可が下りず本当に焦りました。ナミビア大学の共同研究者に奔走してもらってビザが取れたのは在留期限が切れる前日でした。とくに根拠はなかったものの、あんな恐ろしいことにはならないだろうと思っていたのです。)
続いて前回ボリビアに入国した年月日を尋ねられたので正確に答えたところ、今度は画面&パスポートとの睨めっこ。1分ほど沈黙の時間が流れた後、ついに "Bienvenidos a Bolivia"(ボリビアへようこそ)と言って(だたし仏頂面でパスポートを放ってよこしながら)通してくれました。合流した時、Lindaは「どうしてこの国の役人はあんなに傲慢なの?」と半泣きになっていました。これまでいろいろ嫌な目に遭ってきたことへの恨みが噴き出したかのようでした。
今思うに、コチャバンバも国際空港とはいいながらラパスやサンタクルスと比べたら入国してくる外国人は圧倒的に少ないはずなので、このようなケースに慣れていなかったのかもしれません。そういえば前回父と来た時はスッと通れましたが、入国審査はサンタクルスでした。次に来る時も二大都市のどちらかから入る方が無難&賢明でしょうね。
係員は書類と私の顔を代わる代わる見ていましたが、素直に通してくれる気配はありません。そのうちに先に審査を済ませたLindaがやって来て「この人は本当に私の夫だから」と言いましたが、「ではそれを証明するものはあるか?」と言い返されて憮然。(彼女が所持していたのは在留カードだけでした。このような事態は想定していませんでしたから、ニューヨークでもらった婚姻証明書を持って来ているはずもありません。)ちょっと険悪な雰囲気になりそうだったので、彼女をなだめて「大丈夫だから先に行っといて」と送り出しました。役人を怒らせて良いことは一つもありませんから。私自身は「さすがにここまで来て帰れとは言わないだろう」と冷静&楽観的でした。(2009年11月から140日間ナミビアに滞在した時の大トラブルが頭にありました。90日は無条件に滞在できるはずだからその間に取得すればいいと安易に考えてビザなしで来たのですが、係員からいろいろ詰問された挙げ句に1週間しか滞在許可が下りず本当に焦りました。ナミビア大学の共同研究者に奔走してもらってビザが取れたのは在留期限が切れる前日でした。とくに根拠はなかったものの、あんな恐ろしいことにはならないだろうと思っていたのです。)
続いて前回ボリビアに入国した年月日を尋ねられたので正確に答えたところ、今度は画面&パスポートとの睨めっこ。1分ほど沈黙の時間が流れた後、ついに "Bienvenidos a Bolivia"(ボリビアへようこそ)と言って(だたし仏頂面でパスポートを放ってよこしながら)通してくれました。合流した時、Lindaは「どうしてこの国の役人はあんなに傲慢なの?」と半泣きになっていました。これまでいろいろ嫌な目に遭ってきたことへの恨みが噴き出したかのようでした。
今思うに、コチャバンバも国際空港とはいいながらラパスやサンタクルスと比べたら入国してくる外国人は圧倒的に少ないはずなので、このようなケースに慣れていなかったのかもしれません。そういえば前回父と来た時はスッと通れましたが、入国審査はサンタクルスでした。次に来る時も二大都市のどちらかから入る方が無難&賢明でしょうね。
ようやくにしてボリビアに来ました。トイレの表記も馴染みのある "Baños"(浴室)になり、さらに落ち着いてきます。
上はおまけですが機内食(スナック)の包装紙。モラレス大統領が印刷されています。
ところでサンパウロからサンタクルスに向かうフライトは30分以上遅れました。あちらからの飛行機が定時に着かなかったためです。(機体がないことにはどうしようもありません。)それで嫌な予感はしたのですが・・・・・・15時半頃サンタクルスに着いてみれば、私達の乗る一つ前のOB643(15:30発)は搭乗手続きがまだ始まっていませんでした。
どうやら遅れが連鎖しているようです。それで電光掲示板には行き先と出発時刻の同じフライトが3便。結局643便は2時間遅れの17時半、私達の645便は90分遅れの18時に飛び立ちましたが、搭乗ゲートの表示が3番と4番の間で何度も変わり右往左往させられました。その影響と思われますが、コチャバンバの到着出口の方も土壇場で変更になったらしく、私達が出た時には誰も迎えがいませんでした(苦笑)。しばらくLindaが歩いて御家族を見つけた次第です。
2年ぶりに再会した姉妹の後姿です。(空港到着ロビーでの感動的対面も収めたはずなのに撮れてませんでした。)
この日の晩餐会(歓迎会)の様子。これでも一部しか集まらなかったのですから、やはり日本人から見ればとてつもない大家族です。Lindaの兄弟姉妹は辛うじて憶えていましたが、甥御さん姪御さんは名前はおろか誰のご子息なのかもサッパリでした。
思うにいろいろ想定外の事態に見舞われながらも無事到着できたのはラッキーでした。いつか貴重品の紛失とか乗り遅れ、荷物の不着といった深刻なトラブルに巻き込まれるのではないかと危惧していたのですが、そういう目には遭わずに済みました。とくに心配していたのはチェックイン時に預け荷物の重量オーバーを指摘されること(こちらと向こうの理解が一致しないこと)でしたが、それも杞憂に終わりました。
ボリビアーナ航空のチェックインカウンター前には、それまでサンパウロで見ていたのとは明らかに違う顔出ちの人たちが並んでおり、それを眺めている内になぜか気分が落ち着いてきたのでした。
搭乗待ちの人々の会話もスペイン語が優勢。いよいよ近づいてきたんだなあ、と実感が湧いてきました。
たったこれだけの文章ゆえ本当はサンパウロからのフライト前に投稿したかったのですが、日本語を打つのがとろいのと画像のアップロード中に何度も落ちたため(おそらくメモリ不足が原因)、無料でWi-Fiが使える1時間が過ぎてしまい果たせませんでした。実はもうコチャバンバに着いていて、Lindaのお姉さんの家での夕食後にこれを書きました。
帰国後追記
ブラジルポルトガル語では "Sanitários" ですか。本来の意味は「保健」「衛生」だと思うのですが、わからなくはありません。
部屋のテレビでNHKを見ています。音声も日本語です。ネットテレビのようで見られるまでにずいぶん苦労しました。
南米でNHKを見るのはたぶん5年ぶり。前回は紅白歌合戦の生中継を見たことを思い出しました。