そうか!
2020-01-01 | 日記
昼前になってLindaが "10 minutos"、"5 minutos" と言い始めたので何事かと思っていたら、12時ジャストに "Happy new year !" と大声で叫びました。
過去2年あちらで過ごしていたため我が家では新年を2度迎えるということを忘れていました。蛇足ながらボリビア(夏時間)との時差は丁度12時間です。
ところで彼女は朝からいろいろ作っていました。明日の準備です。
過去2年あちらで過ごしていたため我が家では新年を2度迎えるということを忘れていました。蛇足ながらボリビア(夏時間)との時差は丁度12時間です。
ところで彼女は朝からいろいろ作っていました。明日の準備です。
初詣
2020-01-01 | 日記
2020年最初の食事です。かつては毎年12月30日に家で餅つきをしていましたが、この雑煮のは昨日父が百均で買ってきた鏡餅を切ったものです。その右にある皿は棒鱈の甘露煮。Lindaが棒鱈を一度も食べたことがなかったのと私も長いことご無沙汰(注)だったので、昨日作ろうと思い立って買いに行ったのですが、戻すのに二日かかるためか既にスーパーの店頭にはなく、偶然見つけた調理済みを購入した次第。なぜか半額シールが貼ってありました。(注:母の存命中は里芋との煮込みがお節料理として加えられていました。)
それを買った業務用スーパーでもらいました。
食後は町内の神社へ初参り。さて、今年はどんな年になるのでしょうか?
おまけ
これは書き初めでなく昨日クレヨンで描いたものです。Lindaから書道セットを買ってくれと言われています。もし彼女が「ワタシが日本に住む理由」(BSジャパン)に出演することにでもなれば、番組の終わりに好きな漢字としてこれを書くんでしょうね。
オマラ?
2020-01-01 | 日記
昨日の夕食後、二人で観るテレビ番組を探したのですが・・・・・・格闘技(とくに流血の多いボクシング)はLindaが嫌がるし、他のチャンネルにもこれといったものはなし。(中でも芸人が笑うたびに尻を叩かれるという番組は (何年も続いている人気シリーズのようですが)「何とくだらない! 下品」ということで即座に却下。まあ、その評価は正当だと思いますけど。)「それじゃ、オペラのDVDを観ようか」ということになりました。
以前買い集めた中古品で一度も鑑賞していない作品が複数ありましたが、選ぶのに迷うことは全くありませんでした。先週の旅の直後だったので。(ちなみに下は最も有名なアリア (独唱) のシーン。)
ちなみに私が買ったのはこれで、数十ページの解説本が付いています。(日本語対訳が役立ちました。私には英語字幕だけで理解するのは厳しい。)そのQ&Aコーナーに「着物を左前に着て、ずかずかと靴で走り回る『蝶々夫人』を見たことがあります。いまどき、こんな舞台が許されるのでしょうか?」という質問がありました。その答えが「許されます」で、理由は「作曲当時(19世紀末)のヨーロッパ人が日本に対して抱いていたイメージだから」というもの。一応筋は通っているように思いますし、時代考証を厳密にやると却ってつまらなくなるかもしれません。(最近の時代劇にはそういう傾向があるらしい。)けれども完全に納得している訳ではありません。
以前聞いたところでは、喋々さんが改宗したことを聞いて叔父のボンゾ(坊主のこと)が怒鳴り込んでくる場面で、僧侶の彼が手に鳥居のミニチュアのような物を持って呪いをかけるというまさに噴飯もの(どっちの意味でも)の演出まであったとか。(日本がもっと宗教に厳しい国だったら演出家の身に危険が及んでも不思議ではありません。)あるオペラ歌手がラジオに出演した時の話では、この作品には日本の地名、人名、風景、文化などに関する誤りが数え切れぬほど存在するとのことで、彼はそれを直すために海外で啓蒙活動を行っていたそうです。
昨日見た舞台ではそこまで酷い演出はなく喋々さんの着物も右前でした。ただし台詞には違和感が。先述のボンゾや親戚一同がヒロインをなじる時に「さん」付けだったり、逆に求婚者に丁重な断りを入れる時(字幕には「様」が)には呼び捨てだったり。これは台本なので直しようがありませんけどね。(いじったら歌詞が曲に乗らなくなってしまう。)字幕の "Cio-Cio-San" にも笑えました。そういえば最初の画像中に出ている "Omara" という地名も対訳の脚注で「長崎の北東に位置する、大村のこととも推定される」と解説されていました。
まあ十分に名作なので、これ以上ケチを付けるのは止めときますが、同じ欧州でも伊太利亜人よりはキッチリした独逸人が手がけていたら、ここまで杜撰なことにはならなかっただろうとは思います。
以前買い集めた中古品で一度も鑑賞していない作品が複数ありましたが、選ぶのに迷うことは全くありませんでした。先週の旅の直後だったので。(ちなみに下は最も有名なアリア (独唱) のシーン。)
ちなみに私が買ったのはこれで、数十ページの解説本が付いています。(日本語対訳が役立ちました。私には英語字幕だけで理解するのは厳しい。)そのQ&Aコーナーに「着物を左前に着て、ずかずかと靴で走り回る『蝶々夫人』を見たことがあります。いまどき、こんな舞台が許されるのでしょうか?」という質問がありました。その答えが「許されます」で、理由は「作曲当時(19世紀末)のヨーロッパ人が日本に対して抱いていたイメージだから」というもの。一応筋は通っているように思いますし、時代考証を厳密にやると却ってつまらなくなるかもしれません。(最近の時代劇にはそういう傾向があるらしい。)けれども完全に納得している訳ではありません。
以前聞いたところでは、喋々さんが改宗したことを聞いて叔父のボンゾ(坊主のこと)が怒鳴り込んでくる場面で、僧侶の彼が手に鳥居のミニチュアのような物を持って呪いをかけるというまさに噴飯もの(どっちの意味でも)の演出まであったとか。(日本がもっと宗教に厳しい国だったら演出家の身に危険が及んでも不思議ではありません。)あるオペラ歌手がラジオに出演した時の話では、この作品には日本の地名、人名、風景、文化などに関する誤りが数え切れぬほど存在するとのことで、彼はそれを直すために海外で啓蒙活動を行っていたそうです。
昨日見た舞台ではそこまで酷い演出はなく喋々さんの着物も右前でした。ただし台詞には違和感が。先述のボンゾや親戚一同がヒロインをなじる時に「さん」付けだったり、逆に求婚者に丁重な断りを入れる時(字幕には「様」が)には呼び捨てだったり。これは台本なので直しようがありませんけどね。(いじったら歌詞が曲に乗らなくなってしまう。)字幕の "Cio-Cio-San" にも笑えました。そういえば最初の画像中に出ている "Omara" という地名も対訳の脚注で「長崎の北東に位置する、大村のこととも推定される」と解説されていました。
まあ十分に名作なので、これ以上ケチを付けるのは止めときますが、同じ欧州でも伊太利亜人よりはキッチリした独逸人が手がけていたら、ここまで杜撰なことにはならなかっただろうとは思います。