演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

ミュージカルスクール

2019年03月26日 23時28分40秒 | その他

昔娘が通っていたミュージカルスクールの名前を思い出せなくて「静岡 ミュージカルスクール」で検索したら、11軒ぐらい出てきた。
いくらなんでも、こんな小さな町にそんなにあって、商売は成り立つのだろうか?
最近、清水のミュージカルスクールが1校閉店してましたから(ネットで調べたら移転でした。これで12軒ヒットか)。



検索の結果、娘が通っていたのは「リトル ステップ ファクトリー」でした。


加藤諒くんが5歳から18歳までいたところです。うちの娘は4歳か5歳でやめたはず。その後はバトントワリングやってました。
加藤くんの多摩美術大学時代の先生の一人が、私の知り合いの旦那さんだそうで、まあ、人の縁なんてどこに転がっているか分からないなと思いました。
今から45年前の多摩美は牛が鳴く道を延々と上ったところにありましたが、今ではすっかり街になってしまったようです。
おしゃれな武蔵野美術大学に比べてなんかあか抜けない大学だったなあ。

そういえば、ヒューマンアカデミー仙台校というところから、4月6日に私の作品を上演するという連絡が来てOKをだしたけど、その後何の連絡もないがどうなっているのだろう?
学校の規模としては、かなり大きいようだが。



通夜と三月のライオン

2019年03月26日 06時11分21秒 | その他

20日の早朝に年下の友人が亡くなった。前日まで、犬の散歩とか自転車に乗ったりしていたので、本当に急なことだった。
22日に通夜があり、読経の間、一緒に走った時のことや、あまり呑めないのに律義に忘年会や夏のビアガーデンに出席してくれたことを思い出し、涙が止まらなかった。
映画がよかったのと、古本屋で安く出ていたので「三月のライオン」を買い始めたのが、3月17日だった。7冊で216円(+別の本3冊付)それから、不足しているところを買い足して最後に残った13巻を購入し、全巻そろったのが3月24日だった。
その13巻に「雨の匂い 河の匂い」という章がある。棋士の滑川の実家が葬儀屋で、人手が足りなくて手伝いに行った時のエピソードが描かれている。
そこで棋士の滑川が「どして人というのは、こんなにも忘れっぽいんでしょう。こんな風にたくさんの人生の最後を見送ってきているのに、どうしてもっともっと、もっと切迫感をもって生きられないんでしょう」と自分の棋士としての生き方を語りだし、最後に「…これで私、死ぬときにちゃんと、「ああ生き切った」……と思えるのでしょうか‥」と言うと

実家を継いだ弟がぽつりと答えた「「生きる」って事についてなら、僕 思うんです。「自分も いつかは死ぬんだ」って事を、忘れて呑気に日々を送れてしまう事…それって、人間の持っているちっぽけな権利の一つなんじゃないかなって」

まあ、そうなんだが、ちょっと「生き切っていない」自分が情けなく、まずはブログの更新から、とこのブログを書いている。