「なぜ、発声練習が必要なんでしょう」問いかけに、前回に引き続き、がんちゃん@お母さん からコメントをいただきました。
>★大きな声が出るようになる.
>(高校の頃,腹式でやる発声法を指導されて練習してました.まず声が小さいと何を言っているのか見てる人に聞こえない.)
>★カツゼツ(漢字が出ない~)がよくなる.
>(また別にカツゼツの練習教材?もありますが,とりあえず発声が基本かと.これも口が回って?いないと見てる人が何を言ってるのか聞き取れない.)
>★テンションが上がる.
>(芝居にはテンションが必要です.大きな声出すと,それだけでテンションがあがる.)
今回は、半分正解で半分はあたらずしも遠からじと、いうところでしょうか。
まず、大きな声がでるようになる、ということですが、よく考えると大きい声でなければ聞こえないのでしょうか。昔、宇野重吉さんの「にんじん」という芝居を観ましたが、お世辞にも大きい声とは思えませんでしたが、後ろまでちゃんと聞こえました。
響く声である必要はあると思いますが、大きい声である必要はないと思います。
よくやる間違いは、台詞を言うときのトーンと違う声で発声練習をしている場合です。それって、役に立つのでしょうか。
教えているときは、大きい声でなくていいから
口の形を注意して、響く音を探すように言っていました。
あと、呼吸。
腹式でなくていいので
長く呼吸が出来るように、いくつか訓練をしていました。
芝居の台詞は、日常の会話と違ってセンテンスが長いので
同じ調子で息を吐けないといけません。
一息でどれだけ長い台詞を言えるのかが結構重要なのです。
大きい声が必要なのではなくて
自分の声をコントロールできることが必要なのです。
詳しくはかめおかゆみこさんの「演劇やろうよ」を読んでください。
大体同じ意見です。
とはいうのもの、口角を上げる口の形作りとか
呼吸の練習をその年の春に、重点的に教えるのですが
なぜか人気がなくて、いつの間にか
大声を上げる、(私からするとあまり意味のない)練習に戻ってしまいます。
これは、「テンションが上がる」というところに起因すると思います。
大声を上げるのは気持ちがいいのでしょう。
実は、滑舌のほうが重要なんだと私は思っているのですが。
明日は「なぜ、滑舌は重要か?」です。
>★大きな声が出るようになる.
>(高校の頃,腹式でやる発声法を指導されて練習してました.まず声が小さいと何を言っているのか見てる人に聞こえない.)
>★カツゼツ(漢字が出ない~)がよくなる.
>(また別にカツゼツの練習教材?もありますが,とりあえず発声が基本かと.これも口が回って?いないと見てる人が何を言ってるのか聞き取れない.)
>★テンションが上がる.
>(芝居にはテンションが必要です.大きな声出すと,それだけでテンションがあがる.)
今回は、半分正解で半分はあたらずしも遠からじと、いうところでしょうか。
まず、大きな声がでるようになる、ということですが、よく考えると大きい声でなければ聞こえないのでしょうか。昔、宇野重吉さんの「にんじん」という芝居を観ましたが、お世辞にも大きい声とは思えませんでしたが、後ろまでちゃんと聞こえました。
響く声である必要はあると思いますが、大きい声である必要はないと思います。
よくやる間違いは、台詞を言うときのトーンと違う声で発声練習をしている場合です。それって、役に立つのでしょうか。
教えているときは、大きい声でなくていいから
口の形を注意して、響く音を探すように言っていました。
あと、呼吸。
腹式でなくていいので
長く呼吸が出来るように、いくつか訓練をしていました。
芝居の台詞は、日常の会話と違ってセンテンスが長いので
同じ調子で息を吐けないといけません。
一息でどれだけ長い台詞を言えるのかが結構重要なのです。
大きい声が必要なのではなくて
自分の声をコントロールできることが必要なのです。
詳しくはかめおかゆみこさんの「演劇やろうよ」を読んでください。
大体同じ意見です。
とはいうのもの、口角を上げる口の形作りとか
呼吸の練習をその年の春に、重点的に教えるのですが
なぜか人気がなくて、いつの間にか
大声を上げる、(私からするとあまり意味のない)練習に戻ってしまいます。
これは、「テンションが上がる」というところに起因すると思います。
大声を上げるのは気持ちがいいのでしょう。
実は、滑舌のほうが重要なんだと私は思っているのですが。
明日は「なぜ、滑舌は重要か?」です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます