真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

11月16日

2010年11月16日 23時27分01秒 | Weblog
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昨日   :383歩
起床時間 :8時00分(6時45分)
血圧   :123    70
脈拍   :58
体温   :35.6℃
体重   :67.2㎏

雨戸の隙間から差す、日の光で目を覚ます。テレビをつけて時間を見ると、まだ6時45分であった。
目をつぶっていて、7時半になるのを待ってチャンネルを替えテレビを見た。
8時テレビの将棋を見る。時々居眠り、気が付くと9時半近く、体温と血圧を計る、そういえば、長男下りて言ったのかなと、気になり窓から下をミリと長男のバイクがまだ有る。時間は40分になっている、まさか寝坊しているのではと、長男の部屋を見ると蒲団が見えたが長男は居ない。下に降りていくと、台所のドアが開きしたくした長男が出かけるところ、「行ってらっしゃい」と声をかけ見送る。8枚切りを切らしたことを妻に言って置いた、トースター周りや冷蔵庫の中を捜すが、見当たらない。どうやら買ってない様子。冷蔵庫から6枚切りを1枚とって、トースターで焼く、スライスチーズとスライスハム、はいつもどおり、ただ、牛乳を控え、インスタントコーヒーにする。新聞を見ながら、朝食を済ませる。
10時部屋に戻り、パソコン2台の電源を入れる。調べたいことが有るので、手塚プロへ行ってこなければ、と思っているうち、時間ばかりが過ぎていく。若い頃はこんな事はなかった。予定を立てれば30分前に出かける準備を終わらせ、余裕を持って30分前に待ち合わせの場所に行き、周りの様子など一通り調べておいて、相手と会ったものだが、今年あたりから、あっという間に時間が過ぎ、歩いて行く予定を、自転車で行かなければ間に合わなくなり、それでも愚図愚図しているとバイクで行かなければならなくなることが、たびたび有る。これがボケると言う事なのだろうか、まだ自覚症状が有るだけ救いようが有るのかもしれない。今回も、午前中行く事を諦める。自分自身に言い訳をする「どうせ午前中行ったって、室長は会議で居ない}午後に行こう、次の言い訳、14時に妻が帰ってくるのだから昼食を済ませてから行こう。そして14時妻が戻ってきて、チキンラーメンが良い。「と聞き。返事も聞かないうち勝手に「うどんが有るからうどんにしよう」と決め「ラーメンのほうが良いな」と言っても聞く耳持たぬ呈成り。
 うどんで朝食を済ませる。火の気の無い部屋、炬燵に入りの昼食、寝巻きのままでは寒すぎる今日、我慢しきれずエアコンのリモコンを捜し暖房を入れた。14時半部屋に戻り着替えをする、一枚余分に着て、皮ジャンを着ていくことにする、真冬のいでたち。日曜のバザーで買った、リックにも倍良いいるパソコン、デジタルカメラ、デジタルビデオ、双眼鏡、お財布入りのバックなど大荷物。靴はかかとまで有るものを履く。どうせエンジンがかからないバイク、セルを回してみる、バッテリーの勢いがあり4,5回まわしてもなくならない、そしてキックをするとすぐにエンジンがかかった。15時過ぎ手塚プロに着く。
mabさんから指摘されたことを説明意見を聞く。するとBJはそもそも虫スター総出演の意図で始めた作品だと言う。版権問題で使えなくなったと今まで思っていた。すると「それはアニメ化だけでしょう、」マタマタ早合点、一を聞いて10を知らず勝手に誤解していたと言う事。それもこの四十年近くなって初めて教えていただいて間違いに気が付いたのだ。この間の手塚先生から頂いた、本のサインにしろ、今回の重大な間違えにしろ、何か大きく変わりそうな気がする、それとも、お迎えが来る前触れなのだろうか、そう思うと、少し怖いが(本心はかなりの恐怖です)。
mabさんにはこれからもっといろいろと調べて、そしらせしなくてはいけないのだが、メールアドレスがわからない、今後ブログでは書けない事も判る可能性が有る問題だろう。手塚フアン大会が昨年と同じ場所で開催される。図々しくも私も友人として参加させて下さいと、懇願してくる。そこでもっとほかの人の知識も教わってこよう。外は暗くなっていた、お礼を言って、小林先生と吉村先生に会ってそのまま帰るからと部屋を後にする。3階に行き、小林先生に挨拶し、吉村先生には先日のウォーキングでお話していただいたお礼を言う。手塚プロを後にする既に外は真っ暗。新座市役所に寄り、市民化へ行く。先日アトムの住民票でお世話になりましたと、お礼を言ってくる。
東久留米に戻り、プレジャーファクトリーへ寄る。何もなかったがレジ近くに婦人者の毛皮のコートが置いてある、良さそうなもので幾つかかけてあり手前のを手で触ると実に手触りが良い、昔、奥村チヨがレコードのジャケットで着ていたような毛皮のコート(古いね)妻が着ているのを想像する。隣にも同じようなコートが、こちらのほうがもっと良さそう、12000円、本来数十万円するものだという。買ってあげたくなる、今まで苦労ばかりさせて一度も高価なものを着せてあげた事がない。結婚式の貸衣装でさえ、亡き母が高価なのを借りようとしたが、試着してみてどうしても衣装に負けてしまい、安いほうが良く見えるからと、本人が言うので、安い貸衣装を着た、そんな思い出を思い出す。
しばらく迷っていた。当然高いほうなのだが、喜ぶかどうかである。
前に毛皮は手入れが大変なので、持ちきれない、と言っていた事を思い出す。こんなもの買ってきてどうするの、何処へ、着ていくの、そんな声が聞こえたような気がする。買う気持ちだけ持って17時50分家に戻った。疲れた、パソコンの電源を入れっぱなしであった。暗い部屋にモニターの明かりだけが点いている。歩行計が蒲団の上に置き捨てて有る、持って行くのを忘れた。充電器に携帯電話が差したまま、そういえば日曜日寝る前、電源を切って充電すると、電池に良い、と聞いたものだから電源を切っていた間が切ったままになっているので昨日から今まで電話がかからない状態になっていた、携帯を持ってから初めて。やはりボケかな。寒いので足元電熱器のスイッチを入れる、これ歯サモスタットが聞いて暑すぎてくると自動で切れる、画からスイッチの切り忘れに注意しなければ、一つの方法として、パソコンなどの電源を切って電源タップのスイッチを切れば全ての電源が切れる方法にしては有る、足だけの電熱マットのスイッチも入れる、毛布をひざ掛け代わりにして膝に掛ける。それでも寒い。19時50分妻が「夕飯」と呼ぶ、パソコンのきれの良い所でやめ、下に降りていく。テレビを見ながら夕食。20時15分には長男も帰宅する。21時までテレビを見て部屋に戻る、22時30分やはり冷えるトイレに行く。丁度長男は風呂から出る。トイレから出ると、「入ったら」と妻が言う。部屋に寝巻きを取りに行き風呂に入る。風呂から出て「つぎ次男に言う」と妻に聞くと、「今日は熱が37度ぐらい有るというのでパス」との事。
22時前しっかりと暖房足元電熱器と脚用カーペットそしてひざ掛け毛布。寝巻きに着替えているので少し寒い。22時からプログを書き始める。23時半まだ昨日の分を書いていなかった。
コメント
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