真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

2014年03月26日(水)

2014年03月26日 23時59分37秒 | Weblog
 5時30分、目を覚ます。
 5時50分、六仙公園、ポールは、下げてくれてあった。
遊具広場を回る。ラジオ体操の人たち、雨が降りそうなので、少ないのかな。
 6時20分、桜の花、開花宣言されたというが、まだ咲いていない。よく見ると、だいぶ、膨らんできているのがある。
 八小記念広場を回り、東口、富士山は曇っていて見えない。
 6時38分、縄文の丘、昨日作業をしていた、石積みの修理、終わっているようだ。
 広場に行くと、縄文土器の焼き方のモニュネント、つなぎ目修理のあとに、ライターが差し込んであった。
 残土の袋の山、除線した残土かなと、思ったので、なんとなく不気味。
 7時、家に戻る。「天気予報では15時から、雨」妻に言うと、「自転車で行くから」と妻。
 7時15分、部屋でテレビ、7時28分、妻が外に、窓から「3時から雨だから、速めに帰っておいで」
「農協、よってくるから少し遅くなるかも」出かけていった。
 7時45分、テレビを見終わる。血圧、体温を測る。体温が低いので、計りなおしたが同じであった。
 7時45分、計り終わり、下に行き、8枚切りでのいつもの朝食。
 六仙公園、覗いてくるが、爺ちゃんたち来ていない。
 8時10分、部屋に戻っている。
 8時16分、テレビ見終わり、目をつぶっている。
 8時55分になったら、下に行き、ストーブをつけておこう。
 9時07分、うとうとしたようだ、目を覚まし下に行って見ると、長男が居て、ストーブをつけてあった。
「今日も、送ってくれる」と長男が頼んだ。風邪?の状態がまだ良くならないが、仕事があるとの事。
 9時32分、家を出る。
10時02分、長男を送る。
10時28分、新青梅街道ニトリに寄る。
その先、プロの建材店に寄る。
花四交差点を越えて、島忠に寄る。
11時15分、ダイソー小平店に寄る、同じものを持った、若い女性が、10人ぐらい、ぞろぞろと出てきた。
 全員が同じものを買ったのか大きなビニール袋を持っていた。
面白い、光景であった。
11時30分、所沢街道の、お風呂の王様に行く。
12時、風呂から出た。疲れが取れすぎたのか、少し、ふらつく感じがする。
せっかく、治っていたと思っていた、右の足首、水流で、コリをとったのに、また痛み出した。
12時10分、家に戻った。次男が、お昼を食べていた。
 おにぎりセットを買って置いたのに、おにぎり一つだけ食べ、あとはお皿に残して、インスタントラーメンを作って食べていた。
「お父さんはおはぎを買ってあるので、全部食べてよかったのだ」とおむすびを渡した。
で、おはぎ、4個で、昼食。(やばいね、糖尿再発するよ)
テレビ、麻雀見させてもらう。
12時50分、「兄貴の本、買って来るね」と、次男が出かけていく。
14時から、ドラマを見ていた。寒くなってきた、
湯冷めするといけないので、部屋に戻り、布団に入ってテレビを見る。
15時、妻が帰ってきて、顔を出す。
15時40分、家を出る。六仙公園南の通りで、新しく出来た、住宅の道を抜け、イオンに、A入口から入り、D出口から出る。
16時10分、D2に行く。
16時19分、バルサーを入れておいて欲しいと、頼んだが、色々と入っていた。後でみんなに、話そうと、写真を撮っておく。
暑さ1mm、2mm、4mm、6mmが有り、ふぉかにも角材や三角や、ひごなど色々工作できる、材料があったよ。
16時30分、カーテンの王様、
16時36分、ビックAに寄る。
16時50分、家に戻ると、鍵がかかっている、妻、買い物に出かけていた。
17時、コタツでテレビ、麻雀を見る。
17時30分、妻が戻ってくる。5個入りチョコレートパンを買ってきていた。
 テレビを見ながら、いつの間にか3個も食べてしまった(この、意思の弱さ)
18時過ぎ、次男も、もどってくる。
18時40分、部屋に戻っている。
19時、下に行き、テレビを見る。
19時20分、長男から迎え依頼の電話が来る。
19時48分、着く。
19時52分、長男を乗せる。
20時20分、家に戻る。すぐに夕食。
20時45分、六仙公園パトロール。遊具広場を一周する。
トイレ前、ベンチとベンチの間に、サッカーボールの忘れ物、バックヤードに入れておく。
 次男が帰ってきて、何処でも、桜の花が咲いていたよ、と言っていた。
20時59分、懐中電灯で照らして見ると、本当に咲いていた。
21時03分、みはらし広場、空き缶多数とペットボトルなど、散乱、帰りに拾うため、集めておく。
21時10分、縄文広場、自転車が15台、外に、軽自動車2台で、青少年が集まっていた。
 「こんばんわ」と一声かけ、縄文の丘を見回る。
東口に向かうと「懐中電灯壊してやろうか」など、後ろから声がして、威嚇された。
21時25分、イオンに。
21時36分、ハンバーグと、チキンの、弁当を買い、セルフレジを済ませる。
21時45分、東口から六仙公園、パトロール、縄文広場、17,8人は、まだ居た。
22時10分、噴水前広場、ベンチに2人居た、ベンチの後ろに、空き缶やペットボトル、ごみなど。
「ごめんなさいね」と言い、拾うと「ご苦労様です」と声がかかった。
22時16分、家に戻る。妻、仕事があるので、お風呂先に入るように言い、部屋に戻り、パソコンの電源を入れる。
22時37分、妻が出たよと呼ぶ。風呂に入る。
23時12分、風呂から出て、部屋に戻る。
23時35分、ブログの準備。

昨日のブログに、コメントを頂いていた
 元、虫プロ社長の、川端さんの身内の方、
私が、虫プロのとき、バタさんは、すでにプロデューサー、昭和41年には、社長室に居たので、お話しする機会があった。
その後現場に戻ったが、私は進行なので、大きい意味での部下であった。
 私は、ふしぎなメルモで、手塚先生に呼ばれ、手塚プロに移ったが、川端さんが、社長になられたのは、その後の話。
ほとんど、知られていないが、海のトリトンのとき、手塚プロで、10話、作り終えたころの話であるが、
虫プロ商事の、営業であった、西崎という、男に、手塚治虫がそれまで、築き上げてきた、作品すべての、版権、(映像権)を
だまされ、盗まれてしまったと、手塚先生が、悔し涙で、私に告げた。
 版権収入がなければ、虫プロ商事がつぶれるのは当たり前、そして当然、虫プロもつぶれる。
その、ドサクサ紛れに、上手に立ち回った、西崎であったが、とんでもない、貧乏くじを引かされたのが、川端社長であったと思っている。
 その後の苦しさは、風の頼りに、聞いているだけであった。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、西崎と関わった者は、手塚先生に恨まれたと言う。
 当然、富野さんや山本さん、ヤマトの、柴山さんなど、手塚先生に、冷たくされた理由がわからなかったと思う。

 その後、練馬区役所に、勤めている人から、ボランティア関係で活躍している川端さんの噂を聞いた。
「誰も知らない、手塚治虫」の出版にかかわり、
やっと、川端さんにお目にかかることが出来た。それが、虫プロ有志の忘年会だった。

私が、虫プロの頃、上司にやたら、立て付く、扱いづらい進行であったことを、わびる、チャンスであった。

  (小林 準治先生 イラスト)
 よく覚えていてくれて、そんなこと無い、良くはたらしてくれた、と言ってくれたことをありがたく思っている。

書き込んで下さったのは、亡くなられた、暮れに、はがきを頂いた、方、だと、思います。
年が明けて、ご挨拶、しなければと、ご自宅まで伺いましたが、あいにく、お留守であったので、そのまま縁がなく過ごしてしまいました。
 お近くの、小学校に、柳久保小麦で作る、うどん教室に、お手伝いをしに行ったときなど、裏から材料を搬入したので、気にはしておりました。

お会いしたことがないので、なかなか、お会いできないとは思いますが、
5月のクラシックコンサート、など、裏方として、生涯学習センターなどに、出没しますので、お目にかかれるチャンスがあれば、うれしいですね。

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 0時10分、ブログを書きはじめる。
 2時10分、投稿する。明日、いや、もう今日は、13時からウォーキング、
それに長男の体調が悪ければ、また送らなければならない。
え!雨かも、そうなると、妻も送っていかなければ、早く寝なくては。
 6415 位 / 2002079 , 昨日:21704歩,起床5時30分,血圧:111、60,脈拍:61体温:35.2℃,体重:69.3Kg, 天気:曇 
コメント (1)
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