おはようございます(火野正平風に)
「蕎麦派?」or「うどん派?」に参加中と言う事で一席。
子供のころ、そばを、食べると、頭が痛くなり、食べられなくなる、今なら、さながら、軽い、そばアレルギーだったのかな?
だからそばは、はなから、対象外。
と言う訳にはいかない。
いつの頃からか、そばが、食べられるようになり、
また、江戸っ子だい!浦和の生まれよ、(何せ浦和は、当時、東京のベットタウン)だと、きどって、
最初のひとすすりはつゆなしで
そばは噛むもんじゃない、 呑み込むもので、のどで味わうもの、
などといって、そば通を気取っていた。
夏目漱石の「我輩は猫である」の中でも迷亭先生が
「この長いやつへツユを3分の1つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。
つるつると咽喉を滑り込むところが値打ちだよ。」
「奥さん、ざるは大抵三口半か四口で食うんですね。 それより手数をかけちゃ旨くくえませんよ。」
とも言わせている。
また、友人の、(ブログ)『萬雅堂』,
<古希>も間近のマンガ描き。蕎麦打ちと書家を自称する。目指せ!「生涯現役」
樋口先生の影響もあり、またそば打ち道場なる講習会も開いたりした。
では、そば派か、と言うと、また難しい。
わが東久留米市では、柳久保小麦を、名産にしようとして、この小麦を使った、うどん教室を開いた。
もちろん、参加して、その後もうどんの会に入って、うどん打ちを習った。
習ったと言うからには、食べもする。
そして、小麦の違いから、うどんの味の違いも分かってきた。
東久留米市では、嫁に来ると、うどんが打てなくてはならなかったと言う。
冠婚葬祭での、締めは、うどんを出すことで、終わりとなったと言う。
うどんを、つるつると食べ、腰のあるうどんを良く噛んで食べろ、との事で、
つるつる、かめかめで、鶴亀、鶴亀、
縁起が良いものとされたという。
そんな歴史を知ってまたうどんにも愛着を感じている。
しかし健康のためならば、うどんよりそばのほうが、塩分が少ない。
うどんか、そばか、どっちなんだ!と言われれば、
どりらも、日本人にとって、甲乙つけがたい。
家によっていろいろな味付けもあるし、又、新たな発見で、歓喜することも多い。
だから、結論は、どちらも、好きと言う事で、
おあとが、よろしいようで。
------------------------------------------------------------------------
また、ビデオを見ていて2時半を過ぎた。
それでも5時半前には目が覚める。
あんなに、うるさかった、夜半の雨も、今は聞こえない。
下に降りて、歯磨きと顔を洗って来る、寝不足で、少し、頭痛がする。
上がって来て、体重を測り、布団に、横になって、血圧と、体温を測り、メモしておく。
暗い中、六仙公園に行き、ポールをあげて来る。
雨も降っていたし、まだ暗いので、人影はない。
離れに戻り、2階で、テレビをつけて、ウェザーニュースを見る。
どうやら、お天気は回復しそう。
6時50分、母家へ行く前に、六仙公園入り口まで行ってみる、誰かはわからないがすでにヒコーキを飛ばしに来ている。
戻って、朝食の準備。8枚切りに、スライスハムとチーズ、一緒に、ゆで卵、オーブントースターで、温める。
牛乳パックを、冷蔵庫から取り出して、カップに注ぎ、電子レンジで温める。
7時15分、テレビを見ながら、朝食。
7時28分、妻が、出かけるため玄関で、「行ってきます」
8時過ぎ、ちょっと居眠りしていた。
8時20分、六仙公園に行く。
8時25分、トイレの周りに、皆が、集まっている、誰か、倒れている。
(クリックすれば、大きくなる写真をと言う、リクエストで、この1枚だけ実験的にしました、ちなみに、大きさは、3648X2736、サイズは2.73MBです)
蝦爺が来て、増爺がトイレの前で転倒したとの事で、意識はあるが起きられないと言う。
救急車を、呼んだとの事であった。
場所が、わからないといけないと思い道路に出て救急車のサイレンが聞こえるのを待った。
8時34分、消防のほうから、蝦爺に、問い合わせの電話がかかってきたようであった。
緊急性を、疑われているのだ。
8時35分、すかさず、119番する。すでに連絡してあるがと、再度場所など説明、
起きることが出来ず倒れたままであるので、至急、救急車を遣すすように要請した。
西東京の西原から向かっているとの事で、何分かかるかと質問、20分かかると言うので5分で来いと言った。
東久留米は独自の消防であったが、武蔵野消防署に移管した。
そのため、前沢消防署などが無くなって、こんな時に、時間がかかってしまうとは。
前にあった、赤バイ隊も活動していない。
消防の、予算は移管によって高くなっているのに、こんなことでは市民の生命が、守れれない。
8時43分、神明通りまで出て待つ、救急車のサイレンが、イオンの方角から、
消防車のサイレンが、消防署の方向から聞こえてきた。
やっと来た、公園入り口まで走って誘導する。
西口から来た、消防車の救急員のほうが早く、増爺のもとへ、かけて行った。
8時46分、事情を聞いたりで、なかなか搬送できない
その間、朝爺が、奥さんに連絡しようとする。
救急車にやっと運んだが、搬送先が見つからず、9時になっている。
9時05分、連絡が取れた奥さんがバイクで駆け付けた。
救急車に乗り込み、一緒に救急病院に向かった。
後は、心配するだけ、搬送先も何も、分からないでいる。
一度家に戻り、長男に六仙公園に居ると伝えてくる。
トイレに行ってみる、とびらのない、男子トイレ、誰かが、洗面台を使い、床を水浸しにしてあった。
滑るはずのない、タイル張りの床であったが、昨夜来の雨で、地面が、ぬかっていたので、靴に泥がついていて、そのため滑ったらしく。
滑った泥のあとが残っていた。
9時23分、増爺が、怪我をしたとの、情報が入った、と心配したS譲さんから電話が入る。
シルバーの、トイレ掃除のミスかと心配での電話、そうではなく、誰かが水浸しにしたのだと説明する。
9時半すぎ。、公園管理者の車が、新しいトイレのほうへ走って行く。
暫くして、みはらし広場ベンチに居た、われわれの方へ来る。
事情を聞かれ、説明などする。
トイレ掃除のおばあさんが、やはり向こうのトイレからこちらのトイレに来ていた。
自分のせいなのかと、青い顔をして心配そう、
そばに行って、「トイレは、ぬれてはいないのを、皆が見ているよ、公園管理の人にもその事は、はっきりと言ってある、
あなたの、責任では、まったくないし、いつも、きれいに掃除をしてもらっていることも、皆が証明して、伝えたので安心して」と言って、慰めた。
蝦爺、大爺、岡爺などと、見晴ベンチで、待機していた。
11時30分、噴水の清掃が来ていた。
12時、ひとまず、解散した。
母屋、弁当を温める、次男が降りて来て、一緒にテレビを見ながら、お昼にした。
13時40分、六仙公園に行く。
みはらし広場、ベンチに、大爺が来ていた。
「どこの病院に行ったのか」と、心配している。
14時10分、どんぐりで、キャスターバックが、出ていたので、買いに行って来ると、分かれる。
14時18分、縄文出口を出たあたりで、朝爺から電話が入る。増爺の、奥さんから連絡があり、検査では、異常は見つからなかったとの事、
経過入院を、2,3日、することになったと言うので一安心する。
14時30分、どんぐり、富樫君が店番。
クールピクスに興味があるらしく、話をしたよ。
新宿3丁目にある。ミヤマ商会、ニコンのカメが置いてあり、中古のCOOLPIX P600シリーズが、安かったよ、と、教えたりする。
14時46分、どんぐりで、キャスターバックを買う。
15時、六仙公園に戻る。
15時05分、みはらし広場。
大爺都、蝦爺が、ベンチに座っていた。
家に戻ろうとすると,朝爺と増爺の奥さんの姿が見えた。
朝爺の、家の前に行く。
バイクを取りに来ていた。
佐々病院に入院したとの事、
検査は異常が無かった、との事。
少し経過を見るための入院をするとの事だった。
15時20分、家に戻る、鍵がかかっている。離れに戻り、パソコン。
15時50分、六仙公園、パトロール。
16時05分、かたらし広場、東の通り、市の職員が、穴の開いた道に、アサファルトを撒いていたよ。
かたらい広場、芝生で遊んでいた小学生の子供たちが「見たことある人」とこちらを見て言っている。
ほかの子が、柔らかいボールで、キャッチボールしている、と言う。
かわいいね、
キャッチボールするのが、禁止されていることを知っている。
ほかに誰も、遊んでいないから、何も言わなよ、でも、他に人がいるときは、柔らかいボールでも、スポーツ広場で、やってね。
「わかりました」の答えが帰って来た。
16時20分、イオンへ。
16時25分、ラウンジへ行き、珈琲2杯。
17時10分、ラウンジを後にする。
家に戻る、妻もイオンで、買い物していたと言う
菓子パンをたべながらテレビを見る。
18時30分、お弁当を買いに、イオンに行く。
18時46分、華星で、お弁当を2つ買う。
18時55分、家に戻る。うがい、手洗い、夕食
19時20分、風呂に入る。
19時40分、風呂から出る。
19時50分、離れでパソコン。
20時15分、長男が帰宅。
20時30分、ブログの準備。
21時、ブログ、お題に参加、少し書いてみる。
22時20分、今日のブログを書く。
23時59分、ブログを投稿する。
4,166位 / 2,317,740 ブログ 昨日:7149歩, 起床5時30分, 血圧:124、65,脈 拍:57, 体温:36.0,体重:70.4kg 天気,晴
「蕎麦派?」or「うどん派?」に参加中と言う事で一席。
子供のころ、そばを、食べると、頭が痛くなり、食べられなくなる、今なら、さながら、軽い、そばアレルギーだったのかな?
だからそばは、はなから、対象外。
と言う訳にはいかない。
いつの頃からか、そばが、食べられるようになり、
また、江戸っ子だい!浦和の生まれよ、(何せ浦和は、当時、東京のベットタウン)だと、きどって、
最初のひとすすりはつゆなしで
そばは噛むもんじゃない、 呑み込むもので、のどで味わうもの、
などといって、そば通を気取っていた。
夏目漱石の「我輩は猫である」の中でも迷亭先生が
「この長いやつへツユを3分の1つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。
つるつると咽喉を滑り込むところが値打ちだよ。」
「奥さん、ざるは大抵三口半か四口で食うんですね。 それより手数をかけちゃ旨くくえませんよ。」
とも言わせている。
また、友人の、(ブログ)『萬雅堂』,
<古希>も間近のマンガ描き。蕎麦打ちと書家を自称する。目指せ!「生涯現役」
樋口先生の影響もあり、またそば打ち道場なる講習会も開いたりした。
では、そば派か、と言うと、また難しい。
わが東久留米市では、柳久保小麦を、名産にしようとして、この小麦を使った、うどん教室を開いた。
もちろん、参加して、その後もうどんの会に入って、うどん打ちを習った。
習ったと言うからには、食べもする。
そして、小麦の違いから、うどんの味の違いも分かってきた。
東久留米市では、嫁に来ると、うどんが打てなくてはならなかったと言う。
冠婚葬祭での、締めは、うどんを出すことで、終わりとなったと言う。
うどんを、つるつると食べ、腰のあるうどんを良く噛んで食べろ、との事で、
つるつる、かめかめで、鶴亀、鶴亀、
縁起が良いものとされたという。
そんな歴史を知ってまたうどんにも愛着を感じている。
しかし健康のためならば、うどんよりそばのほうが、塩分が少ない。
うどんか、そばか、どっちなんだ!と言われれば、
どりらも、日本人にとって、甲乙つけがたい。
家によっていろいろな味付けもあるし、又、新たな発見で、歓喜することも多い。
だから、結論は、どちらも、好きと言う事で、
おあとが、よろしいようで。
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また、ビデオを見ていて2時半を過ぎた。
それでも5時半前には目が覚める。
あんなに、うるさかった、夜半の雨も、今は聞こえない。
下に降りて、歯磨きと顔を洗って来る、寝不足で、少し、頭痛がする。
上がって来て、体重を測り、布団に、横になって、血圧と、体温を測り、メモしておく。
暗い中、六仙公園に行き、ポールをあげて来る。
雨も降っていたし、まだ暗いので、人影はない。
離れに戻り、2階で、テレビをつけて、ウェザーニュースを見る。
どうやら、お天気は回復しそう。
6時50分、母家へ行く前に、六仙公園入り口まで行ってみる、誰かはわからないがすでにヒコーキを飛ばしに来ている。
戻って、朝食の準備。8枚切りに、スライスハムとチーズ、一緒に、ゆで卵、オーブントースターで、温める。
牛乳パックを、冷蔵庫から取り出して、カップに注ぎ、電子レンジで温める。
7時15分、テレビを見ながら、朝食。
7時28分、妻が、出かけるため玄関で、「行ってきます」
8時過ぎ、ちょっと居眠りしていた。
8時20分、六仙公園に行く。
8時25分、トイレの周りに、皆が、集まっている、誰か、倒れている。
(クリックすれば、大きくなる写真をと言う、リクエストで、この1枚だけ実験的にしました、ちなみに、大きさは、3648X2736、サイズは2.73MBです)
蝦爺が来て、増爺がトイレの前で転倒したとの事で、意識はあるが起きられないと言う。
救急車を、呼んだとの事であった。
場所が、わからないといけないと思い道路に出て救急車のサイレンが聞こえるのを待った。
8時34分、消防のほうから、蝦爺に、問い合わせの電話がかかってきたようであった。
緊急性を、疑われているのだ。
8時35分、すかさず、119番する。すでに連絡してあるがと、再度場所など説明、
起きることが出来ず倒れたままであるので、至急、救急車を遣すすように要請した。
西東京の西原から向かっているとの事で、何分かかるかと質問、20分かかると言うので5分で来いと言った。
東久留米は独自の消防であったが、武蔵野消防署に移管した。
そのため、前沢消防署などが無くなって、こんな時に、時間がかかってしまうとは。
前にあった、赤バイ隊も活動していない。
消防の、予算は移管によって高くなっているのに、こんなことでは市民の生命が、守れれない。
8時43分、神明通りまで出て待つ、救急車のサイレンが、イオンの方角から、
消防車のサイレンが、消防署の方向から聞こえてきた。
やっと来た、公園入り口まで走って誘導する。
西口から来た、消防車の救急員のほうが早く、増爺のもとへ、かけて行った。
8時46分、事情を聞いたりで、なかなか搬送できない
その間、朝爺が、奥さんに連絡しようとする。
救急車にやっと運んだが、搬送先が見つからず、9時になっている。
9時05分、連絡が取れた奥さんがバイクで駆け付けた。
救急車に乗り込み、一緒に救急病院に向かった。
後は、心配するだけ、搬送先も何も、分からないでいる。
一度家に戻り、長男に六仙公園に居ると伝えてくる。
トイレに行ってみる、とびらのない、男子トイレ、誰かが、洗面台を使い、床を水浸しにしてあった。
滑るはずのない、タイル張りの床であったが、昨夜来の雨で、地面が、ぬかっていたので、靴に泥がついていて、そのため滑ったらしく。
滑った泥のあとが残っていた。
9時23分、増爺が、怪我をしたとの、情報が入った、と心配したS譲さんから電話が入る。
シルバーの、トイレ掃除のミスかと心配での電話、そうではなく、誰かが水浸しにしたのだと説明する。
9時半すぎ。、公園管理者の車が、新しいトイレのほうへ走って行く。
暫くして、みはらし広場ベンチに居た、われわれの方へ来る。
事情を聞かれ、説明などする。
トイレ掃除のおばあさんが、やはり向こうのトイレからこちらのトイレに来ていた。
自分のせいなのかと、青い顔をして心配そう、
そばに行って、「トイレは、ぬれてはいないのを、皆が見ているよ、公園管理の人にもその事は、はっきりと言ってある、
あなたの、責任では、まったくないし、いつも、きれいに掃除をしてもらっていることも、皆が証明して、伝えたので安心して」と言って、慰めた。
蝦爺、大爺、岡爺などと、見晴ベンチで、待機していた。
11時30分、噴水の清掃が来ていた。
12時、ひとまず、解散した。
母屋、弁当を温める、次男が降りて来て、一緒にテレビを見ながら、お昼にした。
13時40分、六仙公園に行く。
みはらし広場、ベンチに、大爺が来ていた。
「どこの病院に行ったのか」と、心配している。
14時10分、どんぐりで、キャスターバックが、出ていたので、買いに行って来ると、分かれる。
14時18分、縄文出口を出たあたりで、朝爺から電話が入る。増爺の、奥さんから連絡があり、検査では、異常は見つからなかったとの事、
経過入院を、2,3日、することになったと言うので一安心する。
14時30分、どんぐり、富樫君が店番。
クールピクスに興味があるらしく、話をしたよ。
新宿3丁目にある。ミヤマ商会、ニコンのカメが置いてあり、中古のCOOLPIX P600シリーズが、安かったよ、と、教えたりする。
14時46分、どんぐりで、キャスターバックを買う。
15時、六仙公園に戻る。
15時05分、みはらし広場。
大爺都、蝦爺が、ベンチに座っていた。
家に戻ろうとすると,朝爺と増爺の奥さんの姿が見えた。
朝爺の、家の前に行く。
バイクを取りに来ていた。
佐々病院に入院したとの事、
検査は異常が無かった、との事。
少し経過を見るための入院をするとの事だった。
15時20分、家に戻る、鍵がかかっている。離れに戻り、パソコン。
15時50分、六仙公園、パトロール。
16時05分、かたらし広場、東の通り、市の職員が、穴の開いた道に、アサファルトを撒いていたよ。
かたらい広場、芝生で遊んでいた小学生の子供たちが「見たことある人」とこちらを見て言っている。
ほかの子が、柔らかいボールで、キャッチボールしている、と言う。
かわいいね、
キャッチボールするのが、禁止されていることを知っている。
ほかに誰も、遊んでいないから、何も言わなよ、でも、他に人がいるときは、柔らかいボールでも、スポーツ広場で、やってね。
「わかりました」の答えが帰って来た。
16時20分、イオンへ。
16時25分、ラウンジへ行き、珈琲2杯。
17時10分、ラウンジを後にする。
家に戻る、妻もイオンで、買い物していたと言う
菓子パンをたべながらテレビを見る。
18時30分、お弁当を買いに、イオンに行く。
18時46分、華星で、お弁当を2つ買う。
18時55分、家に戻る。うがい、手洗い、夕食
19時20分、風呂に入る。
19時40分、風呂から出る。
19時50分、離れでパソコン。
20時15分、長男が帰宅。
20時30分、ブログの準備。
21時、ブログ、お題に参加、少し書いてみる。
22時20分、今日のブログを書く。
23時59分、ブログを投稿する。
4,166位 / 2,317,740 ブログ 昨日:7149歩, 起床5時30分, 血圧:124、65,脈 拍:57, 体温:36.0,体重:70.4kg 天気,晴