真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

やさしいライオン2

2006年12月08日 15時31分47秒 | やさしいライオン
やなせ、先生がキャラクターを書いてくれましたが、作画の人たちは、それを見て頭を抱えてしまいました。やさしいライオンのスライドを見て、とてもよい作品なので、是非、アミメニしようと、意欲に燃えた作画班でしたしかし、スライドや絵本のように止めの絵で見せるのには、問題がなかったのですが、動かすとなると、キャラクターの線は、つなげなければなりません。それに、線がいくつもあるので、一つの線で表さなければ動かすのが、難しくなるのです。線を整理してキャラクターを、統一しなければなりませんでした。それも一番やなせ先生の原画に近いイメージにならなければならないので、作画の人たちは、何度も何度も書き直しては、書いてみたのです。
作画の赤堀幹治さんは、ぼりさんと呼ばれていました。「千夜一夜物語」の時には馬に乗った大勢の盗賊団が駆け寄ってくる、シーンの作画をしたことで、社内では賞賛を浴びておりました。今回も成人したブルブルの走るカットなど、たくさん担当しました。
中村和子さん、手塚先生の女性のキャラクターを、先生以上のキャラクターで描くと言っても言い過ぎではないぐらい、上手なことで有名な原画家でした、面倒見が良いので、周りには、わこさんを慕って、渡辺佳子さんや松山マヤさんが取り巻いていました。ブルブルやムクムクのかわいらしさを出すことの研究や相談で、なべこさんやマヤさんはいつもにぎやかでした、上口照人さんは黒人とか、くろんぼうなど呼ばれていましたが、そんなに色は黒くなかったです。やはり動物の走りなど、担当しておりました。常に勉強する人で、妥協せず動きを音楽に合わせることに、苦労しておりましたが、成人したブルブルがかけていくシーンで、音楽がフェードアウトでゆっ来るになるところまで、あわせたので、ブルブルの脚の動きまで、ゆっくりになってしまって、完成してから、なおすことができず、なおしたい、なおしたいと、おっしゃっていたことを覚えております。金山明博さんも動きのあるシーンを熱心に作画しております、手が早いので一番カット数を上げたかもしれません。

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