真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

柳窪小麦

2006年02月13日 12時53分07秒 | Weblog
借りっ放しの虫プロ興亡記を図書館へ返し忘れていた、思い出したので、妻を車に乗せて返却に行く、月曜はあいにくの休刊日、また休みの日に来てしまった。妻に返却ボックスへ返すよう頼み返却してもらった。
 家の近くのパン屋さんで残っているものを全て買ってきてしまったと、妻がえばる、おかげであんぱん、あげアンパン、フランスパン、その上妻が買ってきていた柏餅まで食べてしまい、胸焼けを起こしそう。近くのパンやさんの名前は、プチ・フール、昔ザ・ピーナツが歌った「かわいい花」のプティートフルと言う歌いだしの歌詞に名前が似ていて、小さな花園みたいで、お客が1人はいると満員になってしまうお店だ。無添加の材料を使用しているので、お店の立地条件が悪く、また月、水、金、土だけの開店なのに、人伝でけっこう流行っている。また、確かにおいしのだ。「柳久保小麦」を使用していることで、マスコミの取材も受けている。「柳久保小麦」とは1851年に東久留米の柳窪に住んでいた 奥住又右衛門という人が旅先から持ち帰った一穂の麦を栽培したのが始まりと言われている、実はうどん粉にして、穂は高いので、屋根葺き用に使われたが、穂の高いのが災いして、風雨の害を受けやすく、他の品種と比べると、単位面積あたりの収穫量が少ない事などから、戦争が始まると栽培されなくなってしまっていた。1988年茨城県の農水省生物資源研究所に「柳久保小麦」が保存されていることを偶然知った、奥住又右衛門の子孫、奥田 和夫さんが、復活させようと約10グラムの種を譲り受けて栽培した。市の産業振興課が「地域振興の起爆剤」にと期待して市内の農家にも栽培を依頼して、昨年は約3トンを収穫したという。和菓子屋さんの「むさし梅月」では「柳窪饅頭」として販売。
クロワッサンやコッペパン、食パン、などに北海道の小麦とブレンドして、「プチ・フール」で販売しているのである。 
 来月には、六仙公園の一部が完成して、公開されるので、日向でベンチに座って、プチ・フールのパンを食べる、今から楽しみである。
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