真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

10月9日手塚先生の御茶目に気が付かず。

2010年10月09日 21時32分12秒 | Weblog
7,639位 / 1,476,676
昨日の歩数:4002歩
起床時間 :8時5分
血圧   :109    84
脈拍   :71
体温   :35.5℃
体重   :67.03㎏

昨夜911チャンネルで、地元の天気予報を見て、18時からの雨マークで、朝雨は降っていないと、すっかり安心してしまい、
眠れないのに任せて、5時過ぎぐらいに寝たようで、その時まだ雨は降っていなかった。
8時5分に目をさましチャンネルを合わせてテレビを見る。
15分に終わって、今週見られなかった分、今日は一週間分の再放送があるはず、とリモコンで番組表を見てチャンネルを確認する。
 雨戸の隙間から外を覗くと、景色は濡れていた。雨が降っているのだ。
とたんに、忙しくなる。体温血圧を計り、下に行く。
すでに妻は起きており、長男の朝食用トーストを作っている、降りて行くとすぐに、それを差しだし「食べる?」と私に聞く、「いい」と答える。
歯磨き洗顔をし、体重を測る。
気持ちが変わり、「8枚切りで作って」と妻に頼む。「牛乳は」と聞くので「温めて」と答えた。
 自分のほうのパソコンFMVC620 であるが、だいぶ前に、CDが開いている時、服の袖をひっかけてCDドライブのCDを載せる所のプラスティックを割ってしまった。
だからCDドライブが開かない、CDドライブのランプがついている間に、隙間にカードをいれて、てこの原理で、こじ開けている。
9時すぎ、長男が下に降りて行く。長男を送って行くなら、FMVC620 に付いているCDドライブは、ノートパソコン用なので、
どうせなら、帰りにハードオフによって、DVDドライブでも探そうかと、CDドライブを間違いのないように見本に持っていこうと、外す。
9時半外し終わり、バックに入れて長男の様子を見に下に行く 。
9時35分長男を載せて家を出て、10時02分送り届ける。
青梅街道から、小金井街道を右折した。
ここで危ないことが起きた、小金井街道の景色が違って見え、東京街道で来て右折したような気がした。
そこで対向車も来ないし後ろに車もなかったので、Uターンをした。
途端、青梅街道で来た事を思い出し、再度Uターンしたのだ。 これってそろそろ危ないのかな。
 PCデポでは、2GのUSBメモリーが497円で買える、買った後、ハードオフへ行ってDVDドライブを探すつもりであった。
受付の店員さんと昨日買ったパソコンのことで話をし、そのまま帰るのもなんだからとノートパソコンのDVDって、新品では幾らぐらいするのか、探した。
そういえば中古品も、ここにもおいてある、ここなら少し高いが信頼性があり、保証期間が少し着く。
新品は買えないが中古で安いのがないかなと、中古部品展示ショーケースへ行ってみる。
いろいろ興味のあるパソコン部品が置いてあり、ふと見ると、ノートパソコン用のDVD-ROMドライブがかなりの数、綺麗に積んであった。
チラシ広告商品準備中の札が貼ってあった。2480円これが合うならハードオフへ、行く必要が無くなる。向こうはジャンク品で1000円以上はしていた。
 店員さんを呼んでもらい、持って行ったCDドライブのかたちで、取り付けが会うか見てもらう。
OKとの事であった。USBメモリーも、もう一つ買おうとそれらを持って、レジに並んだ(相変わらず列ができる)。
11時25分家に戻る。さっそく、C620の配線周りを外して下におろし、DVDを取り付ける。テストをし作業を終える。
12時30分お昼にしようと妻が呼びに来る。うどん、文句を言われるかと思っているのか、前のプチフルで菓子パンを数個買ってある。
食べやすく、切ってあるほうを食べながら昼食を済ませた。「

 「ひばりが丘駅まで送って行ってくれない」と妻が言う、
14時からJコムに行くから13時ごろならいいよと答え、支度をしに上にあがり、パソコンなどの電源を切る。
13時過ぎ妻と次男をひばりが丘駅まで送った。
 帰ってきて時間が無くなり着替えて準備、13時40分Jコムに車で向かい、45分に着く。
約束の時間は14時だったので少し待って、50分を過ぎたところで松井さんに電話を入れ下の受付に来ています、手が空いたらで、良いですよと、連絡する。
14時、前にお会いした、荒明さんと一緒にエレベーターで迎えに来てくれる。7階事務所奥の会議室に通され、3人でお話し。
ジェーコムでは地区ではなく格ブロック単位で活動していく方針変更があった説明を受ける。
ウォーキングに関しても10月24日に、小金井公園から遊歩道を多摩湖まで緑の基金伝国全国大会の東京ブロックとして行うのだと言う。
「手塚治虫生誕記念ウォーキング」は毎年の行事として西東京として続けたい。
11月3日の開催にこだわらず、少し日にちをずらして平日にやってみたいと提案した。
企画は昨年のものを利用する。日時は11月12日とする。
募集人員は25名、締め切りは10月29日まで、返信は11月1日発送
ジェーコムで用意してくれる人員や飲み物など、新座市役所への挨拶と、手塚プロでの解説していただく方の交渉などは私。
15時半まで熱心に会議をする。
コミニュティー担当は松井さんから荒明さんに替わってお世話をして下さることになったとの事。

16時家に戻る。
その後お菓子を食べたこととか、妻が帰ってきて何かあったことなど20時までかかって書いたのだが。
キーボードの横に置いた本がキーボードに倒れページが移動、また1時間かけて書いた文章が消えた。懲りない人だ。
と悔しさを書いてあった。そこでまた思い出した。
帰りまっすぐに帰ったのではなく、家の近くのハードオフに寄った。そうそう、本の名前を書いたのだ。
「ネオ・ファースト」朝日新聞社。「夜よさよなら」手塚治虫短編集1講談社。
「手塚治虫アンソロジー猫傑作集1」「鬼丸大将1」「ユウラテの樹」秋田書店。なおユウラテの樹は持っていた。
アドルフに告ぐは3冊ぐらい持っていたので何巻を持っていないのか調べて買いに来るつもり。と書いていて、
その本を、キーボードの横に立てて置いたのだ。

そのあとはいつもなら20時夕食となるはず。そこで携帯の着信履歴を見る。

19時08分長男から。
そうそう、迎え依頼があって、アドルフに告ぐは最後の4巻目がなかったので少し大回りをしてブックオフで、
「アドルフに告ぐ」の4巻目を買ってから迎えに行ったのだった。
道路が混んでいて走り辛らかったこと、
たぶん、吉祥寺通り交差点一つ先で右折待ちし右折矢印に替わったのでゆっくり右折しようとしたら、
信号無視のワゴン車が突っ込んできたので、危険を感じクラクションを連打した、事など書いたのではと思う。
違う日かもしれないが、そんな気がする。
 20時家に戻ってすぐに夕食したこと、風呂に入ったことなども。
寝たのはどうせこのころなら3時か4時であったろう、なにせ、11月15日に思い出しながら書いているのである。


  昭和45年の正月だった、すでに社長室から現場に戻っていた私の家に、手塚先生から本が届いた。「まんが専科 初級編」と言う手塚先生の本であった。
著者進呈のしおりが挟んであり、ペンで書いたアトムの絵と、手塚治虫のサインが表紙を開くと書いてあった。
 後日手塚先生と会ったときお礼を言うと「気が付いた」と尋ねられた。
「サインをありがとうございました」とお礼を言った。
そんな事があったのもすっかり忘れていたが、最近先生のサインをまねて、いたずらしてやろうか、などと言う事態があった。そこでその本のサインをまね、何度か書いてみた。宝物にすればよいのに、その価値がわからない私は何度も読んで、お世事にもきれいな本ではなくなっている。
何気なく本のカバーがまくれた。そこから出てきたのは、本の表紙、そこにも驚くことに手塚治虫のサインが書いてある。
 見比べてみるとサインが違っている。
そして気が付いた。私がまねていたサインに字が隠してあった。
それには私の名前がひらがなで隠されていたのだ。
先生はしもやんと呼んでいた。手塚の手の字にしの字が裏文字で書いてあり。
その「下」はわざと右にはねて「も」の字に読める。
そして塚の字には先生の弟さんと同じ私の名前「ひろし」と読めるのだ。


 こんなことなんて、危うく手塚先生の心を知らないまま死んでしまう所であった。44年近くたって、先生の生誕記念日近くに発見できるなんて。
 思い出に、涙にくれる日であった。
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