明治乳業争議団(blog)

働くルールの確立で人間性の回復を!

9.29中労委行動 東芝の差別事件が中労委で和解解決 東芝の労務政策と明乳も同じ内容

2016年10月08日 15時38分58秒 | お知らせ



東芝の職場を明るくする会代表 石川要二郎さんから東芝の労務政策と同質の明治乳業事件

 私は、東芝の職場を明るくする会を代表して、中央労働委員会が明治乳業事件について東京都労委命令の誤りを正して、長期にわたる不当労働行為を断罪し、そして、この長期争議の解決に大きな力を発揮してくれるよう強く要請するものです。

 私がなぜここで連帯挨拶をするかと申しますと、この中労委の場で東芝の差別争議が8年半ほど前に和解の調印を行ったのです。私が実際にハンコを押した者として、この中労委がやっぱり大企業の職場どこでもあった事件です。それを解決するために大きな役割を果たしていただきたい。
私たちも解決しましたし、この明乳事件かなり長くなりましたけれども、必ずここで解決する、解決してほしいと言うことでやって参りました。

 私どもは、神奈川県内4事業所の10名の労働者が、1995年8月29日に神奈川県労働委員会に第一次の「不当労働行為救済申立」をおこない、2001年4月26日に神奈川県労働委員会から、2004年11月4日に中央労働委員会から全面勝利命令を勝ち取りました。さらに2004年に4事業所の9名の労働者が第二次申立をおこなって、申立人と申立外の労働者の差別を一括して是正することを求めるたたかいを発展させました。
 その結果、2008年4月24日に中央労働委員会において、申立人と84名の申立外労働者の差別是正要求を一括して全面的に解決することができました。和解協定書には、株式会社東芝の執行役社長の代理人弁護士、申立人らの代理人弁護士と「東芝の職場を明るくする会」の代表である私・石川要二郎が、立会人である中央労働委員会審査委員、参与委員とともに和解協定書に調印致しました。東芝の職場を明るくする会は和解協定調印の当事者として、現在も職場労働者の退職勧奨や人権を守るために会社と話し合って問題の解決にあたっています。

 私は、明治乳業争議の早期解決を願って、二つのことについて、要請したいと思います。
 第一は、中央労働委員会が明治乳業の不当労働行為意思を厳しく判断していただきたいということです。明治乳業における申立人らの活動と差別実態は、多くの点で、東芝で活動してきた私たちと共通しています。昭和30年代は、低賃金と人減らし合理化がすすむなかで労働組合活動が職場から高まり、私たちは労働組合運動に参加するようになりました。当時は、臨時工制度という非正規・有期雇用労働者が増加していた時代でした。1961年には東芝臨時工解雇撤回争議が起こり、10名の臨時工が横浜地裁、東京高裁で解雇無効の勝利判決を勝ち取りました。このような状況の中で、昭和40年前後になると会社は各工場に秘密労務組織をつくり、労働組合役員選挙に介入して、会社派の労働者で役員を占めるようになりました。1974年に東芝臨時工争議が最高裁判所で勝利判決を勝ち取りました。東芝柳町工場事件の最高裁判例となっています。解雇された労働者が職場復帰すると、東芝は各工場で結成した秘密労務組織を、全国の39の工場や研究所、本社、支社まで網羅した全社的な秘密労務組織として「東芝扇会」を結成し、自主的自発的に労働組合活動を続ける者に対する差別と弾圧の労務政策をとったのです。

 同じ時期に、明治乳業でも、各工場に秘密の労務組織が次々と結成されています。ところが、都労委命令では、認定した事実として真っ先に、このような会社が結成した秘密労務組織を、なんの根拠もなく自主的組織と断定しています。
 その一方で、申立人らが提出した秘密労務組織の結成や活動を裏付ける笠原ファイル、高島ノート、秘密会議録音テープ、会社側の会議メモなどは、「入手経路が必ずしも明らかでない」として黙殺するという不当な扱いをしています。私は、中労委が、このような都労委命令の誤りを、きっぱりとただしていただくことを要請します。

 第二は、申立人らの賃金格差の立証を、正しく受けとめていただきたいということです。東芝争議では、会社は「能力主義、成果主義賃金制度に改定しているので、申立人らが主張する同期同学歴入社者との比較は意味をなさない。過去の賃金データは存在しない。」と主張しました。しかし、会社は10年ごと、20年ごとの賃金・資格制度、業績評価制度などを改定し、そのたびに「能力主義・成果主義に改定した」と説明してきましたが、賃金実態を統計的にみれば、厳然として年功的な運用が継続してきたことを確認することができます。したがって神奈川県労働委員会でも、中央労働委員会でも、会社主張は却下され、「同期同学歴の中位者への賃金の是正と役職への登用」を含む命令が交付されました。なかでも中央労働委員会が、最後まで「同期同学歴者の賃金実態を示すデータを提出すること」を強く求めたところ、会社は「工場別に部長、課長職を含む同期同学歴者の賃金実態資料」を提出するに至りました。

 明治乳業に対しても、中央労働委員会が「賃金データが存在しない」という会社の言い逃れを許さない対応をお願いします。
私は申立人らの差別是正要求が一日も早く実現し、人権と人間の尊厳を取り戻すことを強く願って、連帯の挨拶とし最後まで頑張りましょう。
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9.29中労委行動 全国事件弁護団事務局長 金井克仁弁護士から中労委闘争の報告

2016年10月08日 15時31分06秒 | お知らせ



 弁護団を代表して若干訴えたいと思います。思い起こせば今から3年前7月の9日、東京都労委で思いもかけない超不当命令が出た。これが今皆さん方と一緒に頑張ってもらっている明治乳業の事件です。

 あれから3年間、皆さんそれから申立人らさらには私たち弁護団、必死になって中労委でたたかってきました。当然、都労委命令の不当性がどこにあるかということを第一番目に訴えてきました。簡単に言えば、申立人らのグループとそれ以外の従業員のグループの間に明瞭な明白な賃金格差、それから職分という地位の格差がありました。にもかかわらず、従来労働委員会は「大量観察方式」という、グループごとに集団で見て、格差があるのかを決めていたのに、命令を書いた荒木公益委員は、この方式を使いませんでした。極めて異例なことです。

 先ほど松本議長の方から、なぜこんな異例な命令が出たのかという背景は、説明がありました。私の方からは同じことを言っても意味がないので、この不当性を弁護団は中労委で一生懸命訴えました。
その材料として一つは、申立人らのグループ以外の他の従業員はいつどれだけの職分に上がって、どれだけの賃金になったかの資料を提出させられれば格差は明らかになるだろうとして、いわゆる人事関係資料の開示を求めました。これについては、中労委は理解を示して会社側に要請したのですけれども、会社はもう申立人等以外の記録は全部廃棄したと言って応じませんでした。
さらには人事記録を開示しない理由として、市川工場事件(今中労委でやっている全国事件に先行して行われた事件で昭和60年に申し立てています)の東京高裁の判決を不当にも変に引用して、昔のことをやる必要はないといって抵抗しました。ですから私たちは、中労委において市川事件の東京高裁の判決はどうゆうものであったのかということを中労委にわかりやすく説明し説得しました。

 因みに、皆さんもご存じかと思いますが、東京高裁判決は、職分、要するに地位としての格差があることは認めませんでしたけれども、賃金の中の号給、これが申立人等のグループとそれ以外のグループの間では、明瞭な格差があると言うことを認めた訳です。初めてであります。そして、その原因は、申立人らが言っている【昭和40年代から始まった不当労働行為にある】という主張も妥当する余地があると言うところまで高裁判決は言ったのです。ですから、私たち弁護団からすればあと一歩の所まで行ったのではないかと思っています。このことを中労委によく解らせました。中労委の最終盤、本人尋問に入る前に論点整理が行われましたが、その際に会社は非常に抵抗しましたが、昭和40年代からの不当労働行為が、この事件にどうゆうふうに関係しているのかということも一つの論点として入れることができました。

 こうした結果、会社は断固採用に反対しましたけれども、11名の当事者、証人と証拠調べができました。若干一人15分という短い人もおられましたけれども、少なくとも選び抜いた証人、選び抜いた申立人全員採用させることができたことは、大きな成果だったのではないかと思います。
こういった経過を受けて今中労委は命令作業に入っています。当然、弁護団としては、勝利命令下してくれるだろうと思っています。こう思って迎えたのが3年前の都労委命令なので、なんとも言えない嫌な思いがするのですが、先ほど松本議長が言ったように、荒木と明治には色々な関係がある。しかし、少なくとも中労委の公益委員とは、そういう関係はないことが今のところ解っている。ですから当然、正義の内容のある救済命令が下されるものと弁護団は思っています。

 最終準備書面も色々ありましたけれども、一所懸命書き、記述の中にもポイントを訴える内容になっているのではないかと。
最終準備書面を出し切りましたけれども、弁護団はいろんな場所で、例えば今日の私のようにこうした場所に立って事件を訴える、違った弁護士は、会社の要請行動、座り込みの時に行って訴え等しています。更には、勝利命令を出ることはもちろんですけども、今、もう一度中労委を通じて和解で早期に解決ができないかと言うことを模索しています。

 こういう点で、お集まりいただいた皆さんのこの熱意、これを中労委に向けると共に会社包囲行動をさらに強化して、是非、会社をして和解を応じさせる様にしていきたいと思います。命令は年末から年度末にかけて私たちは出るもの予想しています。しかし今は、命令に期待すると同時に、先ほど言いましたように会社を包囲して、なんとしてまでも和解で早期に解決したいものと思っています。
弁護団は、皆さんと一緒に、この明乳争議が勝利で解決するまで、最後まで一緒になって頑張ることをお誓いしてここの報告といたします。一緒に頑張りましょう。
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