クマハギと梟
平成29年9月12日(火)
クマが、木の皮を剥ぐことを追い剥ぎならぬ
「クマハギ」というそうだ。
なぜ、クマは木の皮を剥ぐのか。
まだよく分かっていないそうだ。
一つの説では、5月から8月にかけて増える
甘い樹液を飲むために、木の皮を剥いでいる
のではないか。
また、檜のお風呂や新しい割り箸などから
木の独特の匂いがするが、それは樹皮を剥が
したばかりの樹木からも出る「アルファー・
ピネン」と呼ぶ化学物質が発生する。
この物質を、クマが好むという実験も行われ、
この匂いに誘引されるのだという説も。
山道の案内標識の死中にクマの爪痕や歯型が
ついているはどうも防腐剤やニスの匂いが、
誘発されているのではないかということらしい。
その他、マーキングして縄張りを知らせたり、
母熊が子熊にこうすると食べられるよと伝えて
いるとも考えられているようだ。
しかし、このクマハギによって樹木に腐朽菌
がつき、木の中心部分が黒く変色し、材木とし
ての価値がなくなるのだそうだ。
林業を営む人たちにとっては、死活問題。
捕獲して駆除していくことになるという闘いに
至るという。
全ての熊がクマハギをするのではないので、
いろいろ苦慮されているらしい。
とにかく、青梅でも熊が人里にちょこちょこ
やってくる昨今なので、駆除以外によき方法が
見つからんことを願うのみ。
さて、我が奥のほそ道は、梟を目の当たりにした
野木神社を参詣。
下都賀郡:野木神社
2019(平成29)年5月17日 13:28~
仁徳天皇の時代、奈良別王が下野国造として
下毛野国に赴任した時、莵道稚郎子命の遺骸を
奉じて当地に祀ったのに始まるいわれている。
その後、延暦年間(平安時代)に坂上田村
麻呂が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地
に社殿を造営し遷座したという。
そして、弘安年間(鎌倉時代)に配祭の五神
が祀られたそうだ。
下野国寒川郡七郷の総鎮守とされ、江戸時代
には古河藩主土井氏の崇敬を受けて古河藩の
鎮守・祈願所とされた。
明治5年に郷社に列したという歴史ある神社である。
芭蕉の句碑を探索していると、お詣りに来ら
れた女性が双眼鏡を手に、
「お母さん、ほらあそこに見えるでしょ!」
と静かに小さく叫んでおられる。
「ああ、見えるね。」と母親らしき老女が
嬉しそうに眺めておられる。
何となくつられて、上を見ると、白き物がは
っきり見える。
初物である。
「真っ白なふくろう。親ふくろうだ。」
ふっくらとして、優しさがみなぎっている。
一遍に「福」が来た感じ!
すぐ写真におさめる。
プロ級(?)のカメラマンさん達がいつの
まにか4.5人集まり、三脚をよき場所に置
き、でっかいレンズのカメラで真剣に覗いて
シャッターチャンスを待っておられる。
平素からふくろうをねらっておられる地域の
お年寄りカメラマンさんたち。
ある方は、駐車場の方に行き、仲間に携帯
電話で知らせておられる。
あっという間に、よき場所は占領されてし
まう。
ふくろうのモニュメントが神社入口にあった
のも納得。
5・6月に、親子のふくろうが見られるという。
今回は、母親だけか、それとも父親か。
とにかく、遠き所からじっくり観察。
楽しめた。
芭蕉の句は、
「一疋の はね馬もなし 河千鳥」。
平成29年9月12日(火)
クマが、木の皮を剥ぐことを追い剥ぎならぬ
「クマハギ」というそうだ。
なぜ、クマは木の皮を剥ぐのか。
まだよく分かっていないそうだ。
一つの説では、5月から8月にかけて増える
甘い樹液を飲むために、木の皮を剥いでいる
のではないか。
また、檜のお風呂や新しい割り箸などから
木の独特の匂いがするが、それは樹皮を剥が
したばかりの樹木からも出る「アルファー・
ピネン」と呼ぶ化学物質が発生する。
この物質を、クマが好むという実験も行われ、
この匂いに誘引されるのだという説も。
山道の案内標識の死中にクマの爪痕や歯型が
ついているはどうも防腐剤やニスの匂いが、
誘発されているのではないかということらしい。
その他、マーキングして縄張りを知らせたり、
母熊が子熊にこうすると食べられるよと伝えて
いるとも考えられているようだ。
しかし、このクマハギによって樹木に腐朽菌
がつき、木の中心部分が黒く変色し、材木とし
ての価値がなくなるのだそうだ。
林業を営む人たちにとっては、死活問題。
捕獲して駆除していくことになるという闘いに
至るという。
全ての熊がクマハギをするのではないので、
いろいろ苦慮されているらしい。
とにかく、青梅でも熊が人里にちょこちょこ
やってくる昨今なので、駆除以外によき方法が
見つからんことを願うのみ。
さて、我が奥のほそ道は、梟を目の当たりにした
野木神社を参詣。
下都賀郡:野木神社
2019(平成29)年5月17日 13:28~
仁徳天皇の時代、奈良別王が下野国造として
下毛野国に赴任した時、莵道稚郎子命の遺骸を
奉じて当地に祀ったのに始まるいわれている。
その後、延暦年間(平安時代)に坂上田村
麻呂が蝦夷征伐からの帰途、報賽として現在地
に社殿を造営し遷座したという。
そして、弘安年間(鎌倉時代)に配祭の五神
が祀られたそうだ。
下野国寒川郡七郷の総鎮守とされ、江戸時代
には古河藩主土井氏の崇敬を受けて古河藩の
鎮守・祈願所とされた。
明治5年に郷社に列したという歴史ある神社である。
芭蕉の句碑を探索していると、お詣りに来ら
れた女性が双眼鏡を手に、
「お母さん、ほらあそこに見えるでしょ!」
と静かに小さく叫んでおられる。
「ああ、見えるね。」と母親らしき老女が
嬉しそうに眺めておられる。
何となくつられて、上を見ると、白き物がは
っきり見える。
初物である。
「真っ白なふくろう。親ふくろうだ。」
ふっくらとして、優しさがみなぎっている。
一遍に「福」が来た感じ!
すぐ写真におさめる。
プロ級(?)のカメラマンさん達がいつの
まにか4.5人集まり、三脚をよき場所に置
き、でっかいレンズのカメラで真剣に覗いて
シャッターチャンスを待っておられる。
平素からふくろうをねらっておられる地域の
お年寄りカメラマンさんたち。
ある方は、駐車場の方に行き、仲間に携帯
電話で知らせておられる。
あっという間に、よき場所は占領されてし
まう。
ふくろうのモニュメントが神社入口にあった
のも納得。
5・6月に、親子のふくろうが見られるという。
今回は、母親だけか、それとも父親か。
とにかく、遠き所からじっくり観察。
楽しめた。
芭蕉の句は、
「一疋の はね馬もなし 河千鳥」。