白樺一本と記念の石を!
平成30年8月26日(日)
これは、ティーデマン先生の記念碑。
ドイツの哲学者で、1921年から
10年間、山形高等学校においてドイツ語
を教授。
山形の風土を愛し、独自の風格を持って
慕われる。
1958年、知人や教え子が先生を永く
偲ぶよすがとして記念碑を建立。
なぜ、山寺に?
ティーデマン先生って?
ティーデマン先生は、生徒たちに敬愛
されながら大正10年から昭和6年まで
教壇に立った教育者。
先生は、山形の風土、とりわけ山寺を
「もし、自分が死んだら骨の一部を
山寺に埋めてくれるように」
といわしめるほどど愛しておられた。
山形高等学校第1回卒でふすま同窓会
山形支部長であった故篠田秀男氏
(篠田病院長)は、昭和32年に
ミュンヘンでティーデマン先生と
旧交をあたためた際、
「わたしが美しいこの世を去ったら、
平和な山寺のどこか片隅へ小さな粗末
な記念の石を置いて、そのそばに
あなたに送った種から生えた白樺を
一本植えて欲しい」
という書状とともに白樺の種を託された。
帰国後、篠田氏は三輪田輪三初代校長
はじめ、恩師・同窓の有志を誘い、
宝珠山立石寺の根本中堂の脇に山寺石を
置いた記念碑を建立しました。
残念ながらティーデマン先生は、
昭和33年5月の除幕式を待たずに
同年4月。74歳の生涯を終えられたそう。
現在、立石寺の貫主によって守られ、
9月29日の先生の誕生日を中心に
同窓会で供養を行っているという。
山寺と山形を愛する大事な人と
また出会うこととなる。
芭蕉さんのおかげでもある。