貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

木斛とベルツ博士

2019-10-03 09:05:34 | 日記

木斛とベルツ博士

 令和元年10月3日

 台風18号が日本海で温帯

低気圧に。

 関東にはさほど影響なし?

 今朝は、二度目の西明寺参拝!

 前回は、境内の広さ、

プレスクールの素晴らしさ、

運動場や広場の整備など

感銘を受けたという印象。

 平安時代、三河の国守

大江定基公が愛妾力寿姫の

死を悲しみ、庵を営み、

六光寺と名づけ、冥福を

祈ったのが始まり。

 鎌倉時代に入り、北条時頼

公が出家して、最明寺入道と

なってこの地に足を留めた

時、最明寺と改称される。

 その後、戦国時代の永禄5

年(1562)徳川家康公が八幡

砦における今川氏との戦いの

際、当寺に立寄り空腹を凌ぐ。

 その恩雇を深く感じ、最の

一字を西と改め、西明寺とな

る。

 山門の右の大木が木斛。

モッコクだ。

 山門を潜り、振り返ると

・・・!

 常緑高木。

江戸五木の一つ。

 モチノキや松と並び、

「庭木の王様」。

 その美しさは、新緑の赤

みを帯びた葉色と

深緑色の皮質の織り成す

グラデーションの美しさ

にある。

 西明寺の木斛は

壮大。

 参拝!

 静寂、そしてまた静寂!

 そして、現代になって、

昭和5年(1930)ベルツ博士

の供養塔が、花夫人によって

建立される。

 これは博士が生前厚く仏法

を信仰し、また当寺が花夫人

先祖の菩提寺であったこと

による。

 この高木は、菩提樹。

 さて、ベルツ博士とは?

 明治時代に来日した独人

の顧問、講師。「お雇い外国人」

とも言う。

 この顧問、講師が明治時代の

日本の近代化において、あら

ゆる分野で貢献し、現在まで

活発に続いている日独学術

交流の先駆者。

 そして、一番は、

日本の医学の発展に貢献。

 東京医学校(現在の

東京大学医学部)の教師

として働いていたのみな

らず、明治天皇や皇太子

(後の大正天皇)の主治医

(公式には、宮内省侍医)も

務める。

 他、「死を恐れない日本人像」

を形成。

 草津温泉の効用を説く。

 柔道の普及にも力を

注いだよう。

 エルヴィン・ベルツ(1849~1913)

さん。

 奥様は日本人「花子さん」。

 傍らに、水原秋桜子の句碑

が建っている。