正しく意訳すれば、亀が動く!?
令和元年10月20日
「リバーサイドも道路から
ゴルフ練習場、球技場など水に
つかって・・・」という話を聞き、
昨日、自転車で散歩がてら
見に行った。
土手を水が越えたよう。
ゴルフ練習場への道路は、
立入禁止。
この先3百メートル以上が
・・・・。
とほほ という感じ。
川沿いの雑木林は、すっかり
洪水で、荒れてはいるが、
見通しがよくなっている。
間伐、草刈りをしたようだ。
砂の大地が下流で違う形で
砂の島を形成したみたい。
いやはや!
気を取り直して、知立市へ。
八橋古碑(亀甲碑)(市指定文化財)
の碑文は、荻生徂徠門下の秋本嵎夷が
岡崎侯に招かれて儒官を勤めて
いた時、偶々この地を訪れ、
「八橋記事 弄 王孫歌」
と題して、
「八橋と業平の故事」
についてまとめたもの。
書は門人の国分興伯機で、
同門人の由良不淰により、
寛保2年(1742)に建立される。
亀の上に三五七の漢字を刻ん
だ碑柱が建ち、一般に亀甲碑と
呼ばれている。
(知立市教育委員会)
[左の写真の碑文を正しく
意訳できれば亀が動きだす
との伝説がある。]
という。
上の碑は、鶴田卓池(1768~1846年)
さんの句碑。
江戸時代の文化から天保期にかけて
三河の蕉風継承者として活躍した
俳人。
卓池は、岡崎城下で紺屋を営む
傍ら、20代から松尾芭蕉に倣って
東北を訪れるなどして句を詠む。
後に、還暦を前にして、西日本
を旅した紀行文「西遊日記」を残す。
この中に、長崎の出島の様子などが
事細かに記され、出島の内部を
ここまで記録した、数少なく、
貴重な資料となっている。
句は、
「鳩の鳴く
樹ははるかなり
杜若」 。
古い宝篋印塔が、杜若姫の
供養塔。
東下りの業平を追って
都からはるばるこの地にやって
来た杜若姫は小野篁の娘。
業平に恋い焦がれて
後を追ってきたがつれなく
され、悲しみの余りにこの池に
身を投げて亡くなったという。
杜若姫のお墓もある。
これが「業平竹」。
そして、
井村祖風という俳人。
芭蕉に私淑して俳諧の道へ。
祖風翁の墓もある。
清楚な花も供えてある。