悲恋!牛若と浄瑠璃姫
令和元年10月9日
今朝は特定健診受信のため、
朝食抜き。9時頃に出かけるよう。
先にブログにとりかかる。
あまり躰のことについて
知っている方ではないが、
やはり自分のこと。
少しでも知り、分かり、口から
入れるものなど工夫したりして、
生活改善をしていくことは必要?
好きなことを幾つか選んで
やっているが、それが続けられ
るためにも・・・なんて殊勝な
ことを考えるお年頃になったかな?
そしたら、岡崎市の安心院へ。
この安心院は、牛若丸(源義経)
と兼高長者の娘、浄瑠璃姫の、
美しくも悲しい恋物語が眠る
場所だそう。
承安4年(1177)、牛若丸は、
奥州平泉の藤原秀衡を頼って
旅を続ける途中、矢作の里を
訪れ、兼高長者の家に宿をとる。
ある日、ふと静かに聞こえて
きた浄瑠璃姫の琴の音色に
ひかれた義経が、持っていた
笛で吹き合わせたことから、
二人の間に愛が芽生える。
しかし、義経は奥州へ旅立
たねばならず、矢作を去る。
姫は義経を想う心は日毎に
募るばかり。
とうとう菅生川に身を投じて
短い人生を終えたという。
当院の創建は1182〜3年、
源義経が浄瑠璃姫の菩提を
弔うために創建したのが
始まり。
当初は七堂伽藍が立ち並ぶ
大寺でしたが、度重なる兵火
で衰退し、
今では十一面観音菩薩像を
安置する草庵と変わり果て
ている。
境内には1793年に、
岡崎藩主本多忠顕が人丸神社
から取り寄せた芭蕉句碑がある。
句は、
「都出て 神も旅寝の 日数哉」 。
六所神社はの近く。
交通週間中で、吃驚するほどの
人数の方々が、警察の方と一緒に
子どもたちを事故から守るために、
きめ細かく配置され、万全の対策
をとられているよう。
道も混雑。
安心対策、対応にも、いろいろな
マイナス事象も・・・!?
安心、安全には、
全て心注いで哉?
次の十王堂へ急ぐことにする。