羽織は襟も繕わず!
令和元年10月16日
台風19号の被害が甚大
になっている。
時とともに、死者は増え、
74人に。不明が12人。
堤防の決壊は、52河川の
73箇所 に。
青梅でも、成木川など幾つかの
河川が決壊しているという。
日に日に寒くなり、日照時間も
短くなっている。
どうか風邪など召さず、少し
でも早く復旧されることを祈る
のみ!
今朝は安城市の弥厚公園へ。
弥厚公園は、都築弥厚さん
の銅像が建つ公園。
説明板には、
「明治用水の先覚者」
と題される人。
碧海地域のうち明治村・
依佐美などの地域は台地で,
農耕をするためにはため池
の水に頼る他ない枯れた土地
であった。
明治村の酒屋に生まれた
弥厚さんはその現状をとらえ,
台地上に用水を通すことを
考える。
地域住民からの強い反発を
受け,測量をするに当たって
は夜中密かに行わねばならぬ
ような状況。
それでも算術家の石川喜平ら
の手助けを借りて何とか測量を
終える。
その後,数回幕府に嘆願に
いくが、夢叶うことなく逝去。
私財のすべてを投げうち,
多額の借金だけが残る。
その意志を碧南の岡本兵松,
挙母の伊豫田与八郎が受け継
ぎ,見事に明治用水は完成。
先駆者弥厚さんの強く、高い
遺志は見事に継承され、台地地
域にも水が流れることに・・・。
後に「日本デンマーク」と
うたわれた安城の発展はここ
から始まったという。
都築弥厚没後180年を記念し、
弥厚翁の功績を記した看板や
あずまやを新しく設置し、
身障者にも配慮した駐車場が、
歩道が整備され、弥厚公園が
リニューアルされる。
芭蕉句碑も句碑群にあり。
句は、
「風かほる
はをりはゑりも
つくろはす」 。
句碑の背面に、句碑の由来が
刻印されている。
思いの高さ、強さは
芭蕉と同じ。
明治用水、弥厚さんにも
心打たれる。