挙母から豊田へ
令和元年10月22日
昨日の天皇ご即位式の天皇の
宣明に、感銘を受ける。
大企業や官庁など大組織の
幹部の方たちや政治家は特に
改めて宣明文を自分のミッショ
ンとし、国威を貶めることなく、
誇りと誠意を尽くし、精進して
ほしいなあと思う。
庶民である私たち、特に
次世代を担う子どもたちには、
影響甚大であるから。
そんなことが脳裏をよぎる
誇り高き御宣明でもあった。
今日も豊田市。
おにぎりのような芭蕉句碑を
じっくり蝕し、挙母神社の
挙母を調べることとする。「
「豊田市」がもともと「挙母市」
であったことを、私も知らない。
「挙母」と書いてなぜ「ころも」
と読むのかは地名研究の中でも謎の
一つだったそうな。
「挙母市」が「豊田市」に名を
変えたのは昭和34年(1959)のこと。
私が中学1年か2年。
もう60年も前のこと。
もちろん世界に誇る「トヨタ自動車」
の本拠地であったことによる。
小学生の時伝記で読んだ
「豊田佐吉」「豊田喜一郎」といった
創業者の「名前」からとったという。
個人名が地名になることは極めて稀。
特に日本では。
もともとこの地一帯は江戸時代には
「挙母藩」だった所。
慶長19年(1615)この地に三宅氏が
挙母城を造ったのが始まり。
明治25年(1892)に挙母村は挙母町
になり、さらに昭和26年(1951)には
挙母市に昇格。
「衣」がなぜ「挙母」と」表記されたか。
漢和辞典には、「母衣」と書いて「ほろ」。
意味は
(1)「昔、矢を防ぐため、よろい
の背に負った布製の袋状のもの」
(2)「車などの風雨や日光よけのおおい」
「衣」というのは身体を包んで外部
から守るものだが、
「母」も子どもを衣で守る役目を
負っている。
「母を挙げる」というのはそのような
母親の優しさを象徴的に表したもの
ではないか?
昔の人はそのレベルまで思いを
及ぼして、「挙母」を伝えてきた
のではないか。
そんなことを教えてくれる人も
いる。
ありがたし!
「豊田市駅」の近くには、
「挙母神社」だけでなく、
「挙母小学校」などがある。
挙母市も、またいいなあ!