貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

石薬師宿は鈴鹿にあり

2019-12-08 08:52:54 | 日記

 石薬師宿は鈴鹿にあり

令和元年12月8日

 昨日、初雪は延期となる。

 寒い一日だったが、年賀状の

作成に費やせる一日となる。

 有り難し!

 いよいよ鈴鹿市へ。

 高校の遠足で、鈴鹿サーキットに

行った記憶が蘇る。

 サーキット場をゴーカートで周回

した。スリル感も味わう。

 ここは、東海道の宿場町。

石薬師宿。

 石薬師寺参拝!

  朝の7時前に到着。

 神亀3年(726)泰澄が当地で

巨石の出現を見、薬師如来の示現

と悟り、草庵を設け供養した

ことが、当山の開創。

 その後弘仁3年(812)空海

(弘法大師)が、巨石に薬師如来

を刻み開眼法要を行い、

人々の信仰を集める。

 嵯峨天皇(在位809 – 823)は

勅願寺とし、荘厳な寺院を建立。

 名を高富山 西福寺 瑠璃光院と

称する。

 しかし、天正年間(1573 – 1592)

の兵火により焼失。

 寛永6年(1629)、当時の神戸

城城主一柳監物が、諸堂宇を再建。

 現在の本堂はこの時のものである。

 年代物である。

 元和 2年(1616)、東海道五十三

次の宿場である石薬師宿にちなみ、

高富山瑠璃光院 石薬師寺と改称し、

今日に至る。

 本堂内には、秘仏本尊薬師如来

(鈴鹿市指定文化財)、

紀州徳川家寄進の脇侍日光菩薩、

月光菩薩ほか、十二神将、地蔵菩薩、

大日如来、不動明王が安置され、

大師堂には知恵弘法と呼ばれる

弘法大師像を安置している。 

 寺の東側を東海道が通っており、

江戸時代参勤交代でこの地を通る

城主が、道中の安全祈願を当寺で

行っている。

 その際山門から境内に下りる

石段に丸みをつけ、足元に配慮

したという石段が、今も残って

いる。

 また、江戸時代に活躍した浮世絵

師歌川広重が、東海道五十三次

(浮世絵)にこの石薬師宿

(東海道江戸より44番目の宿場)

の全景を描き、広く知れ渡る。

 日本の浮世などの影響を受けた

オランダの画家、フィンセント・

ファン・ゴッホ(1853~1890)は

後に歌川広重を始めとする日本人の

作品を背景に『タンギー爺さん』を

描く。

 その『タンギー爺さん』の右上に

描かれているのが『五十三次名所図会

』の“石薬師”。

 その他に、画家・山下清、1922~1971)

や漫画家・水木しげる(1922~2015)

の作品にも登場。

 皆、私の好きだった人たち!

 そして多くの歌にも、石薬師寺が

残されている。

 先ず、芭蕉句碑。

句は、

「春なれや 

 名もなき山の 

    薄霞」