貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

数少ない異国見聞者

2019-12-11 11:17:39 | 日記

数少ない異国見聞者

令和元年12月11日

 鈴鹿市最後の最後の緑芳寺へ。

 本殿にて参拝!

 

 浄土真宗大谷派。

 ロシアからの生還を果たした

大黒屋光太夫の菩提寺である。

 光太夫のお墓はここにはなく、

江戸本郷元町の興安寺にあると

いう。

 大黒屋光(こう)太(だ)夫(ゆう)

とは?宝暦元年(1751)~

文政11年(1828))、

江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子

(現三重県鈴鹿市)の港を拠点と

した回船(運輸船)の船頭である。

 天明2年(1782)、嵐のため

江戸へ向かう回船が漂流し、

アリューシャン列島

(当時はロシア領アラスカの一部)

のアムチトカ島に漂着。

 ロシア帝国の帝都サンクトペテ

ルブルクで女帝エカチェリーナ2世

に謁見して帰国を願い出、

漂流から約9年半後の寛政4年

(1792)に根室港入りして帰国

する。

 幕府の老中・松平定信は光太夫

を利用してロシアとの交渉を

目論んだが失脚する。

 その後は江戸で屋敷を与えられ、

数少ない異国見聞者として

桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と

交流し、蘭学発展に寄与。

 甫周による聞き取り『北槎聞略』

が資料として残され、波乱に満ちた

その人生史は小説や映画などで

たびたび取りあげられている。

 鐘楼

 薬師堂かな?


芭蕉句碑の句は、

「鷹ゆくかたやしろ子若松」

 芭蕉句集をいろいろ探してみるが、

この句にふれたものが見つからず。

 鈴鹿の西方寺にも同じ句の碑が

あるという。

 心身、漂流!