数少ない異国見聞者
令和元年12月11日
鈴鹿市最後の最後の緑芳寺へ。
本殿にて参拝!
浄土真宗大谷派。
ロシアからの生還を果たした
大黒屋光太夫の菩提寺である。
光太夫のお墓はここにはなく、
江戸本郷元町の興安寺にあると
いう。
大黒屋光(こう)太(だ)夫(ゆう)
とは?宝暦元年(1751)~
文政11年(1828))、
江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子
(現三重県鈴鹿市)の港を拠点と
した回船(運輸船)の船頭である。
天明2年(1782)、嵐のため
江戸へ向かう回船が漂流し、
アリューシャン列島
(当時はロシア領アラスカの一部)
のアムチトカ島に漂着。
ロシア帝国の帝都サンクトペテ
ルブルクで女帝エカチェリーナ2世
に謁見して帰国を願い出、
漂流から約9年半後の寛政4年
(1792)に根室港入りして帰国
する。
幕府の老中・松平定信は光太夫
を利用してロシアとの交渉を
目論んだが失脚する。
その後は江戸で屋敷を与えられ、
数少ない異国見聞者として
桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と
交流し、蘭学発展に寄与。
甫周による聞き取り『北槎聞略』
が資料として残され、波乱に満ちた
その人生史は小説や映画などで
たびたび取りあげられている。
鐘楼
薬師堂かな?
芭蕉句碑の句は、
「鷹ゆくかたやしろ子若松」 。
芭蕉句集をいろいろ探してみるが、
この句にふれたものが見つからず。
鈴鹿の西方寺にも同じ句の碑が
あるという。
心身、漂流!