道祖神の招きか 年の暮れ
令和元年12月21日
29歳まで芭蕉は生家で
暮らしている。
それ以降、幾度か帰郷。
晩年の貞享4年の暮れ、
この生家で自分の臍の緒を
見つけ、亡き父母や郷土
伊賀への慕情を怺えきれず
涙する。
「旧里や
臍のをに泣
としのくれ」
と詠む。
その句碑が生家前に建って
いる。
当時の生活を見事に再現した
この生家は、芭蕉たち家族の
暮らしぶりがよくわかる。
この土間の奥に、釣月庵がある。
また、「芭蕉瓦版」に、
米国の駐日大使キャロライン・
ケネディさんが、「奥の細道」
の芭蕉の句を引用し、着任した
ことも掲載されている。
<main role="main">「道祖神(どうそじん)の
招きにあひて
取るもの手につかず」。
キャロライン・ケネディ前駐日米大使は、
ワシントンの駐米日本大使公邸で
開かれた祝賀式典で、江戸時代の
俳人・松尾芭蕉の「奥の細道」の
一節を引用し、日本赴任にはやる
心境を披露したのだ。
この一節は
「旅に出たくて何も手に付かない」
との意味。
日本文学者ドナルド・キーンさん
の英訳をすらすらと口にした
ケネディ氏は
「私も日本に引き寄せられている。
日本で職責を果たす日が待ちきれ
ない」
とあいさつ。
詩に関する著作があるケネディ氏は
「詩の親善大使」と呼ばれた。