五劫思惟?
令和元年12月3日
「粟稗に
とぼしくもあらず
艸の庵」 。
と刻まれた芭蕉句碑が、
左から2番目にある。
芭蕉の句「粟稗の・・・」の句会の
説明碑。
岡本柳南さんの句碑。
解脱寺が再建される以前の薬師堂を
貞享5年(1688)7月20日、
芭蕉が訪れ、薬師堂の主人、
長虹(ちようこう)を名古屋の俳人
荷兮と尋ね、歌仙を巻く。
粟稗の豊かな実りが眺められる
この草庵は貧しい風情ではない、
静かないい住まいであるという意
の句である。
解脱寺に代々、封鎖されている
本尊があった。
「五(ご)劫(こう)思惟」
初めて聞くことば。
(阿弥陀仏が誓願を成就するために
五劫の長い間、思いを懲らしたこと)
の弥陀像である。
本尊が封鎖されている扉を開く
と、たちまちに盲目になると
言い伝えられ、長く秘仏に
なっていた。
白林寺から解脱寺へ移ってきた
何代目かの住職が、この話を聞いて
「仏像は人に拝ませて、始めて
利益があるものである。
扉を閉じて、人に見せない像は
あってはならない。
これを開いて盲目となる道理は
ない」
と言って、扉を開いた。
目もくらやむ程の弥陀像であった
が、扉を開いて盲目になることは
なかったという。
住職さんも様々。
有り難い、開かれた住職さんが
いて、初めて弥陀像も日の目をみる。
住職の奥様がお客様相手とお話し
されておられる。
たくさんの座布団や衣料が
日干し陰干しされている。
参拝をし、芭蕉句碑をそっと
撮影。
拝して失礼する。